“おうち育ち”な我が家の事情
第9話 全員参加!の立ち会い出産
ごあいさつ
こんにちは。チャリツモライターのhohimaro(ほひまろ)です。
学校や園に行かず、家庭を主な学び、育ちの場として過ごす三人の娘の母です。
学校に「行けない」日々の末に「行かない」選択をした長女(14歳)と二女(11歳)。
そして「園には行きたくない」としっかり主張した三女(5歳)。
そんな我が家の日常を、心を込めてお伝えしていきたいと思っています!
*
第一子である長女は、かつてなら「マルコウ(=高齢出産)」と呼ばれる年齢での出産でした。(現在35歳に引き上げられた高齢出産の目安ですが、1993年以前は30歳以上の初産婦を指していたのだそうです)
“シェフが作る食事が美味しい”と評判の産婦人科で、「初産とは思えない」と褒められた初めてのお産。
母児同室、母乳育児を希望していた私は、お産後の入院中も授乳搾乳を繰り返し、大変な日々ではありましたが、料理も洗濯も必要ない至れり尽くせりの一週間は、とても贅沢な時間でした。
それから三年後、私は二度目のお産を同じ産婦人科で迎えました。
さらにその五年後に、人生最後になる三度目のお産もやはりその場所で。
* *
いわゆるHSP※1の特徴を持ち、感覚の過敏性や視線への過剰な不安を抱え、後に場面緘黙症※2を発症した長女の育児は大変で、常に私が必要でした。
それでも明るく、何事にも意欲を示す長女を必死で育てながら「一人っ子でも十分かもしれないな」と思っていました。
実際こんな状況で赤ちゃんをお世話するなんて無理かもしれない、そう感じていたのです。
しかし、長女は自分より小さな子どもにとても愛情深く接する子でした。
私の友人が赤ちゃんを連れて遊びにくると、急にお姉さんらしくなり、丁寧に抱っこしたり、赤ちゃんの目を覗き込みながら話しかける姿を見ると、この子をお姉ちゃんにしてあげたいと思うようになりました。
* * *
長女が2歳を迎えた頃、私は二女を妊娠しました。
私のおなかに赤ちゃんがいることを知った長女はとても喜んでくれました。
赤ちゃんに会える日を、今か今かと待ちわびる長女は、おなかが大きくなっていく私に気づかいをしてくれましたが、やはり、離れることはできませんでした。
定期的な妊婦健診や母親学級などには、毎回長女を連れて行きました。
エコーで見るお腹の中の赤ちゃんが大きくなる度に、私以上に興奮し待ちきれない長女は、可愛がっていたお人形でせっせと赤ちゃんのお世話を練習していました。
苦手なことも多いけれど、長女は長女らしくしっかり成長し、姉になる自覚も立派に芽生えている。
そんな姿が嬉しく、とても頼もしく映りました。
それでも相変わらず、離れられない長女ではありましたが、お産と産後の入院中には、娘を私の実家に預けるつもりでした。
私の兄や姉にも子どもたちがいましたが、下の子のお産の時には上の子たちは実家の両親に預けるようにしていました。
そのため、私の出産の際にも、長女が私から離れる経験は避けられないことだと思っていました。
私から離れられないとは言え、大好きな優しいおじいちゃんとおばあちゃんがいてくれる通い慣れた場所です。
赤ちゃんが生まれるという人生の一大イベントであるこの時こそ、姉として試練を乗り越えるいい機会、そして、その経験は娘を成長させてくれるはず。
そう信じる一方で、大きな不安がありました。
これまで、短時間でも私から離れる時の、まるで“永遠の別れ”、“人生の終わり”のような激しい泣き方を思うと、娘のことはもとより預かってくれる両親のことも心配だったのです。
* * * *
出産予定日が近づくにつれて、不安な気持ちに嘘がつけなくなり、お産の計画を立てるための助産師外来の際に相談してみました。
すると、毎度検診に嬉しそうについて来る娘を見ていた助産師さんから、とても素敵なアドバイスをもらいまいした。
「妹や弟が誕生することは、お姉ちゃんの人生にとってかけがえのないことです。無理に離すことはありませんよ。娘さんも一緒に過ごさせてあげられるのなら、むしろそちらをおすすめしたいです!」
と。
青天の霹靂!
予測もしなかった展開が目の前にパッと広がりました。
そして、娘は妹のお産に立ち会い、私のそばで妹の誕生の瞬間を共に経験しました。
その後の入院も、私の部屋で一緒に過ごし、妹を見つめ語りかけ、大事に抱っこしてくれました。
美味しい食事を長女と分け合い食べる時間は、とてもとても幸せでした。
* * * * *
下の子のお産を機にお母さんと少し距離を置き、離れる経験をすることは、姉(兄)としての強さを身につける最高のチャンスだと考えていた私。
そんな考えも、間違ってはいないのだと思います。
「お姉ちゃん(お兄ちゃん)なんだから…」という言葉はNGだという話題をよく耳にします。
でも、現実には、姉や兄はそう言われて我慢したり、がんばったりすることは多いものです。
そういった経験は、当人にとっては歓迎しないことかもしれませんが、兄が兄らしく、姉が姉らしくなる理由のひとつかもしれないなと末っ子の私は思うのです。
でも、うちの場合は“離れる”ことなくそうした経験をさせていただくことができました。
長女は、お産に臨む私のそばにいて、姉として自分にできることを一生懸命やってくれました。
* * * * * *
長女は私の手から離れて眠ることが出来ない赤ちゃんでした。
卒乳後の寝かしつけは私のお腹の上でした。
妹がおなかにいることを知ってからは、私と手を繋いで寝るようになりました。
そして、妹が誕生し、授乳しながらの添い寝が始まると、長女は私の背中にくっついて寝てくれました。
大切な妹をいつもかわいがり、一緒におやつが食べられるようになると、いつも最後の一つを妹にあげました。
一緒に公園に行けるようになると、帰り道は妹をおんぶしてくれました。
大事にしてくれたお返しをするように、4歳の時に場面緘黙症や黙動を発症し、幼稚園や習い事の場所でしゃべれず、動けないお姉ちゃんを支えるのは妹の役割でした。
赤ちゃんはお母さんを選んで生まれてくると聞きますが、二女はお姉ちゃんを選んで生まれてきてくれたのではないかなと感じる毎日でした。
* * * * * * *
強い絆で繋がった姉と妹の間に、その5年後に三女が誕生することになりました。
三女を妊娠した時、長女は7歳、二女は4歳。
2人はその前の年の七夕に「お母さんのおなかに赤ちゃんが入りますように」と短冊に願い事を書きました。
その年四十路を迎えた私は「この先同じ願いはどうか書かないで」と密かに思いながら、翌年の七夕の日に妹ができたことを報告しました。
2人とも、願い事が叶ったと大喜び。
やはり親との分離は難しい姉妹でしたが、このときは迷わず家族の立会いと入院を決めました。
今度は長女だけでなく、二女も検診に付き添ってくれました。
そして、やってきた陣痛。
夜中の三時頃、娘たちも一緒に産婦人科へ向かいました。
3人目だからあっという間に生まれるだろうと気楽に構えていましたが、思いの外苦戦…。
産婦人科に着き、すぐに分娩台に乗りましたが、助産師さんからは「もう生まれるでしょう」と言われながら、三女の顔を無事見られたのは10時間後でした。
あらかじめ、家族揃って入院できる家族室を予約していたので、娘たちは部屋で休息をとりながら、妹の誕生に立ち会ってくれました。
長女と二女のケアも必要だったので、娘たちの他に主人と義母、私の母の五人もの立会人が、今か今かと三女の誕生を見守りました。
さすがにこんなにたくさんの人に見守られ、照れ臭さもありましたがそんなことは言っていられません。
お産に必死だった私は全く気づきもしませんでしたが、実は大量の出血をしていたらしく、10時間に及ぶ分娩はこれまでで一番の難産となりました。
5歳の二女には衝撃的だったようで、長時間のお産が終った頃には憔悴していましたが、経験者である長女は颯爽としていました。
三女が誕生すると、助産師さんは手早く赤ちゃんの体を拭いたり産着を着せたりしてくれました。
その様子をそばで見ていた長女に、ちょっとお願いできる?と初めての抱っこを長女に任せてくれました。
この助産師さんの対応は、今風にいうならば私たち家族にとって“神”でした。
私が元気なことがわかると二女も安心し、部屋へ戻る頃にはすっかり笑顔になりました。
2人のお姉ちゃんは、勉強道具やトランプなどを持ち込んだ広々とした家族室で、入院の期間中、代わる代わる妹を抱き、私を休ませてくれました。
また、“神”助産師さんが「お姉ちゃんたちがママを独占できる時間も」と、三女を積極的に預かってくれたおかげで、2人の姉たちの心のケアをたっぷりとしてあげることができました。
* * * * * * * *
母親と離れ、強くなるという機会は持てなかった2人の姉。
しかし、お母さんと力を合わせ、小さな小さな命が誕生する姿は、自分自身がこうして“今ここにいられること”を実感できる良い経験になったでしょう。
必死に生きようとする大切な妹の泣き声とともに過ごす毎日は、娘たちなりに強さを身につける時間になりました。
少し古いデータですが、2013年の研究報告書「母親が望む安全で満足な妊娠出産に関する全国調査」に次のような記述があります。
分娩時の満足度は、「上の子ども」が付き添った人では<そうでない人に比べ>分娩時の満足度が有意に高く…
RQ2 分娩期に医療者以外の付き添い(立ち会い)が要るか?/厚生労働科学研究費補助金研究 政策科学総合研究事業H22−政策−一般017 平成24年度 分担研究報告書
もちろん、私が選んだようなスタイルが誰にとってもいいとは思いません。
マタニティーブルーや産後うつを経験する方も多く、妊娠、出産、育児とはそれだけナーバスになることです。
そんな時、上の子を預けられる先があるのなら、その方が母体も休まります。
また、兄弟姉妹の立ち会いを、選択したくてもできない方も多いでしょう。
私の娘たちは慣れない環境では自由奔放になれないタイプなので、静かにしていなさいと言わなくても、病院で騒いだり、一人でどこかへ行ってしまう心配はありません。
しかし、ちょうど二番目三番目の子が生まれる頃のお兄ちゃん、お姉ちゃんの年頃はもっと活発でしょう。
そういう意味では、上の子達が行動を共にすることが、ストレスの原因となることも大いに考えられます。
* * * * * * * * *
私は、自分の経験や先ほどの調査結果から、夫や上の子の立会い出産をお勧めしようと思っているわけではありません。
我が家には我が家の事情があり、お産の時さえ離れられない家族でした。
みんなが乗り越えていることを出来なかった、させられなかったと、マイナスにとらえることもできる現実を、私たち家族は幸いプラスに変えることができました。
それには、二女出産の時、長女の立ち会いをすすめてくれた助産師さんや、三女お産の時、姉2人のケアを優先的に支えてくれた柔軟で、大胆な愛情深い助産師さんのたったひとことがあったおかげなのです。
あのとき、「お姉ちゃんなんだから、お産の時くらいはがんばってお留守番してもらわなきゃね」「お母さんに心配かけないようにお姉ちゃんもしっかりがんばろうね」
なんて言われていたら、変なプライドが邪魔をして、私は無理にでも娘を預けていたかもしれません。
「みんながそうだから」
それは理由にはならないことがあります。
「みんながそうでも、私の子にはこうがいい」
このひらめきが、マイナスをプラスに変えてくれると私は思っています。
そして、そのひらめきを一緒に見つけ、支えてくれる周囲のあたたかさに出会えることがとても必要だと思うのです。
「あなたが一番だと思うことに、私は協力したい」
私は応援したい人に、そんな風に言える人になりたいです。
娘たちがこれから歩いていく人生にもそう言い続けられる自分でいたいのです。