あなたは今日、何人のひととおしゃべりしましたか?
電車、学校、会社、スーパーマーケット...日々さまざまな場所で、たくさんの人とすれ違っているけれど、ほとんどの人とは言葉を交わすことなく日々を過ごしていませんか?
「たまたまおなじ時代を生き、おなじ社会に住む人たちの話を、もっともっと聞いてみたい」と思ったチャリツモライターのひもっち。この連載では、自称“ひも”の彼がこれまで培ってきた“人たらし”の力をフル活用し、街行く人のホンネを探ります。
今日のお話し相手
ネパール人新聞奨学生の
アソルガさん
こんにちは。ひもです。「ちょっとお話、い〜ですか?」というゆるいインタビューコーナー第2回は、僕のゼミの水田先生(51歳)から紹介されたネパール人留学生のアソルガさん(22歳)です。彼は新聞奨学生※として朝・夕、新聞を配達しながら、日本語学校に通っています。
それじゃあ
いってみよう!
ヒンドゥー教徒ではなくキリスト教徒?
本日はよろしくお願いします。まずは、アソルガさんの簡単なプロフィールを教えてください。
アジアの最貧国、ネパールの首都カトマンズから来ました。アソルガと申します。22歳で、新聞奨学生をしながら日本語学校に通っています。
いきなりで申し訳ないですが、どこで30ほど歳の離れた水田先生と知り合ったのですか?
私が礼拝に行ったり、日曜日にボランティアで子ども達にお絵かきを教えている埼玉県の教会で出会いました。
じゃあアソルガさんはクリスチャンですか?ネパールってヒンドウー教のイメージがあったので意外です。
確かにネパールでは、ヒンドゥー教徒が8割※1くらいです。私のようなキリスト教徒はとても珍しいです。私がクリスチャンになったのには、少し変わった経緯がありまして…。
変わった経緯とは?
昔、私のおじいちゃんが病気になって、ネパール中の医者に診せても治らないと言われました。諦めきれなかった私の家族は、凄いパワーを持つ神父がいるという情報を耳にし、おじいちゃんを教会へ連れて行きました。
とても怪しい話ですね。高額の壺や、パワーストーンとかを買わされるオチですか?
違います。その神父さんがおじいちゃんにパワーを送ったら、本当におじいちゃんの病気が治ったんです!
え、本当ですか?
本当です。
それで私たち一家は「Oh Jesus Christ!」となり、クリスチャンに改宗し、父は仕事を辞め、教会に入りました。
その後父は必死に勉強し、今では独立して、ネパールで教会を開いています。
そんな特別な経緯があるので、父は私に教会の跡を継いで欲しいそうです。
将来の夢はアニメーター
初っ端なから凄いエピソードが出てきましたね。お父さんはアソルガさんに跡を継いで欲しいとのことですが、アソルガさん的にはどうなんですか?
父のことが大好きですし、心の底から尊敬しています。でも私にはどうしても叶えたい夢があるんです。
その夢とは?
アニメーターになることです。
意外です。これまでの話からは、想像できませんでした。アニメーターになりたいと思ったきっかけは?
子どもの時にたまたまテレビで見た鉄腕アトムです。絵のかっこよさに感動し、それ以来、絵を描くことに熱中していきました。
私が、アニメーターになるという夢を持つ一方で、父は別の考えを持っていました。
別の考えとは?
父は私にアートではなく、ITやビジネスを勉強して欲しかったそうです。
アニメーションの世界で成功するのはとても難しいチャレンジなので、子どもの将来を心配する親として、他の人と同じようにエンジニアやビジネスマンになって欲しいと考えるのは当然だと思います。
ご両親のお気持ちもよくわかります。
だけど私は、どうしてもアートの世界で生きていくという夢を諦めることができず、父を説得し、高校卒業後はネパール最古の大学である国立トリブバン大学で美術を専攻することになりました。
立ちはだかる第1の壁
アートに対する熱意も、父親を説得して美術学部に入っちゃう行動力も凄いですね!大学ではどのようなスクールライフを送ったのですか?
美術を学べる大学に入学し、ここからが夢へ向けてのスタート地点だと思い、必死に勉強しました。毎日がとても充実していたことを覚えています。
でも、そんな幸せな時間もすぐに終わってしまいました。
え?どうしてですか?
入学してから半年ほど経った2015年4月25日、ネパールで大地震が発生したのです。この地震によって多くの家屋が倒壊し、8600人以上※2の尊い命が犠牲になりました。私の大学も建物が全壊し、閉鎖を余儀なくされてしまいました。
やっとスタート地点に立てたのに、一瞬にして全てが無くなってしまったのです。
あまりにも残酷すぎます。
これで教会を継いでもらえると、父はホッとしたかもしれません。私自身も、教会を継げという宿命なのかな?と思いました。
でも、やはり夢を諦めることはできませんでした。どうしてもアートの世界で生きたいと思ったのです。
では、ネパールの違う学校に行ったのですか?
いえ、他の学校も同じような状況だったのでネパールでは無理だと思い、アメリカの学校に留学すると決めました。
でも、アメリカに留学できるようなお金はなかったので、働いてお金を貯めることにしました。
どのようなお仕事をしたのですか?
子ども達に勉強を教えたり、教育を受けられなかった女性に学校で英語を教えるアルバイトです。
生徒といっても私よりもかなり年上です。彼女たちは貧困のために児童労働を強いられていたり、「女性は勉強しなくてよい」という古い価値観のせいで教育を受けることができませんでした。
ネパールは今も貧しいままなので、彼女たちが子どもだった頃から状況はさほど変わっていません。教育制度が十分に整っていないので、15歳以上の成人識字率が48.6%※3というデータもあります。そういったネパールの悲惨な状況に当事者として関わっていく中で、自分の考え方に変化が生じました。
どのような変化ですか?
「ネパールに存在する貧困の連鎖を、テクノロジーと教育の力で打ち破りたい。そのために、娯楽的なアニメではなく、アニメーションを用いた教材を作るために、アニメーターになるんだ」という心境の変化です。
目で見て、耳で聞いて学べるアニメーション教材ならば、識字率も年齢も関係なく全ての人にアクセスできます。
教育は、貧困から抜け出すための唯一の希望ですものね。
またしても運命に翻弄され
大学閉鎖から2年が経った2017年、志望していたアメリカの学校からやっと入学許可の通知が届きました。2年間必死に働いてお金を貯め、待ちに待った知らせだったのでとても嬉しかったです。
2年間の努力が報われて本当に良かったですね!
「ネパールから貧困をなくすために」と強い決意を持って、アメリカのサンフランシスコへと旅立ちました。もちろん私にとって初めての海外渡航です。
希望と一抹の不安を抱えながら、って感じですね。
無事にアメリカの空港に降り立ちました。
しかし、入国できませんでした。
え?なぜ?
トランプ政権によって厳格化された、入国規制の影響です。
私のビザの書類に不備はなく、もちろん犯罪歴もありませんでした。しかし、何度ビザの書類を入国管理官に見せても、彼らはアメリカへの入国を認めてくれませんでした。
そして、明確な説明もなくネパールへ強制送還されたのです。2年間必死で頑張った努力が全て水の泡です。
アメリカの学校には入学できなかったんですね…。
正直、とても落ち込みました。家族にも合わせる顔がなくネパールに帰国してからの数週間、自分の部屋に引きこもりました。アートの道は諦め、神父になるための学校に行こうかなとも考えました。
でも、やっぱり自分の夢を諦めることができなかったのです。
それはなぜですか?
私はアメリカに行くまでの2年間、学校で生徒達に「どんなことがあっても、決して夢を諦めてはいけない」と言ってきました。それなのに、ここで私が夢を諦めてしまうと、生徒たちに「貧しい人は夢を持ってはいけない」というメッセージを送ってしまうことになるからです。
「どんなに貧しくても、どんなに悲惨な境遇にいても、誰もが夢を持ちそれを追い求める権利がある。それを私が証明してみせる」という気持ちで、私は夢に向かって再び走り出しました。
もはやアソルガさん1人の夢ではなく、多くの人の思いを乗せた夢なんですね。
新聞奨学生として日本へ
それから少し経ち、たまたま日本の新聞社がネパール国内で新聞奨学生を募集していることを知りました。
新聞奨学生になれば、2年間新聞配達をしながら日本語学校で日本語を学べます。
「2年間で日本語を習得し、日本の学校でアニメーション制作を学ぶチャンスだ」と考え、新聞奨学生に応募しました。そして2018年3月に、日本に来日したのです。
これほどまでの壮絶な経験をして、まだ20歳なんですね。
日本での生活はどうでしたか?
日々、朝・夕の新聞配達と日本語学校に通う毎日です。
深夜の0時に起き、0時30分から4時30分まで朝刊の配達をします。その後7時45分に家を出て、9時から12時30分まで学校で授業を受け、1時30分から3時30分まで夕刊を配り、帰宅後は勉強・食事・睡眠。雨の日も、雪の日も、台風の日も、決して休まず配達しなければならないので、かなり過酷な仕事です。
それでもアニメーターとなり、ネパールでアニメーション教材を作るという夢のために、必死で食らいつきました。
新聞配達と並行して、日本語の勉強もしなければいけないですよね?
そうです。もちろん学校も休まず行き、新聞配達の合間や睡眠時間を削って日本語の勉強をしましたし、将来アニメーションの学校に入るためにデッサンなどもコツコツと続けました。
日本でも立ちはだかる無慈悲な壁
今月(2020年3月)で2年間の新聞奨学生を終え、日本語学校を卒業ですよね?
卒業後は日本のアニメーション専門学校に入って、夢を叶えるための勉強を始められるのですか?
いえ。実を言うと今、八方塞がりの状況です。このままだと専門学校には入学できないかもしれません。
なぜですか?
専門学校の3DCGアニメーション専攻コースから入学の内諾を得たのですが、学費があまりにも高額で払えそうにありません。
水田先生が様々な専門学校に「分割払いできないか?」と交渉してくれたのですが、良い返答をもらえませんでした。
日本への渡航費用の借金返済などをしながら、この2年間で貯めた30万円がありますが、1年の学費の4分の1にしかなりません。
ではどうするのですか?
水田先生が色々と探してくれたのですが、どうやら唯一の選択肢は新聞奨学生を継続することだそうです。
でも新聞奨学生にも1つ大きな問題があります。日本人と違い、外国人が利用できる新聞奨学生制度は、朝夕の新聞配達を行うことが条件です。しかし、専門学校は日本語学校と違い、夕刊の時間にも授業があります。奨学金を得るためには、夕刊の時間にある授業を欠席しなければなりません。でも授業の欠席が多いと留学生ビザが取り消されてしまい、日本からネパールに帰らなくてはなりません。
ネパールでの大地震、トランプ大統領による入国規制、そして今回。自らの努力ではどうしようもない壁に、再びぶつかっているのですね。
そうです。でも私は、日本でアニメーションを学び、ネパールでアニメーション教材を作るという夢を諦めたくありません。
ネパールでも、アメリカでも、理不尽な力によって夢を諦めかけました。それでもその度に私は立ち上がりました。この2年間、雨にも風にも寒さにも耐え、必死に働き、休まず学校にも行きました。全ては夢のためです。ネパールから貧困をなくすためです。
ひもっちさんは外国人の私の話を聞いてくれました。たくさん私に質問もしてくれました。私からも1つ質問をしてもよいでしょうか?
もちろんです。
貧しい境遇の元に生まれた人間は、夢を見てはいけないのでしょうか?
あとがき
アソルガさんをインタビューしてから2週間ほどが経ったが、未だに私は「貧しい境遇の元に生まれた人間は夢をみてはいけないのでしょうか?」という彼からの質問に対する答えがみつかりません。
いえ、実は答えはわかっています。誰にだって夢を持ち、それを追い求める権利はあります。しかし、金銭的、制度的な問題で夢を諦めるかけている彼へ、その言葉をかけることが適切なのか、その権利が私にあるのか?という自らの問いに対する答えがみつかりません。
でも彼のために私にできることは何かないかと考え、インタビュー記事を書くことにしました。
この記事を書くことによって、現在の彼の境遇が変化するかはわかりません。しかし、多くの人に彼のことを知ってもらえれば、記事を書くとはまた別の形で、彼に対し支援の手を差し伸ばしてくれる人がいるかもしれないと信じています。