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2019.05.10.Fri

“おうち育ち”な我が家の事情

第10話 娘が8歳で診断された「分離不安障害」とは

“おうち育ち”な我が家の事情 vol.10 8歳で診断された分離不安障害って何?

ごあいさつ

hohimaro似顔絵

こんにちは。チャリツモライターのhohimaro(ほひまろ)です。
学校や園に行かず、家庭を主な学び、育ちの場として過ごす三人の娘の母です。
学校に「行けない」日々の末に「行かない」選択をした長女(14歳)と二女(11歳)。
そして「園には行きたくない」としっかり主張した三女(5歳)。
そんな我が家の日常を、心を込めてお伝えしていきたいと思っています!

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13歳の長女は、我が家を発信基地として、夢に向かって歩きはじめています!
10歳の二女は、心と体をコントロールできる自分を目指しています!
5歳の三女は、今日も笑顔です!

すがすがしく書いてみましたが、ずっと前からこんな風に言えたわけではありません。
言葉にできない時間をくぐり抜け、今があります。(今でもなお、その渦中にいますが…)

今回お届けするのは、私たち家族が長い時間をかけて向き合ってきた「分離不安障害(ぶんりふあんしょうがい)」のお話です。

* *

二女は8歳の時、「分離不安障害」という診断を受けました。
長女は診断は受けていませんが、幼稚園に入園し、場面緘黙症を発症した頃に専門医に診せていたら分離不安障害と診断されていたかもしれません。

分離不安障害とは精神医学的障害のひとつ。
愛着のある人物や場所から離れることに対し、過剰な不安と苦痛を感じる状態です。

国際的な診断マニュアル「DSM-5」によると、次の診断基準のうち3項目以上を満たしていることが分離不安障害の条件となります。

  • (1) 家または愛着をもっている重要な人物からの分離が予測される、または、経験されるときの反復的で過剰な苦痛
  • (2) 愛着をもっている重要な人物を失うかもしれない、またはその人に病気、負傷、災害、または死など、危害が及ぶかもしれない、という持続的で過剰な心配
  • (3) 愛着をもっている重要な人物から分離される運の悪い出来事(例:迷子になる、事故に遭う、誘拐される、病気になる)を経験するという持続的で過剰な心配
  • (4) 分離への恐怖のため、家から離れ、学校、仕事、または、その他の場所へ出かけることについての、持続的な抵抗または拒否
  • (5) 1人でいること、または、愛着をもっている重要な人物がいないで、家または他の状況で過ごすことへの、持続的で過剰な恐怖または抵抗
  • (6) 家を離れて寝る、または愛着を持っている重要な人物が近くにいないで就寝することへの、持続的な抵抗または拒否
  • (7) 分離を主題とした悪夢の反復
  • (8) 愛着をもっている重要な人物から分離される、または、予測されるときの、反復する身体症状(例:頭痛、胃痛、嘔気、嘔吐)
ウィキペディア「分離不安障害

これを読んでどう感じますか?
私は、分離不安障害と診断されるような子どもを育てていなかったら、
「これって、子どもにはありがちなことじゃない?誰しも少なからず見当たるでしょう」
そう感じていたかもしれません。

でも、ここには鍵となるポイントがあります。
キーワードは、上の診断基準でいうと「過剰」「予測」
これは、私の経験から思うことです。

二女は診断基準にある通り、分離されることやそれを予測させることに過剰な不安を感じ、パニックのような状態になることがあります。

分離に対して、拒否や抵抗を強く示します。
また、実際の分離だけでなく予測される不安からも、吐き気などの身体症状が出ます。

眠る時、私が一緒というだけでなく、私が起きていることが必要で、眠った後も幾度か目覚め、私の存在を確認し、手を繋いでほしいと求めます。

どんなに素敵な計画でも、家以外の場所へ出かけたり泊まったりすることに抵抗します。

* * *

我が家ではいくつかの相談機関を定期的に訪れ、心療内科/精神科にもかかっています。

そこで得られる知識やアドバイスはもちろんですが、これまでの経験によって培われてきた感覚は、私が娘たちの「愛着のある、重要な人物」であるためにとても大切だと感じています。

長女も幼い頃から分離に対して激しい拒否や抵抗を示していました。
尋常ではない泣き方でしがみつき、頭痛と微熱が続く毎日。
でも、それが日常になると、「過剰」であるのかどうかがボンヤリとしてきて、ありがちなことのように思えました。

その結果やることは強硬な分離への挑戦

その頃、私は分離不安障害を知りませんでした。
代わりに、「母子分離」という言葉に過敏に反応してしまう自分がいました。

同じ年頃の子どもたちが、お母さんに手を振って幼稚園に通う姿を横目に、泣きじゃくり、しがみつき、いつまでも抵抗する娘。

「母子分離」がうまくできていない、失敗例のように感じました。

「時期が来れば親は、子どもを少し突き放すぐらいがちょうどいい。
泣く子供にいつまでも手をかけ振り返るから、親と離れたがらない。
親離れできないのは、子離れできない親のせい。」

母子分離という言葉から私が感じ取ってしまったイメージのおかげで、私は自分の感覚に蓋をして、母子分離を成功させることに必死になっていました。

「娘の状態は、母子分離の失敗なんかじゃなく、きっと違う何かがある」

蓋をしたその感覚に、あの時の私はまだ、自信がなかったのです。

分離不安障害の診断を受けた二女は、経験したこともない“迷子”になることをとても恐れていました。
とある場所で母親である私とはぐれ、迷子になった場面を、あたかも経験したかのようにリアルに想像していたと言います。想像というより、その記憶を思い出すと表現しました。
その不安から、外出することに怖さを感じていて、外出するときには必ず固く手を繋ぐことを求めました。

長女が幼い頃、繋いでいる私の手をさらに自分の手にきつく巻きつける仕草をしていました。繋いだ手が、するりとほどけてはぐれてしまうことを不安に感じていたのでしょう。

それと全く同じ手の動きを、二女もしていることに気づいた時、蓋をしたあの思いがふと顔を出しました。

* * * *

「子どもは離れたくないと甘えているだけ。
無理矢理にでも離し、何も起こらなかった経験を重ねれば自然に親離れができる。
出来ないのは、それをしていないだけ。」

私が、感覚に蓋をするきっかけになった、周囲の人たちから直接、または間接的に言われていた言葉。
また、言われなくても、離れられない娘を見て、被害妄想のように感じてしまった思い。
そして、その思いに断固違うと言えなかったのは、全てがNOとは思えなかったから。

生まれ持った特性があったとしても、その特性によって、制限される経験や環境によって後付けされるものもあると思います。
だから、子どもが離れられないのは、そんな風に育ててしまった私のせい。
そう感じた私は、みんながやってきたことを取り戻して、同じ場所に立ちたいと思いました。
我が子に誰よりも密接に関わっていながら、娘たちのほんの一端を見て断言される言葉に翻弄されてしまったのです。

でもやっぱり、感覚的にわかる。
怖がり方、泣き方、拒み方…
その必死さは、我慢とかがんばりで何とか乗り越えられるものとは違う。

では、その根拠は?
それは言葉では伝えにくい、関わりと共に確信した親の感覚です。

「やらせる前から親が不安になって止めているのだろう?試したことはあるのか?」
と言われてしまうかもしれません。

誰かにとっては取るに足らない挑戦かもしれませんが、娘たちにとっては大きな苦痛を強いられるほどの分離の数々を私は経験させました。

正しい理解と正しい支援のない強硬で強制的な分離や指導は、後に二次障害と呼ばれる不安障害などを引き起こす可能性があると学びました。
場面緘黙症や分離不安障害は、発達障害など先天的な生き辛さに対し、適切な支援や関わりがなされなかった場合に発症する二次障害とされることもあるのです。

発達障害がある(もしくはその疑いがある)子どもに対して、環境調整など適切な対応がなされなかった場合、その子にとって受け入れられない問題が生じ、場面緘黙になる場合があります。

場面緘黙(かんもく)の原因とは?声が出ない要因、子どもの緘黙はなぜ起こる?大人の場合は?について解説/LITALICO発達ナビ

* * * * *

いつも通りでなくなることに大きな大きな不安を抱える二女にまつわる、こんなエピソードがあります。

ある日、娘たちとショッピングに出かけたときのこと。
おしゃれに無頓着な私を見かねて、長女が「たまには綺麗な服でも着てみたら?」と、靴からアクセサリーまでトータルコーディネイトしてくれました。
せっかくだからと、更衣室で試着して娘たちに見てもらいました。

いつもなら、気楽なボーダーか白のゆるめの服に、シューズが定番スタイルなのですが、長女が選んでくれたのは濃い目のカラーでシルエットのきれいな服や小物。
先のとがったスタイリッシュなパンプス。

長女は全部揃えた方がいいと言ってくれましたが、予算の都合もあり、あまり背伸びしていないトップスとネックレスだけゲットして帰りました。

その夜、長女がこっそり教えてくれました。
あの時、二女はお母さんがいつも通りじゃなくなるような気がして、不安で、私が更衣室に入っている時にひっそり泣いたそうです。
素敵な服を着て、たまにはおしゃれもしたいだろうお母さんに、心配をかけたくなくてこっそり泣いていたと。

妹を不憫に思った姉は、そのことを私に知らせてくれたのでした。

いつも通りの安心の形が壊れることがとても不安で、こわい。

それくらいのことで、と呆れられるかもしれませんが、そのこわさは本人にしかわかりません。

着る服が違っても、お母さんはお母さん。
本当は何も変わらないと分かっていても、変わってしまいそうでこわいのです。

だから「大丈夫」という言葉はそんなとき心に響かないのです。

ただ寄り添って、その不安を受け止める。
その時、二女の不安を受け止めてくれたのは、長女でした。

全てを受け入れ、何も変えずどこへも行かず過ごすことはできません。

仮にずっとそこにいて、ずっと同じ服を着て、毎日同じ言葉をかけたとしても、季節は巡り、差し込む光や聞こえてくる音、体が感じる暑さ寒さは変化します。
私は少しずつ歳を取り、子どもたちは日に日に大きくなります。
避けては通れない変化に、娘は日々向き合っています。

感覚が過敏で、変化することが不安な者にとって、そうでない人には当たり前に通過する日常さえも、言わば試練なのです。

不安になったらどうすれば楽になるか、対症療法を探りながら、不安を生み出すサイクルを修正していく地道な歩みが、今の私達家族を作っています。

できないのはやっていないからとは一概には言えません。
手段は違っていても、成長過程の中であの手この手で挑戦してきた結果であることもあるのです。

だからもし、「おや?」と感じることがあれば、その感覚にひとまず正直になってみて下さい。
その上で、信頼できる相談機関に問い合わせてほしいと思います。

そして分離不安障害のある人だけでなく、その人の愛着のある重要な人物になった人へも、深い理解とサポートが必要だと私は感じています。

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学校や園に行かず、家庭を主な学び、育ちの場として過ごす三人の娘の母です。
学校に「行けない」日々の末、「行かない」選択をした長女(13歳)、二女(10歳)。
そして、「園には行きたくない」としっかり主張した三女(5歳)。
そんな我が家の日常を、心を込めてお伝えしていきたいと思っています!
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船川 諒
WEBデザインと、記事の執筆&編集を担当しています。
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