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2021.03.06.Sat / update:2023.12.12

日本にある米軍専用施設の70.3%が沖縄県に集中

日本にある米軍専用施設の70.3%が沖縄に集中

在日米軍専用施設の多くが、いまも沖縄に集中しています。
国土全体の0.6%にすぎない沖縄県に、在日米軍の専用施設のおよそ70.3%が集中しているのです。(2023年時点)

日本がポツダム宣言を受託し、第二次世界大戦が終結したのは、今から75年以上前の1945年。
戦後のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による占領政策を経て、1952年に発効した「サンフランシスコ講和条約」で日本は独立国としての主権を取り戻します。 しかし、同時に調印された「日米安全保障条約」では、GHQによる占領が解除された後も、アメリカ軍の日本駐留が引き続き認められ、日本各地にあった米軍基地も維持されることとなりました。
日本は在日米軍に安全保障を託し、防衛費負担を抑えて経済に力を注いだのです。その結果、敗戦国だった日本は復興を遂げ、経済大国に上り詰めたました。
そんな日本の輝かしい戦後復興の犠牲になったのが「沖縄」です。

GHQ統治下の1949年5月、アメリカ政府は沖縄の「分離統治」の方針を決め、翌年には「沖縄に恒久的基地を建設する」という声明を発表。沖縄を日本本土から切り離して統治を続け、アメリカが半永久的に使うための基地を作ることにしたのです。背景にはアメリカの極東戦略にとって重要な沖縄で、軍事行動の自由を確保したいというアメリカの思惑がありました。
そして先述の「サンフランシスコ講和条約」によって日本が主権を回復すると同時に、アメリカ政府が沖縄の施政権を獲得したのです。その後、1972年の「本土復帰」で沖縄の施政権が日本に返還されるまでの27年間、沖縄はアメリカの統治下に置かれ続け、大規模な基地建設が進められます。

米軍の統治下にあった沖縄では、日本国憲法が適用されず、日本の国会へ議員を送ることもできず、日本政府からの十分な支援もない状況で、本土から切り離されていました。 経済的にも厳しく、当時の沖縄市民は米軍からの配給で生活していました。ポークランチョンミートやコンビーフといった沖縄料理の定番食材も、この頃の名残りです。1972年に本土復帰を果たしたときの沖縄は道路、港湾、学校、病院、住宅といった市民生活に必要なあらゆるインフラが不足していたそうです。
一方で、この間経済優先の政策を進めた本土では、1968年にはGNP(国民総生産)がアメリカについで世界第2位となります。1964年の東京オリンピック・1970年の大阪万博開催で、日本は戦後復興と経済力を世界に向けてアピールしました。

国の安全保障の負担を背負わされ、高度経済成長から取り残された沖縄が抱える基地負担は今も続いています。
本土復帰した1972年当時、日本にある米軍専用施設面積に占める沖縄県の負担率は約58.7%。それが現在は約70.3%まで高まっています。この間の米軍基地の整理・縮小が本土のほうが進んだためです。
本土の米軍基地は最大時から約94%縮小しましたが、沖縄の米軍基地は米軍統治下の最大時から半減にとどまったままです。

現在、沖縄県内に米軍専用施設は31施設あります。総面積は18,483.6ヘクタールで、県全体の面積のおよそ15%を占めています。基地が密集エリアでは、多くの住民が騒音による健康被害に悩まされたり、ヘリコプター墜落などの事故により命の危険にさらされ続けてきました。
宜野湾市にある「普天間飛行場」は、周辺に120カ所の学校や公共施設などがある人口密集地域にあり、かつてアメリカのラムズフェルド国防長官は「世界一危険な米軍施設」だと表現しました。(2003年11月に普天間飛行場を上空から視察した際の発言)

遡れば、第二次世界大戦の時に、現在の日本国土で唯一地上戦が展開されたのが沖縄でした。沖縄戦での犠牲者は軍人・民間人あわせて約20万人、沖縄県民の4人にひとりが亡くなったとも言われています。連合軍と日本軍の兵力差は圧倒的で、はじめから勝ち目がなかったにも関わらず、本土決戦までの時間を稼ぐために、沖縄は本土の“捨て石”とされたのです。
そんな沖縄は、戦後になってもなお“在日米軍基地”という形で本土防衛のための負担を一方的に負わされ続けています。

本土の経済的な発展や安全な暮らしは、沖縄を犠牲にした上で成り立っていると言えます。
自分たちの安全や平和を担保するために、沖縄の人々や自然を犠牲にし続けることに、あなたは耐えられますか?

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ばんゆかこ
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学生時代、中東地域やインドを中心に旅をしていた。
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