ひもジャーナリストが行く!
第2話 ヒモ、パレスチナでもヒモになる
コーナー紹介
こんにちは。学生ジャーナリストの日下部です。
旅行先でシリア難民に助けられた経験から、中東・難民問題に興味を持ち、パレスチナやトルコへ行き取材をしています。
というのは表向きの自己紹介で、実際のところは、世界を股にかけて活動する、グローバルレベルのヒモ男なんです。生粋のヒモ体質をいかんなく発揮し、人種・宗教関係なくヒモとして生きています。
そんな学生ヒモジャーナリストが、世界の出来事をヒモ目線で分かりやすくレポートします!
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難民のために、何ができるか考えてみたヒモ。
ヨルダンでのヒモ生活(前回の記事)を終え、ヒモはヒモなりに思うことがあった。
私は、よくできた人間ではないし、ヒモなだけあってよくクズと言われる。しかし、私の名誉のためにこれだけは言っておきたい。
『ヒモはヒモでも、私は善良なヒモだ』
寄生しながら外に女を作るヒモとは違い、ヒモになった相手に尽くす。私は忠誠心に厚い、いわばヒモ界の善玉菌だ。
ヨルダンでシリア難民に助けられた経験を受け、何か恩返しをしたいという気持ちが芽生えたが、何をすれば良いのか分からなかった。
とにかく何かしたいと考え「シリア難民 支援」とGoogleで検索した。
日本赤十字社が行なっている中東人道危機救援金を見つけ、寄付をした。
いつもは人からお金をもらうヒモが、他人にお金をあげるなど、天地がひっくり返るような出来事だった。
他に自分は何ができるのか考えていくうちに、自分がシリアや難民についてあまり知らないことに気がついた。
そこでまず、「シリアとはどのような国か?」「シリア内戦とは何か?」「難民とは何か?」を調べる事にした。
私は、難民の歴史について調べるうちに、パレスチナ難民という存在に出会った。
パレスチナ難民とは、1948年のイスラエル建国宣言を受け、イスラエルと周辺国との間で勃発した第1次中東戦争により、故郷を追われることになったパレスチナ人のことだ。
今でも彼らの多くは難民のままであり、2017年に実施されたUNRWA(国際連合パレスチナ難民救済事業機関)の調査では、現在もおよそ587万人もの人々がパレスチナ難民でえるとされている。
「難民」の歴史とは、彼らパレスチナ難民の歴史と言っても過言ではないだろう。
彼らの“今”が気になった私は、パレスチナを訪れる事にした。
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いざ、パレスチナへ!
思い立った2016年8月、イスラエルから入国し※1、パレスチナの事実上の首都ラマッラーに向かった。
パレスチナは1988年に独立宣言をしたものの、国連には加盟しておらず、日本は国家承認していない。2019年現在、パレスチナを国家承認している国は137カ国だ※2。
勢いでパレスチナについたはいいものの、一人でいるのは寂しいので、STARS&BUCKS CAFÉという某世界的チェーンに類似したお店に行き、お茶をしている女の子に話しかけた。
「日本から一人でこの街に来て、言葉も通じずに本当に寂しい。ねえ、どうしてくれる?」と。
はじめは「何このやばい人」という目で見られたが、「かわいそうだから一緒にお茶してあげる」と彼女は言ってくれた。
彼女の名前はヤスミン。私と同い年の女子大生だ。彼女が初めて会う日本人だったらしく「私のイメージしていた日本人の顔とあなたは違う」と言われた。
その後彼女と、トルコの塩振りおじさんことNusretさん※の話題で意気投合し、市内を案内してもらった。
別れ際に「あなたって本当にファニーね。学校が休みだから、明日も案内してあげる」と言われ、一緒にエルサレムに行くことになった。
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エルサレムといえば、ユダヤ教・キリスト教・イスラームの聖地があり、世界で一番カオスな街だ。
1947年に国連で、パレスチナの土地をユダヤ人とアラブ人で二分するパレスチナ分割決議が採択された。この決議案の中で、エルサレムは国連が管理すると規定された。
しかし、第1次〜第4次中東戦争で、イスラエルはパレスチナ分割決議で定められた国境を超え、領土を拡大。イスラエルの一連の行為は、国際社会からの非難を受け続け、1967年には国連がイスラエルに対し「最近の紛争で占領された領土」からの撤退を求めることになった(国連安保理決議242号)。
それでもイスラエルは1980年にエルサレム基本法を定め、67年から占領を続けてきたエルサレムを首都とした。これに反発した国際社会は、「エルサレム基本法は無効である」とし、国連加盟国に対してエルサレムからの大使館などの外交使節撤去を求めた(国連安保理決議478号)。
そのため、日本をはじめとしたほぼ全ての国が、イスラエルが首都と主張するエルサレムではなく、テルアビブに大使館を置いている。
なお、アメリカのトランプ大統領は、同決議を無視して2018年5月14日にアメリカ大使館をテルアビブからエルサレムに移転した。
トランプの発表についてどう思うかヤスミンに連絡したところ「ファッキン トランプ ビッチ」とコメントをくれた。
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ヤスミンは日頃あまり外に出ないらしく、エルサレムの街を歩いているとすぐに休憩しようと誘ってくる。ケバブ屋やアイスクリーム屋などに入っては、「あなたお金ないでしょ」と奢ってくれる。
アイスを食べながら、パレスチナの大学生の恋バナを聞いた。ヤスミンは、一度も彼氏ができたことがないらしい。同級生もほとんど彼女と同じだそうだ。授業や休憩時間に男女が同じ空間にいるのに、一切関わろうとしないらしい。だから彼女には大学で一人も男友達がいないそうだ。
宗教的な理由が原因なのかなと思いながら「なぜ男の子と話さないの?」とヤスミンに聞くと、顔を赤らめながら「恥ずかしいのよ!」と言われた。予想外の返しをしたヤスミンに少しドキッとしながら、アイスを奢ってもらった。
その翌日も翌々日もヤスミンにいろんな場所に連れて行ってもらい、バス代を出してもらい、ご飯をご馳走になり、服も買ってもらった。
そして、気づいたら彼女のヒモになっていた…。
* * *
信じてほしい、今回はまったくの無意識だ。法律用語で言えば、善意有過失。
彼女と出会って1週間が過ぎた頃に、ヒモになっていることに気がついた。
「パレスチナ難民の今を知る」という崇高な目的を持って、パレスチナに来たはずなのに、パレスチナ人のヒモになっている自分に絶望した。水シャワーを浴びながら「俺はヒモだ。俺はクズだ」と100回唱えて自分を戒めた。
そして彼女に別れを告げることにした。
夜ご飯を食べながら「明日旅立たないといけない」と彼女に伝えた。
彼女は「この1週間本当に楽しかった。ありがとう」と言ってくれた。今までの感謝の意味を込めて、ディナー代を払おうとすると、彼女が突然「ムシケラ、ムシケラ」と叫び出した。
「お金を払おうとしているのに、なぜムシケラ呼ばわり?最後の最後で、ヤスミンも堪忍袋の尾が切れたか」と思っていたら、「ムシケラ」とはアラビア語で「問題」という意味の単語らしく「お金を払うなんてあなたらしくない。私に払わせて」と言われた。
結局彼女がお支払いをし、彼女をバス停まで送って行った。
感謝を込めて握手をし、彼女はバスに乗り込んだ。
走り出したバスが、離れて行くにつれ、霞んで見えた。
本日の豆知識
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教と聞いて、特色や違いが分からない人が多いだろう。そこで今回は、3つの宗教の関係を牛丼屋に例えてわかりやすく解説していく。
3つの宗教の中で最初にできたのはユダヤ教。次がキリスト教。最後にイスラームだ。
1899年に創業した吉野家がユダヤ教、1968年に創業した松屋がキリスト教、1982年に創業したすき家がイスラームと置き換えることができる。
ユダヤ教では神のことを「ヤハウェ」、キリスト教では「ゴッド」、イスラム教では「アッラー」と呼ぶ。
吉野家とすき家では牛丼のことを「牛丼」と呼び、松屋では「牛めし」と呼ぶ。呼び名が違うだけで、牛めしを注文しても出てくるのは牛丼だ。
老舗の吉野家、味噌汁が付いてくる松屋、バリエーション豊富なすき家というように、各社それぞれオリジナリティがあり、トッピングやサービスに違いがある。しかし、牛丼屋という点では共通している。
同様に、老舗のユダヤ教、三位一体が付いてくるキリスト教、戒律が豊富なイスラム教というように、各宗教それぞれオリジナリティがあり、礼拝の仕方や何に重きを置くのかなど違いがある。しかし、同じ神を信仰しているという点では共通している。