“おうち育ち”な我が家の事情
第6話 娘たちが教えてくれた“わたしの役割”
ごあいさつ
こんにちは。チャリツモライターのhohimaro(ほひまろ)です。
学校や園に行かず、家庭を主な学び、育ちの場として過ごす三人の娘の母です。
学校に「行けない」日々の末に「行かない」選択をした長女(14歳)と二女(11歳)。
そして「園には行きたくない」としっかり主張した三女(5歳)。
そんな我が家の日常を、心を込めてお伝えしていきたいと思っています!
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母親歴13年。
幼稚園や学校に行かずに過ごす3人の娘たちを育てる私。
皆と違う生き方をすっぽり受け入れ、そんな生き方を世の中に向け発信する、ブレない母。
いえいえ、そんなことはありません。
たっぷり食べたらぐっすり眠る。
それが子ども。
悪さをして、親や先生に叱られて、後でペロッと舌を出す。
それが子ども。
家ではたっぷり甘えてきて、行きたくないとせがんでも、友達に会えば今度は帰りたくないとだだをこねる。
それが子ども。
私は子どもって、そんなものだと思っていました。
そして、私は、子どもたちを世話しく幼稚園や学校に送り出し、やっと静けさを取り戻した家の中で洗濯物を干したり、掃除をしたり、ご飯の支度をしながら、「あーもう子供達が帰ってくる時間だわ」と慌ててひと休み。
そんな時間が母としての私には用意されていると思っていました。
甘かった…。
子どもって、そんなものではありませんでした。
私に用意された時間は、思っていたのとはずいぶん違ったものだったのです。
* *
違っていたことに気付いた時、私は焦りましたが、私が思っていた“子どもらしさ”を手にさせてあげることが、『母としての私の役割』と感じていました。
そのために出来ることがあれば、何でもやってみようと思い、行動しました。
その頃の私はある意味で、ブレていませんでした。
私の役割を信じていたからです。
ブレない私が目指していたのは、子どもたちが小学校へ行けるようにすること。
そのためにはまず、幼稚園に行くことが必要だと考えていました。
小学校に行けば、みんなと同じような過ごし方ができる。
みんなと同じように過ごすことができれば、子どもらしく学び、子どもらしく遊び、子どもらしく大人に向かって歩いていける。
そのために、役割を果たすべく、私は一生懸命やりました。
私が決めつけた「べき」をお守りに…。
幼稚園に行くべき。
小学校に行くべき。
子どもらしくあるべき。
親は子どもがそうであるように育てるべき。
そうして、ブレない私は目の前にいる子どもたちの心を置いてきぼりにしてしまいました。
娘たちの出すSOSを後回しにしてしまっていたのです。
* * *
5歳の時、場面緘黙症を発症し、幼稚園ではおしゃべりできず、体を動かすことのできない緘動(かんどう)という状態になりながら、「いつか、みんなと同じように出来るようになるのか。それが分からないことが悲しい」と泣いた長女。
「幼稚園に行かないといけないって思うけど、行けない…」と、小さな心で悩み、涙した3歳だった二女。
さらに、微熱や頭痛が続き、爪噛みやうなされるなど、目に見える身体症状が娘たちに出ていても、私は『私の役割』を見直すことがなかなか出来ませんでした。
何故か?
先ほど述べた「べき」の先にあったもの。それは、
娘たちは皆と同じようには生きられてはいないけど、それを目指して必死に努力している姿が、周りの人を納得させる材料になるから。
周りの人が納得してくれていることが、私たち家族の心の安定につながるから。
私は、娘たちの心を置いてきぼりにしてまで、周囲の目から自分たちを守ることに必死になっていたのです。
そうでなければ私たちは、暗闇に取り残されてしまうようで、とても不安で怖かったのです。
* * * *
三女を出産した当時、8歳と5歳だった姉たちは、学校に行っていない時間をフル活用して、高齢出産だった私を助けてくれました。
三女がまだ乳飲み子の時、手術のため入院した私と、生まれて初めて何日も離れ離れになることになった娘たちは、私に心配をかけないように一生懸命笑ってくれました。
小さなお母さんのように、三女のお世話や遊び相手を買って出てくれました。
そのとき私が見たのは、家の中で自分の役割を見つけ、たくましく生きようとしている長女と二女の姿でした。
三女の育児のため、私の担う役割を減らさなければならなくなったこともきっかけとなり、ようやく私の心は、ブレ始めました。
本当にこれでいいの?
私がしていることは、本当に娘たちのためになるの?
* * * * *
そんな疑問に、答えをくれたのは、他でもない娘たち。
ふと、日常の当たり前のありがたさを忘れ、無い物ねだりをして、むなしい気持ちになった時、4歳だった三女に聞いてみたことがあります。
「お母さんは、何をすればいいのかな…」
三女はこう言いました。
「ご飯を作ること。人に優しくすること。みんなを助けてあげること。」
そうだ!
そうだよ!
そうだった!
その時、三女の言う『優しくする人』とは、つい、やかましく言ってしまう長女のこと。
『助けてあげるみんな』とは、家族のこと。
彼女は、ともにお家で過ごすお姉ちゃんたちと、そこにいる母親の私をよく見て、それぞれの関係性と母である私の役割を、よく分かってくれていたのです。
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目の前にある当たり前が、当たり前であり続けるように、私にはやることがちゃんとある。
かっこいいことでも、すごいことでもない。
誰かがそれを見て、よくやってると認めてくれるようなものでもない。
だけど今は、それが私の大事な大事な役割です。