【対談:性暴力】被害当事者と、加害者臨床の立場から。

日本では長らく性暴力の被害者たちは沈黙を強いられてきました。
海外ではセクハラなどの性被害者が被害経験を、ハッシュタグをつけてSNS上で発信する「#MeToo」が世界的なムーブメントとなっているものの、日本での認知や広がりは非常に限定的です。
それでも昨年から日本国内でも自らの被害経験を語り、社会に性暴力の問題を投げかけようとする勇気ある被害者たちの行動が続き、つい先日も性暴力被害者たちの告発により、著名人や高級官僚の過去の性加害が明るみになりました。
しかし、そうした当事者たちの勇気ある行動に対して、日本国内では世間の反応は今ひとつ。ときに辛い経験を語る被害者が、心ない言葉で誹謗中傷されることもあります。
日本の厚生労働省が2016年に行った調査によると、現在働いているもしくは過去に就業経験がある25〜44歳の女性約1万人のうち、28.7%の女性がセクハラ被害を受けた経験があると回答したとのこと。
また、アメリカ国務省が約200カ国・地域を対象にした2017年の「人権報告書」で、日本は「職場でセクハラが横行している」と指摘されています。
チャリツモではそうした性暴力が横行する現実の背景にある、世間の無理解や、被害体験を語るものへの「無言の圧力」の正体が何なのかを探るべく、昨年より取材してきました。
→サバイバーからスライバーへ
→社会に最適化された性犯罪『痴漢』
今回お届けするのは、昨年9月に行われた性被害当事者の涌井佳奈さんと、多くの性犯罪者の治療に携わってきた精神保健福祉士・社会福祉士 斉藤章佳さんの対談の様子。
これまで性暴力の加害者と被害者が、対話するというのはほとんどありませんでした。また、被害者支援の支援者・加害者臨床の臨床家の対話というのも、ほとんど行われてきませんでした。
被害者側と、加害者側。対話がある意味でタブーとされてきた両者の対談から見えてくる、性暴力を巡る社会の問題とはいったい何なのでしょう。
プロフィール
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涌井佳奈
Thrive代表。高校在学時に教師からの性被害にあい、成人後にそのトラウマやPTSDに苦しみ自殺未遂まで経験。その後、地元名古屋を拠点に性被害や虐待被害の当事者が集う自助グループ「ピアサポート リボンの会」を立ち上げ、運営している。
(涌井さんの取材記事→サバイバーからスライバーへ) -
斉藤章佳
精神保健福祉士・社会福祉士/大森榎本クリニック精神保健福祉部長。性犯罪者を対象にした再発防止プログラムを日本で先駆的に運営してきた。昨年、痴漢の実態を明らかにした著書「男が痴漢になる理由(イースト・プレス)」を出版。
(斉藤さんの記事→社会に最適化された性犯罪『痴漢』)
「いずれ性を覚えるから自分が…」
名古屋で治療しながら、ピアサポート(性暴力被害者の自助グループ)を運営してから2年くらい経ったころ、性暴力被害をテーマにした映画「月光」の小澤雅人監督と斉藤先生が対談している記事を目にしました。「榎本クリニックの先生だ」ということで読み始めたのですが、加害者のことをやっているというので、記事に釘付けになったんです。そこでFacebook経由でご挨拶させていただき、その後、イベントでご一緒させていただいた際にも、ご挨拶させていただきました。
私は、加害者心理を知りたいという思いが、ずっと根底にありました。だから斉藤先生のお話を聞きたいし、被害者側と加害者側の両方の立場を知るために、対話してみたかったんです。
私の性被害のお話をさせていただくと、加害者が30代で教員で妻子持ち、エリート街道を突っ走っているようなまじめな人だったんです。私は高校在学中に被害にあっていましたが、加害者にに言われていた言葉は『じぶんは三年間彼氏だから教えるんだ」と。斉藤先生がどこかの記事で言っていた『いずれ性を覚えるから自分で…』が。
自分の中の加害性
子どもを産んでからはさらに不安定になって、子どもの前でキレたり、子どもがえりしたり、身内に暴言が止まらなかったりして、いつも死んでしまいたいと。でも同時に、母親として自分を凄く責めていた。
自助グループで、いろんな人の話を聴いてても、同じように苦しんでいる人がいます。例えば、性被害が原因で、そこから性の逸脱が始まって、売春したり、不特定の人と性交渉した結果中絶した。そのことで自分を責めている。そしてそれが加害的な行為につながっていったり…。
なので、被害と加害は、けっこう紙一重というかコインの表裏のようなイメージがあるんです。だから、すごく加害者臨床は気になります。
私が当初から持っていた問題意識は『被害者支援側と加害者臨床側が、分断されてる状況をどうにかしないといけない。当事者同士が対話するのは、ありえなくてもプログラムに携わっている臨床家同士の対話は必要だ』ということを考えていました。 被害者支援をしている方の中にも、私の問題意識に共感してくれて、我々が主催した学会でお話してもらったこともありましたが、その後、一切連絡が来なくなってしまいました。思うにあちらのクライアント(被害者)からの反発や抵抗があったようです。
被害者支援をしている精神科医の方にも、協力を仰ぎに行ったことがあります。スタッフ同士の交流の機会を作りましょうと。その方には「必要性はわかるけれどそれはできない。クライアントが怖がるし離れていってしまうと思うから。」と断られてしまいました。
関係者同士が必要性を感じていながらも成立しない。
加害者である彼らと向き合うときも必ず、背景に被害者がいる事を意識しなければならない(ダブルクライエント構造)。だから常に自分の中で「知識を更新して伝える」という作業をしなくてはならないんです。
私たちの気持ちは怒りだけじゃなくて、こんな理不尽で苦しい経験を次世代に引き受けさせたくない思いがあるので、そこを(加害者側のスタッフと)一緒に共有したいなって想いもあります。
加害者のプログラムの中に被害者たちのナマの声を反映させるやりとりで、身近にしてほしいんですよね。輪郭じゃなくて具体的で、リアルな人と人とのつながりの中で痛みを自分事にするプログラムをやってほしい。
被害者である自分たちも、(性暴力によって)自分が全くない中で反省したり、自分を大事にしたり、責任を感じたりできなかったんですよ。それはやっぱり自分が無いから。
自分の尊厳も価値もわからない上に、自分や他人を大切にしなさいっていわれても、コントロール出来なかった。
加害者もやっぱり自分を好きとか、自分を大事にしようとか言う気持ちがないんじゃないかと。
被害者に思いがいたらないひとつの要因は『知らない』ことです。被害のその後を知らない。そこは新たに学習していくしかないです。
痴漢の根底にあるもの。
たまたま触ってラッキーではなく「すみません。申し訳ありません」っていえば済む話なんだと思うんです。わざとじゃなくて触れてしまったらすぐ、すいませんと謝るべきだと思います。
「すいません」というのは相手を配慮しているからこそ出てくる言葉だと思いますが、「ラッキー」というのは相手を下に見ているんです。これくらいのことは許されるということが前提にある。
最近は被害者がだんだん声をあげる様になってきているんですけど、すごい勢いで「お前が言うな」とか言われるんですよ。回復の為にブログを書いてるだけなのに、「その顔でよくレイプとか言えますね」とか、本当になんの為に書いてくるんだろうってコメントが来ます。嫌悪感なのかな、性を語る人に対しての。「被害者らしく黙っていろ」というようなメッセージは本当に修正していかないと弊害になります。
例えば昨年、伊藤詩織さんがある記者会見で第一ボタンを開けていたことに対して、みだらだ、ふしだらだとか、もっと被害者らしくしろみたいなバッシングがあったわけですよね。あれを聞いて驚きました。 それは恐らく性被害に遭うということは、被害者にも落ち度が合って、性に対して奔放で、性欲が強くて、露出の多い服を着ているからだろうという偏見からくるバッシングだと思うんですよね。
まず、正確に加害者像、被害者像はどういうものかを社会は知らないといけない。
あとブログのコメントのお話。私もFacebookを見ていて、刑事弁護をやってる人たちのコメントを目にすることがあるんです。加害者の弁護をしないといけない彼らもある意味で歪んだ認知にあわせないと弁護活動が成り立たない。だから、職業的選択かもしれませんが歪んだ発言する人がいますし、中にはには事実とは違っていても「被害者が誘ったんだろう」と被害を受けたことを軽く見ている視点をもっている人もいます。加害者側の弁護士もそのあたりのバランス感覚を養うのは重要だと思います。
「知らない」を打ち破るために
「私が悪いんだ」で終わらせたり、「恥かしい事をされた自分を否認したい」と思ったり、「言ったら殺す」と脅されていたりします。
でも、性って社会生活上のいろんなことに関わっているので、被害者はその後の対人関係で混乱する人が多い。
ある女の子は、父親から被害をうけ母親に相談しても見過ごされました。幼い頃から大切にされるべき存在からの被害は自分は性的な価値しかないと誤認し、その後人への不信感、自分の無価値感につながって一番大事な時期を自暴自棄で過ごしました。ずっと恥や罪の意識を持っていたと言っていました。
性的に侵入される苦しみっていうのは、被害者自身が自分を守る為に言葉にできないんですよ。
彼らが幸せになるにはどうしたら良いか
グッドライフモデルの素晴らしいところは、「彼らは幸せになる為に、その手段として性犯罪を使ってきた」という新しい視点です。性犯罪者は対象行為を「生き甲斐」といいます。彼らは幸せになるための方法をそれしか知らなかったんです。 だから性暴力のような間違った方法ではなく、「人がちゃんと幸せになっていくための方法」を学ぶ必要がある。というのが最近の流れ、グッドライフモデルです。リラプスプリベンションモデルとグッドライフモデルの両方をバランスよく取り入れていくのが一番新しい方法論です。例えば過去に性犯罪を犯した人が、実際彼女ができたり、結婚することがあります。性犯罪者が加害行為の克服をする中で、恋愛や結婚をする場合、カミングアウトすべきかどうか悩むことがあります。加害者本人が、自身の人間関係の中で欲求充足できていないと、また再犯をするリスクが高まります。こうした局面を、どう考えていくかはこれからの大きな課題ですね。
性犯罪に限らないんですけど、我々もプログラムをやるうえで重要なのは3つの視点だと思っています。
まず一つは「居場所」があるということ。自分がここにいていいという場所がある。性犯罪の人って社会でも刑務所でも居場所がないですから。刑務所の中でも「一番男らしくない事件をやった」って、刑務所のヒエラルキーから排除されるんです。刑務所の中では有名な事件や殺人が一番トップに位置します。そういう社会なんです。性犯罪の人は一番男らしくない人たち、つまり、性犯罪者はどこでも排除されがちなんです。
二つ目は裏切ってはいけない「大切な人」がいること。つぎ過ちを犯しそうなとき、誰かの顔がぱっと浮かぶかどうか?この人を悲しませちゃいけないとか、裏切っちゃいけないというものがあるか。これは外的ストッパーとも言います。
最後は「希望」があるという事。自分がこの先更生してどうなりたいかという希望があるかどうか。
この3つ(居場所・大切な人・希望)は抽象的な表現ですけど、人が立ち直っていくときに絶対必要な要素だと思います。また、わたしたち人間にとっても必要不可欠な要素です。
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