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2019.07.29.Mon

ひもジャーナリストが行く!

第1話 ひもっち、シリア難民のヒモになる

コーナー紹介

ひもっちイラスト
ひもっち

こんにちは。学生ジャーナリストの日下部です。
旅行先でシリア難民に助けられた経験から、中東・難民問題に興味を持ち、パレスチナやトルコへ行き取材をしています。
というのは表向きの自己紹介で、実際のところは、世界を股にかけて活動する、グローバルレベルのヒモ男なんです。生粋のヒモ体質をいかんなく発揮し、人種・宗教関係なくヒモとして生きています。
そんな学生ヒモジャーナリストが、世界の出来事をヒモ目線で分かりやすくレポートします!

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* * *

私は、自分の爪を切れない。

私は22歳の大学4年生だ。
苦手な物は、爪切り、マネタイズ、マーケティング。
自称ジャーナリストとして、パレスチナやトルコで難民の方を取材し、記事を書いてきた。

私は、自分の爪を自分で切ることができない。自分の体の一部である爪を自分で切るなんて、あまりにも残酷だ。大学生になるまで、おばあちゃんに爪を切ってもらっていた。

大学進学のため東京に上京した。上京して2週間が経ち、伸び切った自分の爪を見て、背筋が凍るような恐怖に襲われた。「一体誰がこの爪を切るんだ」と。
爪だけではない。靴紐も結べないし、缶コーヒーの蓋も開けられない。このままではマズイと思い、考えた結果、彼女に爪を切ってもらうことにした。

ひもっちが爪を切ってもらっている写真

私はこれまで取材のために一年の半分を海外で過ごしてきた。海外へ行くと日本との違いに驚くことがある。一方で、日本でも海外でも変わらない物もある。

爪は伸びる、ということだ。

伸びる爪を切るために、世界各地で爪切り人を見つけて来た。そして、ヒモになってきた。科学的データはないが、他人の爪を切れる人とヒモ男との相性は抜群だ。
生き抜くためにヒモになってきた私だが、今回はシリア難民のヒモになった話を紹介する。

* * *

ヨルダンの街並み
ヨルダンの街並み

大学の授業でペトラ遺跡を知り、その壮大さに感化され今から3年前にヨルダンを訪れた。
飛行機を乗り継ぎ首都アンマンの空港に到着、そこからバスに乗った。空港からヨルダン市内に行くには、バスの終点まで行き、そこからタクシーに乗るのが一般的だ。しかし「10km以内は歩く」という自分ルールに則り、私はバス停からホテルまで、7kmの道のりを歩いた。

初めて歩く中東。灼熱の太陽、砂混じりの風、どこまでも広い空、全てが新鮮だった。

ヨルダンの街並みその2

そんな高揚感に包まれながらの7kmはあっという間だった。街の中心部に着き、人混みを歩いていた。お腹が減ったので屋台でご飯を買おうとポケットに手を入れた。
しかし、もぬけの殻だった。
バスを降りるまで確かに感じていたポケットの重みを今は感じない…。

今まで何不自由なく生きてきた。しかしある日突然全てを失った。自分はこの場において1番弱い存在だと感じ、その場に立ち尽くした。頭の中が真っ白になり徐々に意識が薄れていく…

そんな中、突然右肩を叩かれた。ビクッとなりながら振り返ってみると、1人の男が立っていた。私の不安に覆われた瞳を見て、彼は慌ててけれど優しくこう言った。「大丈夫か?」とても拙い英語だった。しかしそんな事どうでも良いくらい、その言葉は私を落ち着かせた。
「財布と携帯を無くした」と私は答えた。
彼はそれを聞いて笑みを浮かべながら「なんだ、そんな事でこの世の終わりみたいな顔をしていたのか」と言った。

その時はまだ理解できなかった。なぜ彼が私の境遇を聞いて笑みを浮かべたのか。そして「そんな事」扱いできるのか。

彼は続けてこう言った「俺なんか故郷を失った。家も仕事も友人もそして愛すべき家族も。でもこうして生きている。だからお前も大丈夫さ」と。
言葉の意味を理解できずにポカンとしていると、英語が通じなかったと勘違いした彼がGoogle翻訳で説明してきた。

* * *

彼はシリア難民だった。
シリアは内戦中で、ヨーロッパに大量の難民が逃れていることは知っていた。しかしそれ以上興味はなく、ヨルダンにシリア難民がいることは知らなかった。
彼は、私が初めて出会った難民だった。
自分と似た境遇の人に出会い、少し安心したと同時に、「彼も難民という苦しい立場なので私を助ける余裕はないだろう」と思った。
そんな打算をしていた私に対し彼が言ったのは、衝撃的な一言だった。
「お前、大丈夫か?俺の家に泊めてやるよ」
自分には理解できなかった。彼は難民で生活が苦しいはずなのに、なぜ初対面の外国人を助けるのか。
自己責任論が隆盛を極め、自分の生活が苦しいからと生活保護受給者を攻撃する日本で育った私には、彼の慈愛の心が奇妙に感じた。

私は彼に聞いた。
「なぜ私を助けるの?」
彼は答えた。
「困っている人を助けるのは当たり前だろ」と。
「あなたは難民で生活が苦しいだろう?別に私を助けなくてもいいよ」と私は返した。
すると彼は、「確かに俺の生活は苦しいかもしれない。でも今困っているのはお前だろ。だから助けるんだよ」と言ったのだ。
深い愛に満ち溢れた彼を見ていると様々な感情が浮かび上がり、涙が出てきた。

歩いて彼の家に向かった。喪失感を抱えながら歩いていると、とてもとても長く感じた。彼が指差した家はとても古い家だった。彼の家に入ると1人の老婆が私を迎えてくれた。彼の母親だ。
床に座っていると、「お腹が減っているだろ」と言ってパンを持ってきた。日本で食べるようなパンではない。何も味がついてない小汚いパンだった。しかし、今でもあのパンを超える食べ物に出会っていない。そして生涯出会わないだろう。

シリア難民のお母さんがくれたパンを食べるひも

パンを食べながら、私たちは自己紹介をした。
彼の名はアリ。ダマスカス出身の26歳だ。シリアで内戦が勃発した後、ヨルダンに逃れ、一緒に逃れてきた母親と2人で暮らしている。彼には私と同い年くらいの弟がいた。しかし、弟と父親は内戦で犠牲になったそうだ。

彼らのご好意で、帰りの飛行機まで彼の家に泊めていただいた。2週間ほど彼の家に泊まり、食事を頂き、街を歩き、彼らと話す日々。
彼とは片言の英語、お母さんとは全く言葉が通じなかったが、毎日笑いが絶えず本当の家族のようだった。

もちろん、彼のお母さんに爪を切ってもらった。
爪を切ってと頼んだ時のお母さんの顔を今でも忘れられない。自分の爪は自分で切ることは万国共通だと知った。
彼と彼のお母さんのお陰で自分は生きていると感じ、感謝してもしきれないほどの恩を受けた。

結局外国でも爪がきれないひもっち

* * *

帰国の日になった。しかし、日本へ帰りたくなかった。今日彼らと別れたら二度と会えない気がしたからだ。彼らに「帰りたくない」と伝えた。

すると彼はこう言った。
「帰らなきゃだめだ。日本には君の帰りを待つ人がたくさんいるだろ。愛する人が帰って来ないつらさを俺は知っている。ふとした時に胸が張り裂けそうになる。だからお前は帰るんだ。俺みたいな人をこれ以上増やしたくない。だからお前は帰るんだ」
「分かっている。でも二度と会えないかもしれないじゃないか」と私が返した。
すると彼のお母さんが、泣いちゃだめだと言わんばかりに優しく抱きしめてくれた。

さらに彼はこう言った。
「確かにそうかもしれない。俺たちだって会えないのは悲しいさ。でも会う事よりも大切なのは、お互いが同じ気持ちを持って生きて行くことだ。俺がともみにしたように、誰か困っている人をともみが助ける度に、ともみは俺らの事を思い出すことができる」と。

私はその言葉を胸に刻んだ。彼らとの思い出を忘れない為にも、そしていつの日か彼に会った時に胸を張れるように、彼のような立派な人間になると心に決めた。

抱き合って別れを惜しむ光景

結局ペトラ遺跡には行けなかったが、自分の人生においてとても重要な2週間になった。
人の温かみを知り、“目の前に困っている人がいたら助ける”という当たり前だが、とても難しいことを改めて教えて貰った。それと同時に、彼らシリア難民の為に自分も何か恩返しがしたいと思った。
でも、この時はまだ何をすれば良いのか分からなかった。

…次回に続く

本日の豆知識

「UNHCR」によると、紛争や暴力・迫害などが理由で住む家を追われた人の数は、世界で6850万人(2017年末時点)。

6850万人のうち、国内避難民が4000万人、難民が2540万人、庇護申請者が310万人となっている。そのうち、シリア難民の数は約630万人。
「難民受け入れ」と聞くとEU諸国を思い浮かべるが、世界で一番難民を受け入れているのはシリアの隣国「トルコ」で、約350万人もの難民を受け入れている。
ヨルダンは、シリア難民以前からパレスチナ人やイラク人などを難民として受け入れて来た。そのため、ヨルダンに住む人の14人に1人が難民と言われている。
ヨルダンに暮らす約64万人のシリア難民のうち、約15%が難民キャンプに、残りの約85%は難民キャンプの外で暮らしている。
ユニセフの最新の調査によると、ヨルダンに住むシリア難民の子どもの85%が、貧困ラインを下回る生活をしており、食料不足や児童労働などの問題を抱えている。

これらを解決するために日本政府にできることは、シリア難民の支援に取り組むヨルダン政府へ対する金銭的支援のみならず、ヨルダン1カ国に難民を押し付けるのではなく第三国定住制度(※)を活用しヨルダンから日本に難民を受け入れる必要があると考えられる。

himo
本名・日下部智海(TOMOMI KUSAKABE)
福岡のスラム街出身。今春、大学を卒業した23歳。ヒモ。通称「ヒモっち」。
ヨルダンでシリア難民に助けられた経験から、難民問題やイスラームの記事を書くはずが、各国でヒモとして生活。ヒモ的視点からイスラーム情報をお届け。