社会に最適化された性犯罪『痴漢』【前編】/ 斉藤章佳
今年8月、「男が痴漢になる理由」(イーストプレス)というタイトルの本が出版された。著者は精神保健福祉士・社会福祉士の斉藤章佳(あきよし)氏。
アルコールや薬物、ギャンブルやクレプトマニアをはじめとする各種依存症治療を行う「大森榎本クリニック」(東京・大田区)の精神保健福祉部長である斉藤氏は、2005年に日本で初めて社会内での性犯罪再犯防止プログラムを立ち上げ、痴漢や盗撮、小児性犯罪や強姦など性犯罪をくり返してきた人々の再犯防止やその治療にあたってきた。
今回の著書の中では痴漢加害者の動機や手口、それを助長する社会環境の分析や、再犯防止のための施策などを提案している。12年間で1200名を超える性犯罪の加害者臨床での経験をもとに見えてきた痴漢の実態やその対策について詳らかにするとともに、社会一般の痴漢に対する間違った認知に警鐘を鳴らす内容となっている。
これまでチャリツモでは性被害者や法学者の視点から性犯罪についてお話をお聞きしてきた。しかし性加害者について、より深く理解することは難しかった。そこで今回は、加害者臨床の分野で長いキャリアを持つ、斉藤氏の立場から見た性暴力(おもに痴漢)についてお話をうかがった。
あらゆる依存症の根っこにある“性の問題”。
斉藤先生は「男が痴漢になる理由」(イーストプレス)で、痴漢を繰り返す男性は善悪の判断はできるが特定の状況下で強迫的性衝動や行動がコントロールできない「性依存症」だと述べている。また、衝撃の事実として痴漢加害者の約半数が痴漢行為中に勃起していないことを挙げていますね。
痴漢行為は性欲解消のためだけに行われるのではなく、その多くはストレス解消のために行われるのであり、痴漢行為を繰り返すうちにそのプロセスや行為自体に耽溺するようになってしまう加害者が多いと書かれています。そうした痴漢行為自体に耽溺する加害者の精神構造を理解し、性依存症への認知を広げることが痴漢撲滅につながる大切なプロセスだと理解しました。
そこで今回のインタビューでも性犯罪と性依存症のつながりについてお聞きしたいと思っています。
ただ、その前にまず斉藤先生がなぜこの性依存症の加害者臨床現場に足を踏み入れることになったのかという経緯をお聞かせいただいきたいなと思うのですが、よろしいでしょうか?
私はもともとアルコール依存症の臨床がスタートでした。
15年前に池袋榎本クリニックに勤める前は、少年非行の分野に興味があって、大学時代もずっと非行少年と関わるボランティアをしていました。
実は私は大学までずっとサッカーをやっていて、プロを目指していたんです。高校時代にはブラジル留学をして、Jリーグチームのプロテストも受けたりしていたんですが、膝の怪我でサッカーを思うように続けられなくなってしまいました。いろいろと迷った挙句、自分が今までやってきたサッカーを通して、非行少年たちと関わり、彼らの立ち直りに役に立ちたいという単純な発想で、大学生のときに児童福祉施設の現場に飛び込んだんです。
ボランティアで訪れていたのは地方にある教護院。今で言う児童自立支援施設です。そこでは中学1年〜3年生の子どもたちが共同生活していました。
約20年前、そうした施設ではまだ教員の体罰が横行している時代で、集団の秩序を保つための暴力行為が平気で行われている現場でした。
施設から逃げ出した子どもを警察が施設に連れ戻すことがよくあったのですが、連れ戻された子どもたちをみんなの前でボコボコにするんです。逃げたらお前たちもこうなるという見せしめに。そんな受け入れがたいことが毎日目の前で起きていました。
そんな現場を約4年間見て、ほとほと嫌になって東京に出てきました。
それまで通っていた大学がたまたま福祉系だったので、卒後すぐ社会福祉士の資格は取得していたため、上京してからさらに専門コースに通って精神保健福祉士の資格を取りました。そして、就職活動で初めて訪れたのがこの榎本クリニックだったのです。ちょうどクリニックの男性スタッフに空きがあるということで、中途採用ですんなり就職できました。
このクリニックでは日本初の薬物・アルコールなどの依存症の専門治療の他に、高齢者、若者、統合失調症など幅広い患者の受け入れもしていたので、私は大学時代に関わった非行少年たちと近しい年代の患者を受け入れる「ヤングフロア」への配属を希望しました。
ところがフタを開けてみたら、配属されたのはアルコール依存症のフロアだったのです。私はアルコール依存症について何も知らないままに、依存症の臨床現場に入ることになりました。特にこだわりや使命感はなく、たまたまアルコール依存症の治療に携わることになったんです。
アルコール以外の薬物やギャンブル、その他の依存症治療っていうのも経験されたんですか?
はい。アルコール依存症の臨床をやってると、さまざまなアディクション(依存症)問題に必然的に関わるようになるんです。
例えば患者さんの子どもがシンナーなどの非行に走り不登校になったり、娘が摂食障害だとか、実は更に上の世代の親にもなんらかのアディクション問題があるとか。アルコール依存症の家族って、あらゆる問題を内包しているんです。
そのあらゆる問題のひとつが“性依存症”だったんですね。
そうです。
性依存症の問題に関わるようになったのは、私が担当していたアルコール依存症の方が犯したある事件がきっかけでした。
その患者さんは、当時断酒期間が3年程度のとても優秀生な方でした。3年間断酒できてるって、すごいことなんですよ。いわゆる回復の道に乗ってる人でした。でもその人がある事件を起こしたんです。それが性犯罪でした。しかも、幼い子どもに対する性犯罪です。
彼はすごく真面目に治療に取り組んでいて、自助グループにもしっかり参加していて私は担当していて誇りだったんですよ。そんな人が子どもに対する性犯罪を起こしたと聞いて、自分の中で整理ができませんでした。
事件が起きて、勾留されている警察署に面会にいって初めて彼から過去の性犯罪歴を聞くことになりました。彼は過去に同じ事件をくり返していたんです。
アルコール依存症の人がバイブルとして読んでる「ビッグ・ブック」という本があるんですが、確かその100ページあたりにこんなくだりがあります。
「我々は酒をやめて本当の問題に気づいた。それは性の問題だ」と。
彼の起こした事件で、この言葉の重みを痛感させられました。
奇しくも同じ時期に起きたのがあの有名な奈良小1女児誘拐殺害事件。2004年の11月の出来事です。
前科のある小児性犯罪者によるこの残虐な事件は、“性犯罪者の再犯防止”という課題を社会に突きつけました。
「ビッグブック」の一節、担当の患者が起こした性犯罪事件、奈良の小児性犯罪者による事件。いろんなことがピンと繋がって、これはやっぱり“性”の問題に対応できる受け皿が必要だと強く思いました。これを自助グループ的に言うと「ハイヤーパワーのおぼしめし」といいます。目に見えない大きな力に導かれたという感覚です。
で、すぐ理事長に「性犯罪のプログラムをやりたい」と直談判に行きました。確か私はまだ入職4年目ぐらいでしたでしょうか。当時はまだ性犯罪の再発防止プログラムなんて民間でどこもやっていなかったんですが、「失敗してもいいからやりなさい」と言う理事長の後押しもあり、性犯罪者向けの再発防止プログラムを立ち上げました。今考えてみると「思い」だけで突っ走っていたなと(笑)
ちょうどその頃国会でも奈良の事件を受けて、当時の小泉政権が法務省主導で、矯正施設内や保護観察所での性犯罪者再犯防止プログラムの導入を決めた。
私たちの再発防止プログラムと同時期に、刑務所内での性犯罪者向けの処遇プログラムが動き出したんです。これが平成18年5月のことです。
性犯罪に対する再犯防止の施策や、性依存症の治療をする所がないという問題が明るみに出たタイミングだったんですね。
ちなみに“性”の問題につながるというのはアルコール以外の依存症にも言えることですか?ギャンブルや薬物などの依存症も“性”の問題につながるのでしょうか。
繋がります。
あらゆるアディクション問題の根底には“関係依存”の問題があるんですが、関係性の問題って、さらにその根っこは“性”の問題なんです。自分の性との向き合い方の問題とも言えます。
だから依存症治療のグループの中には、“性”にまつわるいろんなエピソードがあるんです。
例えば回復途上の男女が恋愛関係に落ちることは“死のステップ”と言われ、避けたほうがいいと言われています。回復途上のアディクト同士が恋愛関係に陥ると、お互いに周りが見えなくなりスリップ(再発)し、とことんまでこじれて、最終的には死(自殺も含む)に繋がってしまいます。特にアルコールや薬物の場合は、うまくいかないケースをたくさん見てきました。
依存症からの回復と関係性や性の問題は切っても切れないものなのです。
依存症の回復の根底にある“性”の問題。しかしそれを治療する専門医療機関がない。
ちなみに榎本クリニックのように、性加害者向けのプログラムを提供している施設は全国にどのくらいあるんですか?
私が知っている限りでは横浜の「大石クリニック」、六本木の「SOMEC」、あとは大阪でやってる「もふもふねっと」。この辺だと思います。
え、それしかないんですか?
そうなんです。本来は依存症の専門医療機関で積極的に取り組んでほしいのですが、いろんな弊害というか難しさがあります。
例えば、そのような情報をホームページにアップするとします。するとやはり近隣の一般住民から不安の声がでてくることがあります。「性犯罪者がうちの近くに集まるなんて気持ち悪い」という感情をなのでしょう。
普通の依存症の患者に対しての反応とはまた違うんですね。
全然違いますね。
例えばクリニックの近くに学校があると「子どもたちが危ない」などの声が出ます。
さらに外からの反対だけじゃなく、中からの反発もあります。
医療機関は女性が多く働く職場です。きちんとした理解が得られなければ離職率に繋がる可能性もあります。女性スタッフのなかにも過去痴漢の被害に遭っている人はたくさんいるはずです。だから彼女たちからしたら、受付で診察券をやり取りするだけであってもいい気持ちはしないですよね。いくら治療で来ていても女性として受け入れがたい気持ちがあるはずです。それは正当な不安や怒りでもあるし、受け止めないといけないと思います。その上でなぜこのプログラムをやる必要性があるのかという説明をして、院内の理解を得る努力を続けることが大切であると同時に、加害者臨床の難しさでもあると思います。