【性犯罪厳罰化】110年ぶり刑法改正のポイントと、残る課題。

あとがき
講義では法学部3年生の学生たちが、今回の刑法改正をテーマに議論していた。
彼らの意見のうちいくつかを紹介したい。
まずは非親告罪化の是非について
「非親告罪化は賛成だが、被害者の気持ちを考えると複雑。被害者側にも責任があったと印象付けるようなメディア報道などは言いづらさを助長しているように思う。」
「私は警察官志望ですが、警察官は性被害者の声を一番最初に聞く立場になることが多い。だからこそ、情報漏えいの防止を徹底して、被害者が安心して相談できる体制づくりが必要になると思う」
「被害を告白することで、世間にさらされたり、事情聴取や裁判で長時間拘束されたりする負担を秤にかけたときに、告訴しないという自由も担保する必要があるかもしれない。非親告罪化というのは、被害者から主導権を奪うことになるのではないかとも思う。」
後半、議論の的は性犯罪の報道のしかたに
「性被害事件で、被害者の女性が飲みすぎて泥酔状態にあったなどという話を聞くと、被害者自身にも非があるのではないかと思ってしまう。ただ、その報道が全てではないだろうなと気をつけるようにはしている。」
「お酒を飲みすぎた方が悪いとか、夜道を1人で歩くのが悪いという声は結構あると思う。いじめの問題でいじめらた方にも問題があるという話にも似ているが、そうした自己責任論やうがった見方は一見カッコイイと思われがちだけど、私は法を犯した方が100%悪いと思っている。だから被害者を暗に責めるような報道は良くないと思う。」
今回の刑法改正は、声を上げ続けた被害当事者やそれを支えた市民の人々の努力の結実だ。
110年間も変わらなかった刑法を変えるために力を注いだ方々に、敬意を表したい。
インタビューで平山教授は「法律は社会のメッセージ」だと繰り返し言っていた。
だとすると、メッセージの主体となる社会とは何か。国でも司法機関でもなく、私たち国民の総体だろう。
であるならば、本来私たちはメッセージの作成に責任を持つはずだ。
メッセージが正しいか、間違っているかを議論し、新しいメッセージを作るための努力をするべきではないだろうか。
学生が議論する姿を見て、そんなことを考えた。
私たち大人は、性犯罪について、逃げずに、きちんと議論しているだろうか。