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2021.03.06.Sat / update:2021.03.28

日本にある米軍専用施設の70.3%が沖縄に集中

日本にある米軍専用施設の70.3%が沖縄に集中

在日米軍専用施設の多くが沖縄に集中しています。国土全体の0.6%にすぎない沖縄県に、在日米軍の専用施設のおよそ70.3%が集中しているのです。(2020年3月31日時点)

日本がポツダム宣言を受託し、第二次世界大戦が終結したのは、今から75年以上前の1945年。
戦後の日本はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による占領政策を経て、1952年に発効した「サンフランシスコ講和条約」で独立国としての主権を回復します。 しかし、同時に調印された「日米安全保障条約」では、占領解除後も米軍の駐留が引き続き認められ、日本各地の在日米軍基地も維持されることとなりました。日本は米軍による安全保障のもとで、経済復興を目指すことにしました。 そして、その犠牲になったのが「沖縄」です。

沖縄の戦後の歴史は、本土とはまったく異なります。
GHQによる占領統治時代の1949年5月、アメリカ政府は沖縄の「分離統治」の方針を決め、翌年には「沖縄に恒久的基地を建設する」という声明を発表します。沖縄を日本本土から切り離し、米軍による統治を続けながら、アメリカが半永久的に使うための基地を作ることにしたのです。
日本が主権を回復した先述の「サンフランシスコ講和条約」で、アメリカ政府は沖縄の施政権を獲得。1972年の「本土復帰」で沖縄の施政権が日本に返還されるまでの27年間、沖縄はアメリカの統治下に置かれ続け、大規模な基地建設が続けられたのです。

本土と切り離され、米軍の統治下にあった沖縄では日本国憲法が通じず、日本の国会議員を送ることもできず、日本政府からの十分な支援もない状況でした。 日本円の流通は禁止されB型軍票(B円)や米ドルが基本通貨とされ、市民は米軍からの配給で生活していました。ポークランチョンミートやコンビーフといった沖縄料理の定番食材も、この頃の名残りです。1972年に本土復帰を果たしたときの沖縄は道路、港湾、学校、病院、住宅といった市民生活に必要なあらゆるインフラが不足していたといいます。
一方で、この間経済優先の政策を進めた本土では55年〜70年の間に高度経済成長を果たし、1968年にはGNP(国民総生産)がアメリカについで世界第2位となります。1964年の東京オリンピック・1970年の大阪万博開催で、日本は戦後復興と経済力を世界に向けてアピールしました。

国の安全保障の負担を背負わされ、高度経済成長から取り残された沖縄が抱える基地負担は今も続いています。
本土復帰した1972年当時、日本にある米軍専用施設面積に占める沖縄県の負担率は約58.7%。それが現在は約70.3%まで高まっています。この間の米軍基地の整理・縮小が本土のほうが進んだためです。

沖縄県内にある米軍専用施設は31施設。総面積は18,483.6haヘクタールで、県全体の面積のおよそ15%を占めています。基地が密集エリアでは、多くの住民が騒音による健康被害に悩まされたり、ヘリコプター墜落などの事故により命の危険にさらされ続けてきました。
宜野湾市にある「普天間飛行場」は、周辺に120カ所の学校や公共施設などがある人口密集地域にあり、かつてアメリカのラムズフェルド国防長官は「世界一危険な米軍施設」だと表現しました。(2003年11月に普天間飛行場を上空から視察した当時の発言とされています)

米軍基地の県外移設を希望する声は、いつまでも絶えません。

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船川 諒
WEBデザインと、記事の執筆&編集を担当しています。
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