長崎県・石木ダム計画のココがおかしい

みなさん、こんにちは。ライターの船川です。ひさびさに記事を書きます!
今回取り上げるテーマは「ダム問題」。ダムと言えば、これまでにも全国津々浦々で、さまざまな議論を呼び、数々の反対運動を生み出してきた、まさに「ザ・社会問題」。社会問題をやさしく伝えるメディアを目指すチャリツモとしては、取り扱わざるをえないテーマであるはずです。
「そんなこと言ったって、ダム問題なんて、“昭和”の話でしょ?この令和の時代に何言ってんのさ」
そう思いませんか?
私もつい最近まで、そう思ってました。今回お伝えする石木ダムの存在を知るまでは。
私に石木ダムの問題を教えてくれたのは、一本のドキュメンタリー映画。
タイトルは「ほたるの川のまもりびと」。石木ダムの建設予定地に暮らす住民の暮らしを追った作品です。
この映画からまず受け取ったのは、モチーフになっている住民たちの暮らしの中に散りばめられた強烈な“違和感”です。
穏やかな農村風景のあちこちに点在する、おどろおどろしい「ダム反対」の看板。機動隊による苛烈な暴力を笑いながら語るおばあちゃんたち。自身の人生の目的をダム計画の中止だと言い切る住民…などなど。一見、平和な風景の中に、目に見えない傷あとと暴力のニオイを感じさせる映画だと思いました。
違和感を感じると同時に、疑問に思ったのが「こんな異常な事態を、なぜ自分は知らなかったんだろう」ということ。
本来、“問題”とは常に違和感を伴うものです。
しかし、石木ダムのように長年生きながらえ常態化した問題は、社会に内在化され、その違和感に気づきにくくなってしまうものかもしれません。
継続的な問題提議がなされず、気づいたら「そういえばそんな問題あったよね」なんてことが私たちの社会にあふれていないでしょうか。
であれば、新たにこの問題を知り、強い違和感を感じた私がするべきことは、同じくこの問題を知らなかった人に向けて、事実を伝え、違和感を共有し、ともに考えるきっかけを作ることだと考え、今回の記事を書くことにしました。
前置きが長くなってしまってすみません。今回はちょっと長い記事ですが、どうぞお付き合いください。
ライタープロフィール
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船川 諒
チャリツモ代表。猫が好き。
WEBデザインと、記事の執筆&編集を担当しています。
石木
ダムを、知っていますか?
舞台は、

三方を山に囲まれ、美しい清流・石木川が流れる川原地区。山の斜面には先祖代々築いてきた棚田が広がっていて、夏にはゲンジボタルが舞い、秋には黄金色の稲穂が風にゆれる…、まさに「日本のふるさとの原型」とも言えるような里山です。
ここ川原には、13世帯54人の住民が暮らしています。
そして、今まさに彼らの暮らしは奪われようとしているのです。

その原因は“ダム”。
現在、この美しい里山に「石木ダム」が建設される計画が進行中なのです。
石木ダムは、長崎県と佐世保市(川棚町の隣にある)が事業者となって作ろうとしているダムで、川原地区に流れる石木川をせき止めて建設されます。
その目的は大きくわけて2つ。
(1)佐世保市の水道用水の確保(=利水)と、
(2)石木川とその石木川が流れ込む先の本流・
驚くことに、この石木ダムが計画されたのは今から44年も前の1975年。計画に先立つ予備調査(1962年)から数えると、じつに57年もの歳月が経ちました。にも関わらず、石木ダムはいまだに本体工事に着手すらできていません。
工事が遅れている理由は、建設予定地の住民らによる反対運動。計画開始から半世紀が経っても、事業者である長崎県と佐世保市は、建設予定地の買収すら終わらせられず、本体工事に取りかかれなかったのです。

この間、計画を進める行政と、計画に反対する住民の間では熾烈な闘争が続き、時には一触即発の極度の緊張状態に陥ったり、実際に行政の“実力行使”によって住民が制圧される場面もありました。
1982年には、地元の合意がないにも関わらず、長崎県による強制測量調査が行われ、県が引き連れてきたおよそ150人の県警機動隊と反対住民が衝突。住民は体を張って、命がけでふるさとを守り抜きました。

強制測量調査について報じられると、県の姿勢を批判する多くの世論が巻き起こりました。それにより、ダム推進派の表立った活動はナリを潜め、一見するとダム建設の推進がストップしたようにも見えました。しかし住民の話によると、1982年以降も、水面下では行政による「反対派の切り崩し」などの着実な計画進行が続いていたのだそうです。

そして、2013年に石木ダム事業が国により正式に「事業認定」されたことで事態は一変します。
事業認定とは、「強制収用」の前提となる制度で、土地収用法に基づいたもの。
強制収用とは、国や地方公共団体が、公共事業のために必要な土地の所有権を強制的に取得すること。もちろん引き換えに所有者への正当な補償が支払われますが、所有者が同意していなくとも強制的に所有権を奪うことができる制度であることに変わりはありません。
ふつうの企業がなにかを建設する場合には、必ずその土地の地権者の同意を得る必要がありますが、行政が事業主として行われる公共事業は、いざとなれば所有者の同意を得るなくとも、反対を押し切ってでも無理やり進めることができるのです。
ただし、どんな事業でも強制収用できるわけではありません。国民の権利を侵害し、特別な犠牲を強いる強制収用の実施には、その犠牲を払ってでも確保されるべき公共性が必要とされます。その公共性を国が認めて、お墨付きを与えるのが「事業認定」です。
事業認定がなされた後、長崎県は強制収用に向けたステップを着々と進み続け、ついに今年(2019年)の5月に長崎県の収用委員会が地権者に土地を明け渡すように求める裁決を出しました。
これで建設に必要なすべての土地を、県が強制的に取得できることが決まったのです。
明け渡しの期限は、農地などの建物のない土地が9月19日。住宅などの建物のある土地は11月18日です。
しかし、裁決が出た後も、川原地区の住民は土地を離れず、以前の生活を手放していません。
もうすでに、土地の所有権は建物の有無に関わらず、9月20日午前0時をもって、いったん国に移されてしまいました。
川原の住民は、法的に言うと自分たちの故郷を不法占有して暮らし続けているのです。
住宅を含むすべての土地の明け渡し期限は11月18日。このまま反対住民が今の家に住み続けてこの明け渡し期限日を迎えると、どうなるのでしょう?
行政が実力行使で明け渡しをする「行政代執行」が可能になってしまいます。
1982年の強制測量調査のときと同じように、機動隊を動員するなどして、権力がチカラで住民たちを追い出してしまうかもしれないのです。
ダム計画のために、実際に13世帯もの住民が暮らしている土地を強制収用する。さらにその方法が行政代執行という形でなされるのは、前代未聞のことです。
川原の住民たちは、土地の所有権という「財産権」だけでなく、「居住権」すら奪われようとしています。

住民が反対する理由は、自分たちの権利を守るためだけではありません。
長崎県や佐世保市がダム建設の理由として掲げる利水や治水の必要性、またダム建設によってそれらが解決されるという主張に関して、客観的で合理的なデータが十分に示されていないとして、納得のいく説明を求めているのです。
住民たちは、これまで何度も公開の場での話し合いを求めてきましたが、県や市は公開討論会の機会を作らず、説明責任を十分果たしてきませんでした。
さらに過去には「住民の同意を得ないで工事は進めない」という県と住民が交わした覚書をはじめ、数々の約束が反故にされてきた歴史があります。
こうした数々の裏切りから、川原地区の住民には、長崎県や佐世保市に対しての不信感が醸成されてきたのです。
そして今、強制収用が決まってもなお、13世帯54人は川原地区に住み続けています。
半世紀以上に渡って、石木ダム計画に振り回され、生活の安心を侵され続け、コミュニティを壊され続けてきたにも関わらず、変わらずその土地で暮らし続けています。
なぜこれほどまでに、行政と住民が対立してしまったのでしょう?
そして、強制執行という最悪な結末を目前にして、なお屈せずに戦っているのでしょう?
次のページからは、石木ダムの必要性について「利水」と「治水」の両面から考えてみたいと思います。県や市の主張と、それに反対する住民が呈する疑義の内容について、なるたけ要点をまとめてお伝えします。
さあ、石木ダム計画の
ヘンなところを見てみよう!
