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2019.10.13.Sun

“おうち育ち”な我が家の事情

第12話 14歳の長女の挑戦!自宅に小さな菓子工房をオープンします。

お店をオープン

ごあいさつ

hohimaro似顔絵

こんにちは。チャリツモライターのhohimaro(ほひまろ)です。
学校や園に行かず、家庭を主な学び、育ちの場として過ごす三人の娘の母です。
学校に「行けない」日々の末に「行かない」選択をした長女(14歳)と二女(11歳)。
そして「園には行きたくない」としっかり主張した三女(5歳)。
そんな我が家の日常を、心を込めてお伝えしていきたいと思っています!

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「私が作ったスイーツでみんなをスマイルにできるパティシエになりたい!」
8月に14歳になった長女が、小学校の卒業文集に残した言葉です。
小学5年生のクリスマスイブに、いくつものお菓子を初めて一人で作ったことをきっかけに、スイーツ作りにすっかりハマってしまった娘。
お菓子づくりに出会ってから2年7ヶ月ほどの時が過ぎたこの夏、娘が描いた夢の実現に向け、ついに自宅に小さな菓子工房をオープンしました。

「HOHO SWEETS」という名前のお店です。
くわしい情報はこちら
instagramもご覧ください)

たくさんの応援と協力を得て完成した小さな工房から、娘が心を込めて手作りしたお菓子をひとつひとつお届けします。

赤ちゃんの頃からHSP(※1)の特徴を持ち合わせ、いわゆる育てにくさのあった長女。
乳幼児健診などで気になっていることを相談しても、「おうちでしっかりお話できるなら心配いりませんよ」と医療機関への受診を勧められることはありませんでした。
4歳で幼稚園に入園し、はじめて母親と離れ集団生活に飛び込んだ娘は入園後間も無く、場面緘黙症、緘動(※2)を発症。
「完全介護」と呼ばれた手取り足取りの幼稚園生活を終え、その後小学1年生の終わり頃に生徒のいる学校には行くことができなくなっていました。

不登校となった娘の親としての役割は、もう一度娘が学校に行ける日を迎えさせてあげること。そう信じた私は、学校復帰を最優先の目標にしていました。

「学校には行くべきだ。今は行けなくてもいずれ行けるようになるはず。このまま学校に行かなければ、将来困ることになる。」
そんなふうに信じていた私から、娘は大きなプレッシャーを感じていたことでしょう。
皆が毎日当たり前のようにこなしていることのほんの一端さえも、迷い、怯え、勇気を振り絞り、パニックを起こし、それでも叶えられないことが多い日々。
毎日何度も熱を計り、自分だけが学校へ行っていない正当な理由を、娘は見つけたがっていました。

「そうしなければ。」
思えば思うほど、動かない体。
抵抗する心。
長女は次第に自分の存在に価値を見出せなくなり、家の中でパニックを起こす頻度も多くなっていました。

学校へ行けなくなって1年が過ぎた頃、長女とは8歳年の離れた三女が誕生し、さらにその一年後には二女も小学校入学後間もなく学校に行けなくなりました。
この頃から、学校復帰にかける私の思いは変化していきました。

長女が小学校に入学する前に、アメリカから帰国したママ友に初めて教えてもらった「ホームスクーリング」という言葉を思い出し、娘たちには学校復帰だけを目指すことの他に選択肢はあるはずだと考えるようになったのです。

幼い頃から長女は絵を描いたりもの作りをすることが好きで、特に色彩やデザインにこだわり、遊びにもリアリティーを追求するところがありました。
しかし、動けなかった幼稚園では、長女が自分の手で手がけた作品は一つも残せませんでした。
蓄えたエネルギーを爆発させるように、家ではのびのびと創作活動に没頭。
不登校になってからも、創作をしている時の娘の生き生きとした表情を見て、皆と違っても、本人らしい学びや生き方を見つけてほしい。私はそう願うようになりました。

ところがその願いは娘たちにとって、新たなプレッシャーを生むことになりました。
学校復帰という目的を無くした私が、次に夢中になったのは娘たちの才能探しだったのです。

* *

当時、長女にとって必要だったのは、自分らしくいられること、ただそれだけだったのかもしれません。
描いた絵を誰かに認めてもらいたいわけではなく、描くことで心が満たされたり、抑圧されたものから解放され現実の中にある苦しさを忘れていられるだけでよかったのです。

長女にはアート、二女にはお勉強と新体操。
娘たち自身も、それぞれにその分野で達成したい目標があったので、私はそれを応援しているスタイルでしたが、親の期待はひしひしと敏感な娘たちに伝わっていたことでしょう。

二女はその後分離不安障害(※3)の症状が悪化し、体調を崩しました。
日常生活さえスムーズにいかなくなった二女は勉強を休み、新体操の選手への夢からも離れることになりました。
そして長女は、パニックがこれまでの人生の中で最もピークを迎えていました。

そんな時、長女に訪れた転機が、小学5年生のクリスマスだったのです。

はじめてのスイーツ
小学5年生のクリスマスに、長女がはじめて作ったスイーツ

* * *

お菓子作りは“創作”という点では、これまで娘が好んだ絵や工作と共通していますが、手がけたものが形を変えずに残る後者と違い、お菓子は時間と手間をかけて作ってもそのまま飾っておけるものではありません。
まさに一期一会。
その場に居合わせた人たちが、分け合い、口にし、形は無くなりますが、一緒に過ごした笑顔の思い出はずっと残ります。

「お母さんのおなかに戻って、もう一度生まれたい。」幼稚園の頃そう言った娘。
娘はいつも、今の自分が嫌いで、早く大人になるか、おなかの中からやり直したい、そう願っていました。
絵を描くのは好きでも、描いた絵を部屋に飾るのを嫌いました。

一期一会のスイーツは、今を切り取り、残していくことが嫌いだったその時の娘には、とても心地いい感覚だったのかもしれません。

初めてのスイーツ作りをきっかけに、毎日のように次々にお菓子を作りました。
ネット検索し、次から次にお菓子の作り方を動画で研究。
オリジナルデザインであることにもこだわり、タブレットを使いデザイン画を描く時間も楽しんでいました。
家族の誕生日や季節の行事には凝ったデザインのケーキを作り、たくさん焼いたクッキーは綺麗にラッピングし、いろんな方に食べていただきました。

それから何ヶ月か過ぎた頃、私が所属しているFacebookの発達障害を持つ子の親のための非公開グループで娘のスイーツを投稿したところ、多くの方からあたたかいリアクションやコメントをいただいたのです。

学校復帰を目指すことを止め、娘たちの自立のきっかけになる才能探しをしていた私には、娘のお菓子作りは趣味のひとつとしか捉えられていませんでした。ところが、友人でもない多くの方からの賞賛や、「開業したら買います!」などの応援の声に、娘が毎日取り組んできたことに自信と誇りを持ちたいと強く感じました。

ひとつひとつのメッセージを娘に見せると、とても感激し、離れた場所で応援してくれる自分の知らない人にもお菓子を食べてもらいたい、そう志すようになりました。

* * * *

この時応援して下さった方から、娘にある一冊の本が届きました。
「笑顔のちから」というタイトルの副題には、「小児がん、膵芽腫(すいがしゅ)を吹き飛ばせ!!」とありました。
(『笑顔のちから―小児がん、膵芽腫を吹き飛ばせ!!』)

3歳の時に膵芽腫が見つかり、大きな手術や抗がん剤治療を家族と笑顔で乗り越えた奮闘記。
闘病の日々をまるでコミカルと言えるほどに、笑顔で綴られたストーリーにとても胸が熱くなり、勇気が湧きました。
未来に向かって生きることがいつしか当たり前になり、学校復帰だ、才能探しだと、娘たちが今ここに健康でいてくれることに感謝を忘れていた自分が恥ずかしくなりました。

いただいた本には、病気と闘った娘さんとお母様から直筆のメッセージが添えられていました。
「“笑顔のちから”は、到底笑顔になんてなれない時を経験した人が気づく“ちから”。」

目の前にいる子どもたちが笑顔でいられること。このこと以上に大切なことはないのかもしれない。心が笑顔なら大丈夫!そのちからを信じよう。
私の心がそんな風に動いた瞬間でした。
娘もこの親子との出会いから、「自分が作ったスイーツで誰かを笑顔にしたい!」、そんな夢を持つことになります。
そして、パニックに苦しんでいた娘はこうも言いました。
「スイーツで笑顔を届けられるには、自分も笑顔でいたい。」

スイーツに出会い新たな夢を描き、お菓子作りに没頭し、その力で未来を描くことを教わり、長女は少しずつ自信を取り戻していきました。
みんなと同じようにはできなくても、みんなのように笑顔でいられる自分。
小学6年生になった頃、気づけば娘がパニックを起こすことはありませんでした。

お菓子作りに夢中になる小学生時代の長女

* * * * *

ちょうどその頃、地元のテレビ局から“学校に行かないという選択”をテーマにした特集の取材を受け、娘はカメラの前でケーキの仕上げをし、笑顔を見せました。

「自分が学校へ行っていない事実を、放送を通じて多くの人が知ることになる。」
取材の依頼を受けた時、娘は悩みました。
お菓子作りに出会う前の娘ならきっと無理だったでしょう。でもその時の娘には、自分らしい過ごし方が出来ている自信が芽生え始めていました。
取材を受ける決断をした娘は、みんなのようには生きられない価値のない存在だと感じていた自分と決別したような清々しさでした。

それから、娘のスイーツをイベントや手土産用に作って欲しいと知人からリクエストしていただく機会が増えていきました。
これまで自分が作りたいものをただただ楽しく作っていましたが、それだけでなく、相手の希望や用途に応えられるお菓子を考え、作ることは、貴重な学びであり、体験です。

クッキー
ギフトセット

お菓子作りを通して、これまで考えられなかったような繋がりが広がっていきました。
娘が描いた、“スマイルを届けたい”という夢が、娘だけの力ではなく、たくさんの方の笑顔と共にひとつひとつゆっくりと形になっていくのを感じました。

またその頃、応援してくださる方の病気や娘自身の体調不良などを通して、娘はグルテンフリーのお菓子を中心に作るようになりました。
素材にこだわり無添加を心がけながら、娘にとって大切な、見た目の美しさにも妥協しない、心も体も笑顔になるようなスイーツを目指し、改良を重ねながらオリジナルのレシピを完成させています。

* * * * * *

「娘のスイーツを購入したい」「オープンはいつですか?」という期待の声も次第に増え、はじめのうちは、「うれしいね!ほんとにそんな日が来たらいいね!」とふんわりした夢のひとつでしたが、「その思いに応えられる自分になってみたい!」娘自身もはっきりとそう望み始めました。

そんな娘の将来への思いと、独学ではあってもこだわりを持ち日々培っている才能に、「親としてこの先の活動を守るため、製造許可のあるキッチンを用意してあげることが良いのでは」というアドバイスを周囲からいただくようになったのは、今から一年ほど前のこと。

その頃、分離不安障害の二女の体調はまだ悪く、就園していない三女にも手がかかる時期でもあり、工房開設を検討しつつも現実の歩みはもどかしいほど遅々として進みませんでした。
当初は自宅の庭に小さなプレハブ小屋を立て、そこで製造許可を取得するという構想でしたが、設備上の問題からNG。
また、自宅近くに厨房を借りることも検討しましたが、母親と離れることが困難な娘たちの現状を考えるとそれも現実的ではありませんでした。

たどり着いたのは自宅内のどこかに工房を設けること。
しかし問題は、決して広くはない屋内にもうひとつ自宅用のキッチンを設けなければならないということでした。

「菓子製造業」の許可を得るための条件は管轄する保健所によって異なりますが、基本的に押さえておかなければならない大切なことのひとつに、『厨房は自宅用と別とする』というものがあります。
自宅に工房を設置するというケースは多くはないと思われますが、つまり、販売するお菓子を作るためのキッチンと、家庭用の調理のためのキッチンは当然ながら区別されなければならないということです。
我が家の従来のキッチンは、許可取得の条件を整えるためにはさほど大きな工事は必要なさそうでした。
問題は、自宅用のキッチンはどうするか、ということ。

我が家は二階建ての戸建てですが、決して大きくはありません。
また、三人の娘たちは不安が強く、せっかくの二階や庭があっても単独では過ごせません。
結果、みんなが一階のリビングでほぼ一日を過ごすのです。
就寝は二階ですが、起きてから寝るまでに行われる、食べる、遊ぶ、くつろぐ、学ぶ、製作する、話す、笑う、怒る、喧嘩する、空気が悪くなる、興奮する…など、あらゆる行動と感情が交錯するのが一階部分です。
しかも、我が家の一階はトイレや洗面所以外は仕切りのないほぼワンフロア。
そこに新たにキッチンスペースを確保するということは、金銭面だけの課題ではもはやありませんでした。
特に二女の分離不安障害は、いつも通りで無くなることに対し過剰な不安を抱くもの。
お片づけをするというだけで、とても不安になり具合が悪くなってしまう二女にとって、いつも過ごすリビングが形を変えてしまうことには慎重に向き合う必要がありました。

各方面に相談を重ね、ハウスメーカーの担当者とも何度も会い話を煮詰めました。
ようやく決まりかけたプランを幾度となく撤回し、考えを改める私たちでしたが、娘の夢を一緒に応援したいと、納得いくまでとことんお付き合い下さいました。

そしておよそ一年の構想の末、ようやく家族全員が「いいね!」と言えるプランが仕上がったのです。
工房設置への夢に向かうことはとても楽しく、わくわくするものでした。
しかし夢に向かって突き進むことは、一方で、娘の抱える課題に改めて目を向け、確認していく時間でもありました。

* * * * * * *

工房を作るためには当然お金がかかります。
納得してくれたとはいえ、これまで妹たちの遊び場だったスペースに新たなキッチンを置かなければなりません。
何より、そこにかける皆の思いの大きさを長女は強く実感していました。
作りたいお菓子をネットで探し、オリジナルのデザインを考え、ただただ作ることが楽しく、誰かが笑顔になってくれるのがうれしくて作り続けていた娘の中に、「作らなければ」「がんばらなければ」という思いが混ざり合いました。

娘には「取りかかりがむずかしい」という課題があります。
いわゆるADHD脳と呼ばれる特性からの困難です。

ADHD(注意欠如多動性障害)には次のような特徴があります。
不注意…集中力を持続できず、気が散りやすい
多動性…落ち着きがない
衝動性…自分の感情や周りの刺激に反応しやすい

娘はADHDのどちらかというと「動」のイメージの生きづらさと、HSPや場面緘黙症・緘動の「停止」の生きづらさの両方を抱えています。

娘が感じる生きづらさや苦悩、それを乗り越えようとする工夫や関わりについては次回のコラムで書きますが、工房をオープンし、お菓子作りの夢を叶えていこうと志す娘にとってはとても重要な課題になります。

お菓子をおいしく、美しく、素材にこだわり作り上げる技術があっても、与えられた同じ時間の中で、苦悩する時間が多すぎては笑顔は生まれません。
娘が笑顔になれる時間は脳がブレーキにかけた足をはらいのけ、アクセルを踏み出した瞬間に始まります。
アクセルを踏めば、閃きと集中力でその世界に没頭できるのです。
他の刺激によって注意散漫になりやすい特性には、区切られた空間である工房は最適な環境でもあります。

工房の写真

* * * * * * * *

この“HOHO SWEETS工房”オープンにあたり、娘にとって心強い味方でい続けてくれる存在はたくさんありますが、不登校である娘が在籍する『学校』もそう。

娘は小学1年生の終わりに学校へ行けなくなりました。
学校復帰を目指している間も、それを第一の目標にしなくなってからも、在籍する小学校の校長先生始め先生方は娘にとっていつも味方でいてくれました。
そして、義務教育の最終学校である中学校ではさらに、将来につながる今として、娘の家庭での活動を評価し、守って下さいます。

7月の終わり、菓子製造の営業許可を取得した時、娘はまだ13歳でした。
年齢的な制限から許可は娘ではなく父親名義になりました。
しかし、そうなるとお菓子に貼り付ける食品表示ラベルの製造者の欄には父親の名前が印字されることになります。
娘にとってそれは少し気になることでした。
「一生懸命時間をかけ、心を込めて作ったのに、これではお父さんが作ったみたい。」

娘の気持ちを保健所の担当者に伝えると、再度本庁へ働きかけてくださいました。
これまで、娘のような低年齢での取得は例がなく、返事をいただくまでにしばらくの時間がかかりましたが、本庁からの答えは、営業許可の取得は『14歳から』可能だということでした。
ただし、未成年であるため親の同意書が必要。さらに、「義務教育過程であるため在籍する学校の校長先生からの証明があることが望ましい」と言われました。
その旨をすぐに担任の先生に伝えると、早速校長先生へ話を繋げてくださいました。
娘は担任の先生とは定期的に自宅で顔を合わせますが、校長先生とは面識はありません。校長先生は、担任の先生からの報告や親との面談などを通じて娘の思いをしっかり受け止めてくださっていました。
すぐに保健所へ電話をかけ、本庁にも詳細を確認して下さったそうです。その上で、「学校として娘の活動を応援することはやぶさかでない。しかし、今後のことを考えると教育委員会の意向を聞いておくのがいいだろう。」そう判断され、娘のこれまでの活動やそこに向ける思い、親の関わりなどを教育委員会に伝え、許可申請について話をして下さったとのこと。すると、教育委員会側も理解してくださり、「その生徒さんの活動をしっかりバックアップしてあげて下さい」と心強い言葉をかけていただいたそうです。

学校通学しているか、していないか。
していないのなら、今後通学する可能性はあるのか。
それより、もっともっと広い視点で娘をサポートすることを笑顔で引き受けてくださる学校や教育委員会の体制に私はとても感激しました。
校長先生はおっしゃいました。
「もちろん、学校に来ることは良いことだと思っている。子どもたちの中には学校に来たほうがいい子達も大勢いる。でも学校に行かなくても大丈夫な子もいる。」

2016年にできた「教育機会確保法」という法律により、これまで個々の状況に関わらず学校へ戻すこと、つまり「学校復帰」を目標としてきたこれまでの不登校対応から、「個々の不登校児童生徒の状況に応じた必要な支援が行われるようにすること」が求められるようになりました。
その子にとって必要な支援が何か、判断したり、実際に支援を提供しようとするのは現場の先生です。
しかし、その判断がより深いものになるためには、親と学校の連携や信頼関係がなければ成立しません。
通学しない不登校の生徒を知り、理解し、できる手助けをしたいと学校は考えてくれています。

小学校に入学して間も無く、動けなくなった娘が少しでも安心感を得るために、思いつくことは何でもチャレンジしましょうと笑顔で言ってくれた校長先生がこんな言葉をかけて下さいました。
「娘さんにしていることは、特別支援だとは思っていません。個別支援です。娘さんだけじゃなく全ての生徒それぞれに必要な支援があるのです。娘さんだけを特別扱いしているわけではなく、娘さんにとって必要な支援だからそうしたいと考えるんです」

娘は小さな工房の家庭用オーブンを何度も回転させ、毎日のようにお菓子を作っています。
取りかかりには、今日も相変わらず苦労しています。
そんな自分をふがいないと責めて落ち込む日もありますが、やっぱり作ると楽しそうです。
そうやって笑顔が生まれる娘のお菓子を、たくさんの方があたたかい眼差しで待っていて下さっているのです。

障害や病気のある人と共に歩むには、そうでない人からの同情ではなく、理解と尊敬が必要と感じます。
もちろん、逆も同じです。
障害や病気があったり、また老いなどにより、そうでない人に比べサポートが必要だったとしても、弱い立場であるという理由にはならず、その人の存在や生きる力に敬意を持てる、そんな環境が作りたいのです。
私たちはまだほんの小さな入り口に、ようやく立てたにすぎませんが、ここから始まるまだ見ぬ世界にとてもわくわくしています。

娘は幼い頃、幼稚園でおしゃべりしたり動いたりできないことをとても悲しみ、「いつかみんなみたいにできるようになりたい!」そう願っていました。
しかしそのうちに娘はこんな風につぶやくようになりました。
「いつか、みんなと同じようにできるようになるのか、分からないことが悲しい。」

みんなが見ている景色を、娘にも同じ場所から見せてあげたいと必死になっていた頃には気づかなかった世界が、今の私たちにはようやく見え始めています。
同じ景色が見られるのは、同じ場所からだけとは限らない。
また、高い場所から見る景色が、どこかの秘密の穴から覗くより美しいとも限りません。
自分にとって、心地よく、安心して眺められる場所を見つけるのはとてもわくわくします。
それを、一人ではなく誰かと一緒に見つけられたら、楽しさはもっと広がるでしょう。
高い場所に登れない人は、見える景色がどんなに素敵かそこに立つ人に教わり、自分だけが見つけた場所から見える景色の素晴らしさを伝え、そのどちらも素敵だねと言える社会の中で大人になっていってほしい、そう願います。

小さな工房にある小さな家庭用オーブンは娘のスイーツと共にフル稼働でがんばっています。
でもきっと、あまりにも無理をさせると壊れてしまいます。
娘と一緒にがんばるオーブンはいずれ、大きくてより効率的なオーブンに変わる日がやってくるでしょう。
能力に合わせ、変化していくことは素敵なことです。
これまではたった一人で手がけてきたことも全てを自分だけで抱え込まず、協力やサポートを感謝して素直に借りながら、希望を持って進んでほしいと思うのです。

娘の夢はいつか形を変える時がくるかもしれませんし、今は想像もしないくらい大きく広がっているかもしれません。
でも、娘の思いはきっと変わりません。
「私が作ったスイーツで自分もみんなも笑顔にできるパティシエになりたい!」
12歳の時に抱いた夢は、いろいろな時を経験してきた娘の本当の気持ちだと思います。

“おうち育ち”な我が家が、こうして夢を描けるようになったご恩に感謝を忘れることなく、少しずつでも恩返し出来る方法を見つけたいと私は考えています。
自宅の小さな工房から始まる14歳のストーリーをこの先もお伝えしていき、同じような悩みを抱えている人たちの参考にしていただけたら、と思います。

私たちはまだ、物語の1ページ目をやっと開いたにすぎません。
これからのストーリーを私たちだけの小さな世界で作り上げるのではなく、たくさんの方と一緒にわくわくしながら作っていければ素敵だなと思うのです。

「HOHO SWEETS」という名前のお店です。
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学校や園に行かず、家庭を主な学び、育ちの場として過ごす三人の娘の母です。
学校に「行けない」日々の末、「行かない」選択をした長女(13歳)、二女(10歳)。
そして、「園には行きたくない」としっかり主張した三女(5歳)。
そんな我が家の日常を、心を込めてお伝えしていきたいと思っています!
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船川 諒
WEBデザインと、記事の執筆&編集を担当しています。
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