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2019.04.15.Mon

“おうち育ち”な我が家の事情

第8話 「学校復帰」こそがゴールだった…苦しかったあの時代

“おうち育ち”な我が家の事情 vol.08 「学校復帰」こそがゴールだった苦しかったあの時代

ごあいさつ

hohimaro似顔絵

こんにちは。チャリツモライターのhohimaro(ほひまろ)です。
学校や園に行かず、家庭を主な学び、育ちの場として過ごす三人の娘の母です。
学校に「行けない」日々の末に「行かない」選択をした長女(14歳)と二女(11歳)。
そして「園には行きたくない」としっかり主張した三女(5歳)。
そんな我が家の日常を、心を込めてお伝えしていきたいと思っています!

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2016年12月、日本に初めての不登校に関する法律ができました。
「教育機会確保法」というものです。

個々の状況に関わらず学校へ戻すこと、つまり「学校復帰」を目標としてきたこれまでの不登校対応から、「個々の不登校児童生徒の状況に応じた必要な支援が行われるようにする」ことを求めるものです。

これを受け、学校復帰のみにこだわった従来の不登校対応を見直すため、文科省は、「学校復帰」という文言が含まれた過去の通知(教育委員会を通して全ての小中高に送付される行政文書のこと)を全て見直す方針を明らかにしました。

* *

母子同伴登校や保健室登校、放課後登校などいろいろな“行き方”を試し、小学1年生の終わり頃、学校へ行けなくなった長女。2013年の3月のことでした。

2003年から2016年の間に、文科省は四度、「学校復帰」の文言を含む通知を出していたということなので、その後続く長女の不登校時代のうち4年弱の期間、支援の目標は「学校復帰」だったことになります。

「学校復帰」という言葉を実際聞いたり使ったりする機会はあまりありませんでしたが、学校や家族が目指すのは、元気に登校出来る日を再び迎えることであったのは確かでした。

そのために取り組んでいたことは盛りだくさん。

小学1年生の終わり頃、学校側に“本人は当面登校できない状態だ”ということを伝え、了承してもらってからも、いつも「学校」を意識する忙しい日々が続きました。

朝一、子どもの様子を担任の先生に伝える
プリントや宿題の受け渡しのために毎朝学校へ出向く
学校で何か特別な出来事があると、登校のお誘いを受ける
放課後、時折先生が家庭訪問する

親の動きのほか、子どもが一緒に関わることもいろいろありました。

持ち帰ったプリントや宿題、工作など出来る限り学校の提出物を自宅で取り組む。
月1回、放課後の学校に身体測定を受けに行く。
校区の中学校にいるスクールカウンセラーに、定期的に会いに行く。
週一の通級指導教室に通う。
市の児童相談所で、個別のカウンセリング(遊びを通したもの)を受ける。
また、専門医による見解のもとにそれぞれのベクトルを合わせるべく、児童精神科医のいる心療内科にもかかりました。
適応指導教室や、放課後等デイサービスの見学も重ねました。

私たち親も、関わってくれる先生やスタッフも、目標は学校復帰だったかもしれませんが、一番の願いは“子どもたちの笑顔と健やかな成長”
その先に、学校へ行ってみようと思える心の元気が取り戻されることが希望でした。

しかし、長女にはあらゆる動きの先にチラつく「学校復帰」は大きなプレッシャーだったことでしょう。

皆が目指した「学校へもう一度通う」というゴール。
そこへ向かおうとすればするほど、それは高すぎる壁となり、娘の前に立ちはだかりました。

越えられない壁をいつも意識する日々は、長女を苦しめました。
ゴールに近づけない毎日を繰り返すうち、自己を否定し、価値のない存在だと自分を責めるようになり、長女はパニックを起こす頻度が日に日に増しました。

結局、娘にとって学校という場所は、嫌いな場所や慣れない場所というわけではなく、感覚の過敏性や社会不安から、「怖い」と感じる、心理的に耐え難い場所であることがわかりました。
その耐え難い場所へ復帰することを周囲の誰もがゴールにしてしまっていたこと。
それが最善の方法だと考えてしまったことが、我が家のケースでは一番の問題だったのだと思います。

でもあの時には、個々の理由や事情に関わらず、「学校復帰」を目指すことが不登校児童生徒への対応であったのだから、仕方ないことだったかもしれません。

学校へ行けなくても、フリースクールなど家以外の場所へ通える子の場合は、別の目標やゴールを目指すことができたかもしれません。
しかし、家族から離れてどこかへ通うことができなかった娘には、もう一度学校へ戻ることに向かうことでしか、周囲との連帯感を得る方法を見つけられませんでした。

そんな毎日の中、長女が三年生になった時、学校復帰のみにとらわれない学校との連携をようやくスタートしたのです。

* * *

今思えば、文科省の通知は相変わらず「学校復帰」を謳う中、先生たちは思いの中に学校復帰への目標や希望を据えていても、それを娘に感じさせないように関わってくださったのです。
また、親である私たちもパニックに苦しむ長女を前に、登校を求めるような声かけをやめました。

それからの数年間は長女にとって、学校復帰というゴールを一旦リセットし、改めて自分と向き合わなければならない、苦しみもともなう時間ではありましたが、世代や枠にとらわれない出会いの数々に恵まれ、大切な時間になりました。

「学校へ行く」ということがゴールであれば、行けたか行けなかったか、結果はどちらかひとつですが、その結果に至るまでの葛藤はとても辛く、とてつもないエネルギーを必要とします。

社会不安や分離不安のある娘たちは、学校どころか、大好きなお友達や親族と会うときにさえ、たくさんのエネルギーを使います。

会いたい人に会うために。
行きたい場所へ行くために。
思いを叶えるために。

準備が必要です。
勇気が必要です。
覚悟が必要なのです。

そして「行ってきます」を叶えるまでに、その日に使えるスタミナのほとんどを消費してしまうと言っても過言ではありません。

どれだけエネルギーを要しても、心を病み、自分を責め、痛めつけるほどに苦しみながら叶えようとすることは、支援どころか、その子のあらゆる可能性を奪ってしまうことにもなりかねません。

近年、不登校の子どもたちに対して、大人から差し伸べられる支援が「学校復帰」にこだわらずに、よりその子らしい成長のしかたを応援する形にシフトしています。
これはとても良い方向転換だと思いますし、その先の未来をどう作っていくかを私たちは考え続けていく必要があると思います。

心の声に耳を傾け、その声に正直になれる、そんな環境。
正直に伝えた思いに皆が、愛情をもって、必要な支援を提供できる環境。
そんな社会を作りたいと、今、私は思っています。

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学校や園に行かず、家庭を主な学び、育ちの場として過ごす三人の娘の母です。
学校に「行けない」日々の末、「行かない」選択をした長女(13歳)、二女(10歳)。
そして、「園には行きたくない」としっかり主張した三女(5歳)。
そんな我が家の日常を、心を込めてお伝えしていきたいと思っています!
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船川 諒
WEBデザインと、記事の執筆&編集を担当しています。
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