サバイバーからスライバーへ。/涌井佳奈

性犯罪に関する規定が大幅に改正された改正刑法が、7月13日に施行された。
性犯罪の厳罰化や、非親告罪化などを盛り込み、明治時代の制定以来じつに110年ぶりの大幅改正だ。
女性が選挙権・被選挙権を持たず、差別的地位にいた時代の刑法が、現代の実情に即していないことは以前から指摘されてきたが、これほどまでに改正が遅れた理由はなんだったのか。
大きな要因のひとつが、性被害者が声を上げることができない社会状況にあるだろう。
性被害を訴えた被害者は、事情聴取や公判、報道の過程やその後の日常生活で、繰り返し被害体験を想起させられたり、被害者本人に責任があるように非難されたりすることで心理的・社会的ダメージを受ける(セカンドレイプといわれる)ことがある。
2014年に実施された男女間における暴力に関する調査によれば、異性に無理矢理性交渉をされた人のうち、「警察に連絡・相談した」人はわずか4.3%。
67.5%もの人が「どこ(だれ)にも相談しなかった」と回答している。(参考:内閣府男女共同参画局)
“なかったこと”にしようとする無言の圧力の中で、被害者たち自身も、つらい記憶を“なかったこと”にしようするものの、その呪縛からは逃げられずに生きつらさを抱えるという。
今回の刑法改正を契機に、私たちは性暴力とその被害者に対して、きちんと向き合うべきではないだろうか。
そんな刑法改正の国会審議を目前に控えた4月某日、一通のメールをいただいた。
名古屋市で性被害、虐待、DVなどのトラウマや生きづらさを抱えた女性の自助グループ「ピアサポート リボンの会」を運営している涌井と申します。ピアサポートと言う居場所があることを取り上げて頂きたいです。
彼女の活動を知りたいと申し出たところ、快くインタビュー取材を受けてもらえることになった。
逆境の中で生きている自分を、自分で認める。
ピアサポートリボンの会の活動について教えてください。
ピアサポートとは、同じ立場にある人たちが、互いの悩みや問題を共感しながら、相互に支え合い、ともに成長していく自助グループのことです。
『ピアサポートリボンの会』はDV・虐待・性暴力被害女性の回復を目的に、1年半前に立ち上げました。現在は月に1回、おもに名古屋市内で開催しています。
会は2部制で、1部では性被害・性虐待などの経験を持つ人たちの会。2部はDVや虐待など家庭内の問題を持っていたり、アダルトチルドレンやその他の性格上の悩みを持つ仲間たちの会です。それぞれ1時間半にわたって当事者同士でしか話せない悩みや、気持ちなどを語り合います。
他人に意見したり、アドバイスを求めたりせず、言いっぱなしや聞きっぱなしで干渉はしません。
思いを言葉に出すことで、いったん自分から悩みが放たれ、逆境の中で生きている自分を自分で認められるようになります。イライラや不安を周囲にぶつけるのではなく、分かち合える仲間の中で浄化させることが目的です。
ピアサポートの意義を教えてください。
性暴力被害は「魂の殺人」とも言われ、被害者の人生を木っ端微塵に壊してしまいます。
被害者は自己肯定感の喪失と人間不信に苛まれ、トラウマやPTSDなどを抱えながら、自分の感情や行動をうまくコントロールできずに生きづらさを抱えています。
また幼少期に受けた暴力の影響も同じです。その後の人生に多大な悪影響を及ぼします。
親からDVやネグレクトを受けたり、面前での暴力が繰り返されたりと、安心できる環境で成長できなかった場合、大人になってからも様々な症状に悩まされ続けるのです。
そうした性暴力やDVの被害者の多くは、自分の過去の出来事に蓋をして、忘れたフリをしてやり過ごそうとします。
でもうつ病・摂食障害などの精神疾患や、依存症や子どもへの虐待など、さまざまな形で現れる被害の後遺症は、痛みと向き合い、自分を受け入れることなしに解決できません。
被害者が自分自身と向き合い、傷を癒やす作業はとてつもなくつらく、苦しいものです。
記憶の奥底に沈めた事実、心を殺して見て見ぬことにした感情を思い起こすことは、1人ではとても抱えきれない。
この苦しみは、被害者でない人にはなかなか理解されません。
だからこそ同じような仲間たちと思ったことを語り合い、認め合う、安心できる場が必要なんです。
性被害のトラウマとの戦い。そして自助グループとの出会い。
涌井さんがこの活動をはじめた経緯を教えていただけますか
実は私も性被害の当事者です。
16才の時、信頼していた教師からでした。
ある日、生花クラブの帰りに部屋に呼ばれ、「花を活けてほしい」と言われました。
純粋に嬉しかったし、疑いもなく花瓶を探していたところ、被害に遭いました。
「先生が彼氏だから、誰にも言っちゃいけないよ。」と口止めされました。
その日からモノのように扱われたり、調教のような行為にエスカレートしていきましたが、異性と付き合った事もなかった私はそれが被害だとわからなかったんです。
支配される関係は卒業まで続きました。
後に被害に気づいたとき、自分の無力さや、屈辱感からその記憶を封印しましたが、今なおその時のPTSDに襲われます。
その後の人生において、どのような影響があったのでしょう?
様々な症状がでました。
例えば、男性との関係性がうまく築けなくなり、わざとキケンな人と付き合ったり、暴力を振るう男性に依存したりしました。
私を理解して、受け止めてくれる優しい人との出会い・結婚もありましたが、その人との関係も長くは続きませんでした。
どうしても、幸せを壊したくなってしまうんです。わざと大事な人を裏切るようなことをしてしまう。
人を傷つける自分を最低だと思いながら、破滅的な衝動をコントロールできない。
自分を大切にせずに、自ら苦しい状況に追い込んで傷ついたり、大切な人たちを傷つけたりしました。
どうして私は自分の人生を自らの手で壊してしまうのか、自分自身を理解できずに苦しみました。
なぜ自分や周りの人を傷つけてしまったのでしょう
いろいろ勉強してわかったのですが、性被害者の多くは過去の被害経験を自分の中では無かったことにしても、無意識にもう一度被害に遭うような状況に身を置くのだそうです。トラウマの再演技化(リイナクトメント)と言われ、過去に自分がコントロールできなかった状況を今度こそ自分の意志と力で支配しようとする試みらしいのです。私もその症状だったと思います。
それに、強烈な無価値感や自罰感がありました。
自滅的な行動や人間関係から、死にたい衝動にかられ、初めて医療機関を受診しうつ病と診断されました。
この時期からPTSD、強迫性障害が出始め、過去の被害がトラウマとなっていることを知りました。35歳のときです。性被害を受けてから18年が経っていました。
過去の性被害がトラウマになっていると知ってから、すこしは楽になったのでしょうか
全然。むしろトラウマに気付いた35歳からの5年間は、一番つらかったです。
私の人生をめちゃくちゃにした体験。それを乗り越えるためには自分と向き合って、過去を受け入れる作業をしなければなりません。
消したかった記憶の糸を、少しずつ辿っていくその作業は、本当にきつかったです。
様々な病院を渡り歩いてカウンセリングを受けたり、自分で本を読んで性被害について勉強しました。
日本には性被害やトラウマに詳しい医師が少なく、自分に合う先生を探すのもひと苦労でした。
元高校教師に法的手段を取れないかとも考えました。その教師が今もおなじように女生徒に性暴力を働いている可能性が高かったからです。
弁護士事務所で過去の性被害について話をしましたが、「18年前のことを今更蒸し返したところで、逆に名誉毀損で訴えられるよ」と相手にされませんでした。損害賠償請求権も行為から3年で時効になるそうです。
そんなふうにしばらく停滞したり、もがいたりした果てに辿りついたのが自助グループでした。
数年前、当時住んでいた東京・表参道の自助グループに参加したんです。
そこには私と同じような被害経験のある当事者たちがいて、同じように苦しみながら過去の自分と向き合い、受け入れようとしていました。
それまでお医者さんや、偉い人の本の中で「あなたは大事だよ」と言われても、「あなたたちはいいよね、光の中を歩いてきたんでしょ」なんてひねくれて真に受けられなかった私ですが、同じ傷を持つ仲間の言葉は心に響いたんです。なんだか、すごく安心しました。
そこで自分の過去を振り返って、ほつれた糸をたどって、たどって、たどって、たどった先の、あの日の自分をきちんと見つめる。自分がされたことや、どんなことを思ったか。隠してきた事実も感情も全てを認めて受け入れる。その作業を仲間とともに、少しずつ、何年という長い時間に渡って続けて、ようやく自分を取り戻すことができました。
そして名古屋に引っ越しきた際、愛知県内にひとつも自助グループがないことを知り、同じ悩みを持つ被害者たちの助けになりたくて、この「ピアサポート リボンの会」を立ち上げたんです。
サバイバーからスライバーへ。
今お話している限りは、一見、特に問題を抱えてそうには見えません。ここまで回復できるということなんですか
障害など抱えている方もいるので簡単ではありませんが、回復できるんです。ただし、そのためには苦しい時期が必要なんですよね。
性被害はよく、『自分をなくす被害』とか『魂の殺人』などと表現されます。
生きる上での根っこを壊されるんです。家で例えるなら基礎の部分を奪います。なので本来生きるために必要な睡眠や安心、人間関係にも支障をきたすし、希望や生きる意味も見いだせなくなる。
その上、過去の苦しい出来事の記憶を掘り起こし、自分と向き合わなければならない作業の必要性やつらさは、当事者でない人たちにはなかなかわかってもらえない。
私が35歳のとき、身内に18年前の性被害を告白しました。はじめは「つらかったねー」と言ってくれましたが、何度目かに「もうそろそろ忘れなさい。自分が幸せになることで相手を見返しなさい」などと言われて、正直絶望しました。
性被害は決して忘れることも、消す事も出来ない。
蓋をしても精神面、行動面に影響がでて、被害との因果関係に気づくまでにとにかく時間がかかる。被害もつらいけど『その後』はもっとつらい。
『その後』の理不尽さや精神的な孤独を、自分が無い状態で立ち向かうのはあまりに難しい。だからこそ同じ経験を持つ仲間たちと一緒に、ゆっくり自分と向き合い過去を克服していく場が必要なんです。この『ピアサポートリボンの会』のように。
私はこの会の中でサバイバー(suviver)からスライバー(thriver)へという目標を掲げています。
サバイバーはよく聞きますが、性被害やDVなど、生死にかかわる出来事から生還した人という意味。
対してスライバーというのは「成長するひと」のこと。もはや「サバイバーであることを主張する必要のなくなった人」のことです。その経験すら感謝できるみたいに。
私たちはサバイバーからスライバーへと歩みを進めるサポートを届けるため活動しています。
被害後の自分を本当の自分で生きたいと願う時、もともとあった力を上回ることもあります。
痛みと共に生きている人は、とても優しい。その優しさを少しだけ自分に向けてほしい。
『あなたは悪くない』というところまでは、たどり着けるけど『私』は悪くないと思えて『感じられなかった私』を主体にできるまで、そのお手伝いが出来たら嬉しいです。
ピアサポートリボンの会の情報はこちら
https://thrive-project.jimdo.com
あとがき
今回の取材をさせていただいた4月28日は、月一回のリボンの会の開催日だった。
名古屋市内の喫茶店でインタビューをした後、写真撮影のため、別の場所で行われたリボンの会にもお伺いした。
市内のとあるcoopの2階。8畳ほどの和室の部屋に、5・6人の参加者が集まり、会は行われていた。
プログラム中は当事者のみの参加ということで部屋の外で待たせていただき、プログラム終了後に参加者に趣旨を説明し、写真を撮らせていただいた。
プログラムでは、一輪のガーベラを回し、ガーベラを受け取った人は自分の過去や現在の悩みなど、思いのたけをあるがままに吐き出すのだという。
散会となり、人々が散り散りになっていく中、代表の涌井さんは1人の女性と話し込んでいた。
女性の話に耳を傾ける涌井さんは涙ぐんでいるように見えた。
彼女はこのリボンの回の常連で、毎回遠くから通ってきていたのですが、ここ数ヶ月姿を見せませんでした。
過去に実の父親から性的虐待を受けていた彼女は、参加した当初は言葉を発せず、意思疎通もできない状態でしたが、会を重ねるごとに徐々に心を開いてくれるようになり、最近では自分の言葉で話せるようになってきたと思っていたころだったので、どうしたんだろうと心配していました。過去に自殺未遂の経験もあるし…。
でも、今日元気な姿を見せてくれて、安心しました。しかも、最後彼女がなんて言ってたと思いますか。「わたしも涌井さんたちみたいに、運営の手伝いをして仲間を支える役目になりたい」と。
それを聞いて、とても嬉しくって。
別れ際に涌井さんは嬉しそうにそう語った。
期せずしてサバイバーからスライバーへの変化の瞬間に立ち会うことができた。