古田大輔さん、ジャーナリズムってなんですか?【前編】

今やメディア業界では知らない人はいない有名人。そして最近では、テレビやラジオへの出演、Twitterでの情報発信など、お茶の間にもその存在が周知されつつある古田大輔さん。
元朝日新聞記者、元BuzzFeed Japan創刊編集長という輝かしい経歴や、テレビでの物腰の柔らかくとても分かりやすい解説に、多くの人は「頭が良い」や「優しい人」といった感想を抱いていると思います。
私も数回お会いしたことがありますが、とても紳士的な人だという印象を抱くと同時に、『ジャーナリズム』についての膨大な知識と熱量に圧倒されました。古田さんが口を開けば、二言目には必ずと言っていいほど『ジャーナリズム』という単語が出てくるほどです。
その一方で、「ジャーナリストになったきっかけ」や、「ジャーナリズムへの熱い思いは一体どこから湧き出ているか?」などは、一切謎に包まれています。ほぼ毎日、何かしらの媒体で古田さんを目にするにも関わらず、全く人間性の部分が不明なため、最近ではジャーナリズム星からきた宇宙人なのではないかと疑っています。
そのため前編では、今まで語られてこなかった謎のベールに包まれている古田大輔さんの実像に迫っていきます。
プロフィール
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古田 大輔 1977年福岡生まれ。早稲田大政治経済学部卒。2002年朝日新聞入社。社会部で事件や災害、外国人労働者などを取材した後、アジア総局員(バンコク)、シンガポール支局長を歴任。東京に戻ってデジタル版編集に携わり、2015年退社。BuzzFeed Japanの創刊編集長に就任。2019年6月、退社と同時にBuzzFeed Japanシニアフェローに就任。2019年7月、株式会社メディアコラボ創立。代表取締役に就任。
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謎のベールに包まれた男(当社の偏見)古田大輔の原点
前編では、謎のベールに包まれている『ジャーナリスト古田大輔』の実像に迫らせていただきます。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
いきなりですが、古田さんは、僕と同じ福岡県出身ですよね。高校はあの御三家の一つ、福岡高校ですよね?
(福岡県では、公立進学校である修猷館高校・福岡高校・筑紫丘高校のことを御三家と呼ぶ)
いきなり福岡県人トークになってるけど大丈夫ですか?(笑)
他県の方には少し我慢していただきます。
福岡高校出身で、大学は早稲田大学。この経歴で、個人的に疑問に思ったことがあって、福岡の進学校の学生は、基本的に九州大学に行きます。九州大学が無理なら県内の私立大学。福岡県人は福岡愛が強いのであまり県外に出ないイメージなのですが、なぜ早稲田大学に?なぜ県外だったのですか?
理由は単純明快です。
僕は箱崎(博多の近くで、神社や史跡が多く残るエリア。東京で言うと、谷中?根津?)出身で、小学校と中学校は歩いて。高校はチャリで行っていました。もし九大に進学したら、大学までチャリになってしまう。それは、ないなと思いました。
そんな理由だったんですね。
あと、すごく鮮明に覚えているのが、高校に入学して2日目くらいにあった進路指導。そこで配られた資料に、学年何番以内だったら九大に入れるという資料を見て、高校の延長になるのが嫌で、九大に行かないと決めました。
それで早稲田に?
当時はあんまり大学に夢とか希望はなくて、現役の時は特に意味はないけれど、京都大学を受けました。でも落ちてしまった。
浪人して夏休みに東京に遊びに行ったら楽しかった。だから、東大に志望を変えたけど落ちて。
早稲田は受かったので入学しました。
古田さんて、意外とノリと勢いで決断することもあるんですね。「データと論理的思考に基づいてしか決断をくださない男。古田大輔」という私たちが勝手に抱いていたイメージが崩れていきます…。
大学に入学した当時は、ジャーナリストになりたいという気持ちはあったのですか?それこそ、早稲田と言えば「ジャーナリスト宰相」とも言われた石橋湛山の母校ですし。
ないです。ジャーナリズムの「ジャ」の字もなかったです。

初めての海外はインド!死を待つ人の家でのボランティア
大学では特に何をしていたんですか?
自分の知らないものを見たいという気持ちが昔から強かったので、すごい貧乏だったけど、いろんな国へ行きました。初めて行った国はインドです。
初めての海外がインドって、今の大学生にとっては、かなりレベルが高いと思うんですけどなぜですか?
「深夜特急」(※1)の2回目のブームが来ていたのと、ちょうど猿岩石(※2)もやっていた時代で、当時の大学生はめっちゃバックパック旅に行っていました。世界中どこに行っても日本の大学生に会いました。
やはり、インドに行ったら人生観は変わるんですか?
人生観が変わるというのは、正直ちょっと分からないです。でも、「死を待つ人の家」で2週間、ボランティアをしたことは、とても大きな経験でした。
そこでどんなボランティアをしたんですか?
そこはマザー・テレサが作った施設で、「看取り」をする場所でした。
朝の7時に施設に集合して、朝・昼ごはんの介護とシャワーの介護をして、言葉は通じないけどなんとなく話し相手になったりしました。最後に掃除洗濯をして帰る。
「シスター」と呼ばれる修道女たちが主に働いていて、世界中から集まるボランティアが力仕事をしていました。20年前はほとんど欧米の人たちで、アジア人は僕だけでしたね。
死を待つ人の家に来る人は、どのような人ですか?
病気の人もいれば、おじいちゃんおばあちゃんもいます。基本的にはスラムに住んでいる人で、身寄りのない人が多かったです。
先ほどから古田さんから出てくる言葉が「初海外がインド」や「マザー・テレサ」、「死を待つ人の家」など、パワーワードばかりで、「ちょっと何言ってるか分からない」状態なんですが、そもそもなぜそこでボランティアを?
僕は、昔から人の役に立ちたいと思っていて、でも人間1人、たいして才能のない僕にできることって限られています。どうやったら自分の力で人の役に立てるのか、いつも漠然と考えていました。
ボランティアとして現場で働くことは、かなり直接的に人の役に立てる方法だと思い、ボランティアを始めました。

酷いところも伝えたいけど、酷いばっかりじゃないということも伝えたい
そこでボランティアをして、古田さんはどのようなものを見て、どのようなことを感じたのですか?
そこで働いてると、たまたまインドの貧困家庭に生まれ、苦労して生きてきて、最後は身寄りがなく野垂れ死にしそうになっている人が連れて来られます。人生の最後に連れて来られたこの施設も、凄く立派な施設ではない。貧困や格差を目の当たりにして世の中残酷だよなと感じました。
でも、それと同時に思うのが、貧困や格差に苦しむ人のために働きたいと思う人が、世界中から来るんです。そして、触れ合っているうちにボランティアと看取られる人との間で友情が芽生えることもある。そういう光景を見て、「世界って酷いところだけど、その反面こういう風に友情が芽生えたり、良いところもあるよな」と感じました。そしてこういうことを人に伝えたいと思いました。これが記者になろうと思った原点の一つです。
原点の一つということは、このエピソードで記者になると決断したわけではないのですか?
その後もいろんなところを見に行きました。紛争地域も行ったし、国内でも貧困や格差の現場にいき、ボランティア活動にも参加したけど、でも、結局僕は決めきれませんでした。人生において自分を1カ所の現場に注ぎ込むということを。
その時、そういった自分はいろんな現場のことを伝えるほうが向いているなと思いました。
衝撃の一言「見ちゃったからですかね」
学生時代に、様々な活動を通して少しずつ自分の進む道が見えてきたということなのでしょうか?
様々な活動もそうですし、あと中村哲さんの講演会での言葉も大きかったです。
中村哲さんとは、どのような方ですか?
1980年代からパキスタン・アフガニスタンで活動している方で、もともとは医者としてペシャワールという街でハンセン病の治療をしていました。
しかし、戦乱の影響で餓死者が多くなって、中村さんは、病気を治す前に餓死をなんとかしなければならないと考えました。そして農業を復活させるために、まずは井戸を掘ろうと。
掘って、掘って、掘りまくったけど、「井戸では追いつかない」と思い、今では中村さんは運河を作っています。「名医は国を治す」とは、まさにこういう人のことなんだろうと思いました。
すごすぎますね。中村哲さん。
中村さんは福岡高校の大先輩にもあたります。学生時代に中村さんの講演会で、「世界中めちゃくちゃ困っている人がいるのになぜアフガニスタンを選んだのか?」と質問したんですよ。そしたら中村さんの答えは「見ちゃったからですかね」でした。
たまたまそこを訪れて、たまたま困っている人を見たから。
「すげーなこの人」と思うと同時に、いろんな場所でいろんな困った人を見たのに選べなかった自分はやっぱり中村さんとは違うタイプの人間だなと悟りました。
なるほど。じゃあ中村さんみたいな人に真実を伝えるために、記者をしているということですか?
そうそう。現場で働く人は絶対に必要なんだけど、ではどうして現場で働く人がいたり、後方支援でお金を寄付したりする人がいるかと言うと、それは情報を伝える人がいるからです。
社会課題をどのように解決していくべきか、僕にはわからない問題が多い。でもそこに社会課題があることは、伝えることができます。どうするかの前に、この状況はおかしいと。伝えたら、多くの人で考えることができる。解決に取り組む人を紹介することもできます。

古田さんは、保守?リベラル?極左?クソ左翼?
話は180度変わるのですが、古田さんの個人的なお話でもう一つお聞きしたいことがあって、以前お話した時に「僕は保守です」と言っていたじゃないですか。でもTwitterとかだと「極左」とか「クソ左翼」など、真逆の言われようなのはなぜですか?
そもそも日本、特にネット上で語られている保守・リベラルという肩書きは、定義が滅茶苦茶だと思っています。自民党や安倍政権に近い考え方が保守で、そこから離れたものがリベラルみたいな言い方をする人もいますが、それは本来の定義と全然違います。
本来の定義とは?
もともとは政治哲学の長い歴史の積み重ねの中で、リベラル思想と保守思想とが定義づけられてきました。僕がリベラル思想でついていけないなと思うのが、リベラル思想の理想のレベルが高い点です。まずは自由な個人があり、そして、その理想のもとに社会を変革していく。
ふむふむ。リベラル思想は理想のレベルが高い、と。
でも人間はそんなに強くないじゃないですか?むしろ人間は弱い存在で、人との繋がりや、歴史的な繋がりがなければ生きていけない存在だと僕は思います。
確かに、人間は弱い生き物ですよね。僕は、自身のことを人間の弱さの象徴だと思っています。
自由な個人よりも、自分が住んでいる地域社会や歴史的な伝統に紐付いた自分の方が実感がある。これに近い思想がコミュニタリアニズム(共同体主義)と言われるもので、保守的な一面もあります。
リベラリズムは、「人間存在は単独として成り立つ」という考え方で、コミュニタリアニズムは「単独ではなく社会や歴史、伝統との繋がりで成り立つ」という考え方なんですね。

僕は保守的だけど、反差別
僕は、世の中を保守かリベラルか、右か左かの二分法で測ろうとする人を見ると「そんなに世の中単純じゃないでしょー」と思います。
確かにそうですよね。人間なんて皆グレーですもんね。敢えてお聞きしたいのですが、実際どっちなんですか?
僕は保守的です。ただし僕は反差別でもあります。
反差別というのは、保守とかリベラルとか関係ないものです。同じ人間として生まれてきて、平等であるべきなのに、生まれた国や性や様々な属性によって、同じ平等を与えられていない人がいます。「同じ人間、同じ仲間なのに。それはおかしいじゃん」と思います。
確かに、それって主義主張の前に、人としての話ですよね。
そうです。ネットで反差別というと「パヨ」とか「くそリベ」とか揶揄されることもありますが、反差別は優しさや人間としての共感力の問題であって、保守とかリベラルとは関係ないです。リベラルでも心が狭い人はいますし、保守でも心が広い人もいる。その逆も当然いる。
ちなみに古田さんの言っている保守とは?
歴史と伝統に則り、それを
いまのネットや言論の場では「保守」だ「リベラル」だと自分や相手にレッテルを貼る人が多いですが、それよりも大切なことがあるんじゃないでしょうか。
例えば、映画の「寅さん」だったら困っている人をみたら助けるでしょう。それを見て「寅さん、あんたはリベラルだ」なんて言う人いたら、寅さんに「お!てめぇ、さしずめインテリだな!」って言われちゃいますよ。
大切なのは保守かリベラルかより、困っている人を助けたり、問題をより良い方向に解決したりすることです。
僕は記者をやってるときも、編集長をやってるときも、そう思って仕事してきました。
あとがき
前編では、私たちの勝手なイメージやレッテリ貼りをされていたせいで見えてこなかった、古田さんの真の姿を知ることができました。後編ではジャーナリズムについてお話をお聞きします。
後編はコチラ!