めぐみのひとつぶ vol.4「波と風と光に満ちる島が、教えてくれたこと」

先日、お仕事で奄美大島に少しばかり滞在しました。
台所のある宿に泊まらせていただいたおかげで、毎日地産の食材を使って自炊をしました。
目の前に広がる海の青の中で朝ごはんを食べ、きれいな水でお皿を洗い、洗濯物を干し、仕事をし、眠り、そして波の音で目を覚ます日々。
それはまさに『生活』でした。
今日は、そんな奄美での短い生活で気づいたことについて書きたいと思います。
一汁二菜でじゅうぶんだということ
スーパーの地産コーナーで新鮮な野菜を調達したり、自然栽培の農家さんにいただいたり。
美しい島野菜と触れ合うことができました。

里芋やつるむらさきなど都市でも馴染みのあるものから、四角豆や黒小豆、パパイヤなど初めて調理するものまで。
どちらの野菜も、余分な調理をせずに素材を味わいたいと思わされるありのままの美しさ。
調味料は塩、醤油、味噌、出汁用の昆布と削り節だけ購入。
あとは野菜のようすをみながら、本当に必要な分だけ味付けをする。
そこにほかほかのお米とお味噌汁があれば、あとはもう何もいりません。
この食べ方が、有無を言わさない、いちばんの贅沢。
一日の要に、シンプルな一汁二菜をよく噛んで食べる。
そうすることで、大自然と調和できる身体がつくられていく。
いつのまにか「人間」になってしまった心と体を、自然の中に生きるただの「ひと」に戻してくれる。
そんな過程が食事にはあることを改めて実感しました。

その土地のものをいただくということ
都市に暮らしていると、全国からこぞって集められた、目がまわるくらい沢山の食材が一年じゅう手に入ります。そこに四季は関係ありません。
果たしてそれは、恵まれたことなのでしょうか。
豊かなことなのでしょうか。
日本に暮らす私たちの体は、それぞれ異なる顔を見せてくれる季節とともにあります。
そして、その季節とそれぞれの土地の特徴とがうまく溶け合って、人々の暮らしは営まれてきました。
島のスーパーに全国各地の食材は並びませんが、島にしかない食材がふんだんにあります。
今ここにあるもの。ここにしかないもの。
それらをいただいて命としていくことが、生き物としていちばん心地良いと思いました。
食べ方にも、いろいろあること
だれかと食べる楽しさと、ひとりで食べる慎ましさと。
その両方が、その人にあったバランスの良さで必要なんだなぁ、と思います。
食事はつねに誰かと共にするのが善いと思う必要はないこと。
自分の手で調理したものを、自分ひとりで体ごと、心ごと味わう。その時間のかけがえのなさもあります。
禅を組んだり、お祈りをしたりすることと似ているかもしれません。
今ここのじぶんの体と心を通して、他のあらゆる命あるものの存在を感じ取ること。
そして調和していくこと。
そんな、黙々といのちと向き合う食事の良さもあるのだということを、奄美の静かな大自然は教えてくれました。

食事によって自然と調和すること
食事によって、体と心の調和を取る。
またそれが、じぶんと自然との調和にも繋がっていく。
肉体をもつ私たちは、じぶんたちと自然とのあいだに境界をひいて暮らしています。
ところが奄美の自然の中で育まれた野菜やお米を食べるうちに、じぶんも自然の一部であることをふと思い出しました。
そうか、まさに人は食事によって自然と一体になることができる。
自然とうまく調和することができるんだなあ、と。
そして、食事はきっと頭でするものではないのだとも思います。
考えるより、感じること。
脳は、つねに刺激を求めているように思います。
そのため脳に主導権を握らせることの多い都会の生活では、気づかないうちに体と心に負担がくることが多い。それをこれまでの人生でずっと感じてきました。
心より頭を使うことが多い生活は自然のリズムを壊してしまう。
バランスを失った体と心は必死になって、ガソリンを満タンにするための負荷がかかった食事を求めてしまいます。
そんな不自然なサイクルを、自然な食事はやさしく調和してくれます。
「良く生きるためには、自然と調和する食べ方をすること」。
それはだれもが築ける、じぶんらしい生き方の基盤になるのではないか、と思います。
暮らしに余白をつくること
余白が沢山あるということは、心をあずけられる場所がある、ということではないだろうか・・・。
大自然のリズムと共にある奄美の生活には、沢山の余白がありました。
じぶんの体は確かに今ここにありますが、複雑な心をまるごとすべてはつねに抱えきれません。
余白のない都会の生活では、抱えきれない心は体の奥に閉じ込めておくしかない。
余白がないことで受け流すことと、心でしっかり捉えておくことの区別もつかないからです。
奄美での生活では、心をぽんと風や海にあずけてしまうことができます。
必要のないものは手放し、それを大自然が受け止めてくれ、静かにそっと流してくれる。そんな大きな営みがありました。
この心だって、じぶんだけのものじゃないんだ。この広い自然の一部なんだ。
そんなことにふっと気がつきます。
都会での生活ならばせめて物を持たず、家の中を風通しよく簡素にしておくことで余白は生まれるのかもしれませんが、奄美での「持たない暮らし」はなおのこと気持ちが良かったのです。

良く出会い、良く別れること
食事は全身を伴う行為です。
目も手も、鼻も口も、目に見えない内臓も、ぜんぶ使っています。
行為の作り手であり、また受け手でもある。
そんな食事を通して培う直観力や判断力は、生活のすべてに応用できるのではないか・・・。
どうもそんな気がしています。
良き食事を習慣とすることで、大自然の中にただ身をあずけていく。
それはまた、太古から営まれてきた普遍のリズムに身を任せることなのではないでしょうか。

良く出会い、良く別れていく。
そうして〈直観はあとで裏打ちされること=ものごとの必然さ〉を淡々と感じとれる体と心を養っていく。
だからきっと何も心配いらない。
良く食べ、甘えず、簡潔に日々を過ごすこと。
信じた道をいき、心は深く、身は軽く、生きること。
まだまだ道半ばのわたしに、奄美での短い生活はそんなことを、そっと教えてくれました。

関根 愛(せきね めぐみ)
「アートがどう社会と関われるか」と「じぶんらしく生きるための食養生」が活動のテーマ。座右の銘は「山動く」。俳優歴10年、アトピーによる自然食を始めてもうすぐ3年。
Youtubeチャンネル:めぐみのひとつぶ -体と心を癒す自然食-
note:せきねめぐみの食養生コラム
Instagram:megumi___sekine