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2020.01.10.Fri

ひもジャーナリストが行く!

第3話 ヒモ、初キャンプは難民キャンプ

コーナー紹介

ひもっちイラスト
ひもっち

こんにちは。学生ジャーナリストの日下部です。
旅行先でシリア難民に助けられた経験から、中東・難民問題に興味を持ち、パレスチナやトルコへ行き取材をしています。
というのは表向きの自己紹介で、実際のところは、世界を股にかけて活動する、グローバルレベルのヒモ男なんです。生粋のヒモ体質をいかんなく発揮し、人種・宗教関係なくヒモとして生きています。
そんな学生ヒモジャーナリストが、世界の出来事をヒモ目線で分かりやすくレポートします!

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* * *

パレスチナ難民の今を知るため、パレスチナに渡航したものの、気がついたらパレスチナ人大学生のヒモになっていた私。
「これじゃいけない」と奮起して、パレスチナ人の彼女にお別れをしたところまで前回お伝えした。

* * *

さて、パレスチナ難民の現状を知る旅を再開しよう(まだ始まってもいなかったのだが…)と心を新たにした私。まずは情報収拾だと、街行く人に聞き込みをしていたところ、近くに難民キャンプがあることを教えてもらった。

「難民キャンプ」と聞いて、最初は聞き間違えだと思った。
なにしろ第4次中東戦争から40年以上経っているのだ。さすがにもう難民キャンプなんてないだろうと。

その一方で、『キャンプ』と聞いてワクワクしている自分がいた。
『キャンプ』とは、明るく生きてきた者だけが参加を許される、陽の者たちの社交場。小中高大と陰の者としてスクールカーストを支えてきた私にとって、それは決して叶わぬ夢だった。
将来、私が臨終の時を迎え、走馬灯が流れても、『キャンプ』のシーンは放映されない。キャンプ経験の有無で走馬灯のエンドクレジットの長さも変わるらしい。おそらく私のエンドクレジットは三秒で終わるだろう。

ひもっちが考えるキャンプのイメージ

「そんなにキャンプに行きたいのなら、一人で行けばいいのに」と言ってくる人がいる。
しかし、想像してほしい。私が一人で行くキャンプ、それはもうサバイバルであり、ただの野宿だ。野宿なんてお金がない時にたびたびしている。私がしたいのは『野宿』ではなく『キャンプ』だ。友人たちと山へ行き、テントを張り、河原でBBQをし、キャンプファイヤーから「燃えろよ燃えろ」で〆る。

「難民キャンプ」と聞いた私は、そんな「キャンプ」をパレスチナの地で味わえるのでは?と、胸を踊らせていたのである。

* * *

聞き込みで教えられた道を歩いて行くと“AL–AMARI CAMP”と書かれたアーチを見つけた。
確かに難民キャンプは存在した。しかし、私の切望した『キャンプ』は存在しなかった。
テントもなければBBQも行われていない。囲われた敷地にオンボロの建物が窮屈に詰め込まれているだけだ。
つくづく『キャンプ』に縁のない人生だと再認識し、難民キャンプのアーチをくぐった。

アルアマリキャンプの入り口
キャンプの入口

UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)によると、私が訪れたアル・アマリ難民キャンプは1949年に設立され、わずか0.096 平方km(東京ドーム2つ分ほどの面積)の中に約6100人が住んでいる。

アーチを抜け、難民キャンプ内を歩いていると男性に家へ招かれた。
男性の名前はムハンマド。17年前にここへ移り住み、金具屋を営みながら6人の家族と暮らしている。
彼は自分の窮状を伝えるために、矢継ぎ早に難民キャンプでの生活を話してくれた。
「ここでの生活は最悪だ。こんなに狭い土地に6000人が住んでいる。建物だってボロボロで、電気はよく止まる。仕事がないから金もない。だから何十年もこのキャンプから出られない」と。

難民キャンプでの困りごと

UNRWAによると、アル・アマリ難民キャンプは1949年の設立以来キャンプの敷地面積は変わらないものの、人口は2倍以上に増えた
キャンプでは人口増加によりインフラが圧迫され、電力不足による停電や下水道の故障による洪水が頻繁におきている。
しかし、イスラエルによる分離壁建設によってパレスチナ人の移動の自由が侵害されたことに加え、ラマッラー(キャンプのある都市)の発展に伴い不動産価格が上昇し、キャンプの外に住むことができないため、難民キャンプ内の人口は増加し続けている。

また、イスラエルで働くことができる労働許可証のキャンプ居住者への発行数が減少したことで、特に若者の失業率が高まっている。

キャンプ内を走り回る子どもたち
キャンプ内を走り回る子どもたち

彼の故郷について質問すると、急に黙り込み遠くを見ていた。声を大にし不満を述べていた彼とは、まるで別人のような語気で「もうあそこには戻れない」とつぶやいた。

彼は現在のベン・グリオン国際空港の近くの村で生まれ育ったが、戦争により身の危険を感じ彼の両親は故郷を離れる決断を下した。それから難民となりパレスチナ自治区内を転々とした。その間に両親が亡くなり、彼は結婚し子供ができた。そして17年前にこの難民キャンプに移り住んできた。

長い年月の中で彼の周りの状況は大きく変わったが、ずっと変わらないものもある。 故郷へ対する想いだ。
難民となってから数十年経ったが、今でも故郷のことを鮮明に覚えているようで、実家の特徴から隣の家に誰が住んでいたかなどを詳細に教えてくれた。そして彼は何度も「死ぬ前に一度でいいからあそこに帰りたい」と言っていた。

多くの難民の方は、遠く離れた国から故郷のことを思い出す。
しかし彼の場合は違う。
ここから彼の故郷までは、車で2時間もかからない距離だ。

「それならいつでも帰れるのでは?」と思うかもしれないが、彼の帰郷を大きな“壁”が阻んでいる。比喩的な壁ではなく本物の壁だ。
イスラエル政府は2002年より、パレスチナ人による自爆テロを防ぐために、ヨルダン川西側地区との境界に分離壁を建設しているのだ。
コンクリートやフェンスでこしらえられ、ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区をぐるっと取り囲んでいるこの壁の総延長は実に450kmにも及ぶ。

ラマッラー周辺の分離壁
ラマッラー周辺の分離壁

2004年、国際司法裁判所は、イスラエルによる分離壁建設は国際法違反とし、パレスチナ住民の人権を回復するために、分離壁の建設中止と撤去を求めた。
しかし、分離壁の建設は中止されなかった。
壁は撤去されることなく現在もパレスチナ人の前に立ちはだかるばかりか、今も新たな壁の建設工事が続いている。

ベツレヘムという町の分離壁
ベツレヘムという町の分離壁

ムハンマドが、故郷の場所を教えるために地図を描いてくれたときのこと。
私が何気なく「これはイスラエルの地図か」と呟いた。すると彼は「君たちにとってこれは、イスラエルの地図に見えるかもしれないが、私にとってはパレスチナの地図だ。エルサレムもガザもテルアビブも今いるここも、全て私たちの土地だ」と声を荒げた。
私はただ、うなづくことしかできなかった。

ムハンマドが書いた地図
ムハンマドが書いた地図

* * *

帰国する前に空港周辺を訪れ、彼の実家を1日かけて探した。
しかし、そこには彼の言っていた小屋も畑も友達の家もなかった。
そこにあったのは、ヘブライ語の道路標識とイスラエル人の家だった。
彼の愛する故郷は数十年の年月の中で、イスラエル人の愛する故郷へと変わっていた

今もしもここに彼を連れてきたら、彼はどう思うのか考えた。
あまりにも変わり果てた故郷の姿に絶望するか?
それともこの光景から楽しかったあの頃を思い出し涙するか?

私にはわからなかった。
数十年の時を経て、イスラエルが占領した地域をパレスチナに返せば解決する、という単純な問題ではなくなっていた。
テントもBBQもキャンプファイヤーもないキャンプで、故郷とは何かを深く考えさせられる初キャンプ体験となった。

本日の豆知識

パレスチナ難民と鍵

パレスチナの難民キャンプに行くと、鍵の絵を見かけることが多い。写真はパレスチナ自治区・ベツレヘムにあるアイーダ難民キャンプの入口だ。

鍵を持ったパレスチナ難民
イスラエル建国時に家を後にした男性。今でも家の鍵を大切に保管している

この鍵は、イスラエル建国時に、紛争から身を守るため、現在のイスラエル領にあった自宅の鍵を表している。
ほとんどの人が、一時的な避難のつもりで家を後にしたため、今でもその家の鍵を大切に持っていることを象徴している。しかし、彼らの家があった場所のほとんどは、現在イスラエル人の家が立てられている。

himo
本名・日下部智海(TOMOMI KUSAKABE)
福岡のスラム街出身。今春、大学を卒業した23歳。ヒモ。通称「ヒモっち」。
ヨルダンでシリア難民に助けられた経験から、難民問題やイスラームの記事を書くはずが、各国でヒモとして生活。ヒモ的視点からイスラーム情報をお届け。
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Bolly
普段はイラストレーターをしています。
チャリツモではチャーリーくんをはじめとしたイラストを担当。
猫と遊んでいる時が至福の時間。 http://nishiborimihoco.net/ お仕事のご相談
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ひもっち
本名・日下部智海(TOMOMI KUSAKABE)
福岡のスラム街出身。今春、大学を卒業した23歳。ヒモ。通称「ヒモっち」。
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ばんゆかこ
"多様性"や人々を分ける"境界"が関心事のキーワード。
学生時代、中東地域やインドを中心に旅をしていた。
旅人マインドをもって気ままに生きてる。
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船川 諒
WEBデザインと、記事の執筆&編集を担当しています。
猫が好き。 お仕事のご相談