Loading...
2018.06.13.Wed

【対談:性暴力】被害当事者と、加害者臨床の立場から。

日本では長らく性暴力の被害者たちは沈黙を強いられてきました。
海外ではセクハラなどの性被害者が被害経験を、ハッシュタグをつけてSNS上で発信する「#MeToo」が世界的なムーブメントとなっているものの、日本での認知や広がりは非常に限定的です。

それでも昨年から日本国内でも自らの被害経験を語り、社会に性暴力の問題を投げかけようとする勇気ある被害者たちの行動が続き、つい先日も性暴力被害者たちの告発により、著名人や高級官僚の過去の性加害が明るみになりました。
しかし、そうした当事者たちの勇気ある行動に対して、日本国内では世間の反応は今ひとつ。ときに辛い経験を語る被害者が、心ない言葉で誹謗中傷されることもあります。

日本の厚生労働省が2016年に行った調査によると、現在働いているもしくは過去に就業経験がある25〜44歳の女性約1万人のうち、28.7%の女性がセクハラ被害を受けた経験があると回答したとのこと。
また、アメリカ国務省が約200カ国・地域を対象にした2017年の「人権報告書」で、日本は「職場でセクハラが横行している」と指摘されています。

チャリツモではそうした性暴力が横行する現実の背景にある、世間の無理解や、被害体験を語るものへの「無言の圧力」の正体が何なのかを探るべく、昨年より取材してきました。

性暴力の被害当事者で、現在は名古屋で自助グループを運営しながら同じ傷を抱える人たちの助けになるべく活動している涌井佳奈さんの取材記事
サバイバーからスライバーへ
依存症治療を専門にするクリニックにて、日本で先駆的に性犯罪者の再発防止プログラムを立ち上げ、多くの性犯罪者の加害者臨床に関わってきた斉藤章佳さんの取材記事
社会に最適化された性犯罪『痴漢』

今回お届けするのは、昨年9月に行われた性被害当事者の涌井佳奈さんと、多くの性犯罪者の治療に携わってきた精神保健福祉士・社会福祉士 斉藤章佳さんの対談の様子。
これまで性暴力の加害者と被害者が、対話するというのはほとんどありませんでした。また、被害者支援の支援者・加害者臨床の臨床家の対話というのも、ほとんど行われてきませんでした。

被害者側と、加害者側。対話がある意味でタブーとされてきた両者の対談から見えてくる、性暴力を巡る社会の問題とはいったい何なのでしょう。

プロフィール

  • choinaca_yaguchi

    涌井佳奈

    Thrive代表。高校在学時に教師からの性被害にあい、成人後にそのトラウマやPTSDに苦しみ自殺未遂まで経験。その後、地元名古屋を拠点に性被害や虐待被害の当事者が集う自助グループ「ピアサポート リボンの会」を立ち上げ、運営している。
    (涌井さんの取材記事→サバイバーからスライバーへ)

  • choinaca_maru

    斉藤章佳

    精神保健福祉士・社会福祉士/大森榎本クリニック精神保健福祉部長。性犯罪者を対象にした再発防止プログラムを日本で先駆的に運営してきた。昨年、痴漢の実態を明らかにした著書「男が痴漢になる理由(イースト・プレス)」を出版。
    (斉藤さんの記事→社会に最適化された性犯罪『痴漢』)

「いずれ性を覚えるから自分が…」

おふたりの対談は初めてとのことですが、以前からお知り合いではあったんですよね。どのようなきっかけでつながったのですか?

私は昔、池袋に住んでいて、そのとき住んでいたマンションで自殺行為をしまして、そのとき初めてかかった精神科クリニックがたまたま榎本クリニック(斉藤先生が勤務するクリニック)だったんです。その時は重度のうつ病だったんですが、その原因が自分の過去の性被害のトラウマだとわからず、担当のお医者さんにも言えませんでした。結局、うつ病の薬だけもらって、東京から地元の名古屋に帰されたんです。そこから私の本当の治療が始まったんですが。
名古屋で治療しながら、ピアサポート(性暴力被害者の自助グループ)を運営してから2年くらい経ったころ、性暴力被害をテーマにした映画「月光」の小澤雅人監督と斉藤先生が対談している記事を目にしました。「榎本クリニックの先生だ」ということで読み始めたのですが、加害者のことをやっているというので、記事に釘付けになったんです。そこでFacebook経由でご挨拶させていただき、その後、イベントでご一緒させていただいた際にも、ご挨拶させていただきました。
私は、加害者心理を知りたいという思いが、ずっと根底にありました。だから斉藤先生のお話を聞きたいし、被害者側と加害者側の両方の立場を知るために、対話してみたかったんです。
私の性被害のお話をさせていただくと、加害者が30代で教員で妻子持ち、エリート街道を突っ走っているようなまじめな人だったんです。私は高校在学中に被害にあっていましたが、加害者にに言われていた言葉は『じぶんは三年間彼氏だから教えるんだ」と。斉藤先生がどこかの記事で言っていた『いずれ性を覚えるから自分で…』が。

それは「加害者の常套句(じょうとうく)」ですよね!

それが自分の中で、ピッタリ来て。


自分の中の加害性

あと、もう一つは自分たちは被害者なんですけど、加害性がすごくあるんですね。それは、被害を受けた後の行動です。私は16~34歳ぐらいまで、自分に対してもそうだし、他人に対しても、怒りの感情をコントロールできずに周囲にぶつけがちだったんです。
子どもを産んでからはさらに不安定になって、子どもの前でキレたり、子どもがえりしたり、身内に暴言が止まらなかったりして、いつも死んでしまいたいと。でも同時に、母親として自分を凄く責めていた。
自助グループで、いろんな人の話を聴いてても、同じように苦しんでいる人がいます。例えば、性被害が原因で、そこから性の逸脱が始まって、売春したり、不特定の人と性交渉した結果中絶した。そのことで自分を責めている。そしてそれが加害的な行為につながっていったり…。
なので、被害と加害は、けっこう紙一重というかコインの表裏のようなイメージがあるんです。だから、すごく加害者臨床は気になります。

私が関わっている性犯罪者の再発防止プログラムは平成18年5月に始まりましたが、立ち上げた当初から数年後、被害者支援をしている方々との対話というのを何度か試みてきました。でも、あまりうまくいっていないですよね。
私が当初から持っていた問題意識は『被害者支援側と加害者臨床側が、分断されてる状況をどうにかしないといけない。当事者同士が対話するのは、ありえなくてもプログラムに携わっている臨床家同士の対話は必要だ』ということを考えていました。
被害者支援をしている方の中にも、私の問題意識に共感してくれて、我々が主催した学会でお話してもらったこともありましたが、その後、一切連絡が来なくなってしまいました。思うにあちらのクライアント(被害者)からの反発や抵抗があったようです。
被害者支援をしている精神科医の方にも、協力を仰ぎに行ったことがあります。スタッフ同士の交流の機会を作りましょうと。その方には「必要性はわかるけれどそれはできない。クライアントが怖がるし離れていってしまうと思うから。」と断られてしまいました。
関係者同士が必要性を感じていながらも成立しない。

スタッフ同士の交流に、どのような意義がありますか?

こちら側はもちろん学ぶべき点がたくさんあるんですよ。なぜかというと、加害の実態はわかりますよね。性犯罪の種類とか行動パターン含め。しかし、被害の後遺症は多種多様で、その瞬間で終わるわけではない。被害者がその後どういう風な生活になってしまうかは本ではリアルに学べない部分です。

「尊厳を失う」とか言葉ではわかってても何を?ってことですね。

そうです。それを私たち臨床家が実際に聞いて、我々を通して彼ら(性犯罪者)に臨床的な言葉に加工してフィードバックしていかないといけないんです。

私もそれは思います。

我々もそういうところを真摯に学ばないといけないんですよね。涌井さんも被害者支援していて感じてらっしゃると思うんですけど、我々も長年加害者プログラムに携わっていると男性ですから意識しないとどうしても加害者寄りになっている自分に気づくときがあります。本来は被害と加害は天秤のような状態になってないといけないですよね。
加害者である彼らと向き合うときも必ず、背景に被害者がいる事を意識しなければならない(ダブルクライエント構造)。だから常に自分の中で「知識を更新して伝える」という作業をしなくてはならないんです。

そうですよね。斉藤先生は痴漢の本(男が痴漢になる理由 / イースト・プレス)でも、加害者が裁判で読み上げる「謝罪の手紙」の中身のなさについて触れていらっしゃいますね。加害者の中には、被害者のぼんやりした輪郭くらいのものしかなくて、いくら反省の手紙を書いても生身で繋がっている人に対しての想いで無いから、中身がないのだと思います。そう思うから、私達も何かできないかな?って思うんですよね。

私たちの気持ちは怒りだけじゃなくて、こんな理不尽で苦しい経験を次世代に引き受けさせたくない思いがあるので、そこを(加害者側のスタッフと)一緒に共有したいなって想いもあります。
加害者のプログラムの中に被害者たちのナマの声を反映させるやりとりで、身近にしてほしいんですよね。輪郭じゃなくて具体的で、リアルな人と人とのつながりの中で痛みを自分事にするプログラムをやってほしい。
被害者である自分たちも、(性暴力によって)自分が全くない中で反省したり、自分を大事にしたり、責任を感じたりできなかったんですよ。それはやっぱり自分が無いから。
自分の尊厳も価値もわからない上に、自分や他人を大切にしなさいっていわれても、コントロール出来なかった。
加害者もやっぱり自分を好きとか、自分を大事にしようとか言う気持ちがないんじゃないかと。

加害者の人は被害者の人の話を聴く機会っていうのは、直接伺う機会はないんですか?

生の声を聞くってことはまずないんですよね。そこを私も足りないなって思ってた部分だったんです。でもそのプログラムが、ある方の協力のもと「被害者からのメッセージ」という形で始まりました。刑務所でやっているプログラムにも被害者の立場に立つとか共感とかいう内容はありますが、あくまで紙面上ですから、実際のナマの声をきいて自分がどう反応するかっていうのはわかりません。

やっぱりナマの声を聞かないと、被害者の痛みを実感できないですよね。

私の中にずっと違和感としてあったのは、彼らの中で被害者の存在が完全に抜け落ちているというところです。これは驚くべき事実で、すばらしく見事に抜け落ちています。(笑)

もう忘却の彼方ですよね。

彼らにとって一番迷惑をかけたのは家族、次に職場や上司、つぎにやっと被害者なんです。これはいったい何なんだろうか?っていうのが私の中の問題意識としてありました。もともと彼らに想像力がないのか、というとそうではない。想像力は豊かなんです。なぜなら問題行動をするときは緻密にシュミーレーションして行動化します。
被害者に思いがいたらないひとつの要因は『知らない』ことです。被害のその後を知らない。そこは新たに学習していくしかないです。


痴漢の根底にあるもの。

常習化して痴漢なりわいせつなどを繰り返している人が、たまたま最初の1回でも被害者に思いが及ばないというのは、そもそもなぜなのでしょう?初回の時に「ラッキー!」しか考えないっていうのはなぜなのでしょう?

ふつうならそこで「すみません」っていいますよね。
たまたま触ってラッキーではなく「すみません。申し訳ありません」っていえば済む話なんだと思うんです。わざとじゃなくて触れてしまったらすぐ、すいませんと謝るべきだと思います。
「すいません」というのは相手を配慮しているからこそ出てくる言葉だと思いますが、「ラッキー」というのは相手を下に見ているんです。これくらいのことは許されるということが前提にある。

やっぱり、女性蔑視が根底にすごくあるんですね。そこで一緒にお話をして頂きたいのがセカンドレイプの問題で、社会の中で被害者がみんなに知って欲しいと思って声をあげた性被害者がバッシングされるこの世の中、それを僕らはどうして修正していけたらよいのか?

なんか自分の思う「セックス」と「性暴力」をごっちゃにして発言される人が多い気がします。レイプされたと言っても、「あなたも同意したんでしょ、気持ちよかったんでしょ?」ってなんか自慢しているかのような視線がきたり、周りも「そろそろ忘れたら?」とか間違った言葉が飛び交っちゃている。
最近は被害者がだんだん声をあげる様になってきているんですけど、すごい勢いで「お前が言うな」とか言われるんですよ。回復の為にブログを書いてるだけなのに、「その顔でよくレイプとか言えますね」とか、本当になんの為に書いてくるんだろうってコメントが来ます。嫌悪感なのかな、性を語る人に対しての。「被害者らしく黙っていろ」というようなメッセージは本当に修正していかないと弊害になります。

それはたぶん、さっき言われたように正確な被害者像、加害者像を知らないというところから来るバッシングですね。
例えば昨年、伊藤詩織さんがある記者会見で第一ボタンを開けていたことに対して、みだらだ、ふしだらだとか、もっと被害者らしくしろみたいなバッシングがあったわけですよね。あれを聞いて驚きました。
それは恐らく性被害に遭うということは、被害者にも落ち度が合って、性に対して奔放で、性欲が強くて、露出の多い服を着ているからだろうという偏見からくるバッシングだと思うんですよね。
まず、正確に加害者像、被害者像はどういうものかを社会は知らないといけない。

あとブログのコメントのお話。私もFacebookを見ていて、刑事弁護をやってる人たちのコメントを目にすることがあるんです。加害者の弁護をしないといけない彼らもある意味で歪んだ認知にあわせないと弁護活動が成り立たない。だから、職業的選択かもしれませんが歪んだ発言する人がいますし、中にはには事実とは違っていても「被害者が誘ったんだろう」と被害を受けたことを軽く見ている視点をもっている人もいます。加害者側の弁護士もそのあたりのバランス感覚を養うのは重要だと思います。


「知らない」を打ち破るために

お話をお聞きしていて、加害者の中にも、社会の中にも、性暴力の被害者に関しての知識や情報がないことが大きな問題だと思いました。それはこれまで被害者が声を上げることができなかったから。ではなぜ声を上げられなかったでしょう。

まず第一に、性暴力の被害者は言葉を持ってません。言葉に出来ない、これは他の犯罪と大きく違うところ。一番えぐい部分って声にも出来ないですよ。
「私が悪いんだ」で終わらせたり、「恥かしい事をされた自分を否認したい」と思ったり、「言ったら殺す」と脅されていたりします。

でも、性って社会生活上のいろんなことに関わっているので、被害者はその後の対人関係で混乱する人が多い。
ある女の子は、父親から被害をうけ母親に相談しても見過ごされました。幼い頃から大切にされるべき存在からの被害は自分は性的な価値しかないと誤認し、その後人への不信感、自分の無価値感につながって一番大事な時期を自暴自棄で過ごしました。ずっと恥や罪の意識を持っていたと言っていました。
性的に侵入される苦しみっていうのは、被害者自身が自分を守る為に言葉にできないんですよ。

痴漢の話題とかもネットですぐに炎上しますしね。不思議です。そういう炎上チームがあるのかと思うくらい、みんなバーッと出てきますよね(笑)。冤罪を主張する人、自己責任論を主張する人、一生刑務所に入れておくしかないという主張もよく見ます。被害にあった経験のある人はそれをみたとき傷つきますし、こんな声がたくさんあるんだったら我慢するしかないかな?ってそりゃ思いますよね。

そう思います。

だから、もっと性暴力や痴漢関係の正確な情報は発信しないといけないと思います。被害の実情って何なのか?冤罪の記事ばっかり目立ちますよね。おそらくPVがとれるからだと思いますが、やっぱりおかしいと思います。冤罪は痴漢の実数から比べるとほんの少しだと思います。そもそも母数が圧倒的に違うのに、痴漢冤罪と痴漢問題を同列で議論すること自体が間違っています。

なんで冤罪記事が人気があるんですかね?

男性の恐怖を防衛でき被害者性が守られるので好都合なんだと思います。あとは、痴漢問題の当事者性が隠蔽されろというメリットがあります。

被害者の肩を持った良いコメントも叩きますもんね。男の敵だと言うように。

それは叩かれたとしても、正しい発信を続けないと変わらないですね。

まあ、そういう声は気にせず身近な声を代弁することをやって行こうかな?と私は思っています。

でも昔に比べたら性暴力関連の良記事が増えましたよね。テレビはまだまだ少ないですけど、性犯罪を伝えるネットメディアはだいぶ増えましたよね。

性被害者支援の活動が広まってきた(知られてきた)のも最近ですよね。今までずーっと日の目をみなかった性被害に光があてられて、被害者支援が前に進んだのが10年とか20年とかだとしたら、そのスピードはすごく早いですよね。刑法の性犯罪の規定が、昨年の改正まで110年変わらなかったことを考えると、すごい速さで社会が変わっているようにも見えます。

日本や当院で性犯罪のプログラムが始まったのも13年前からです。まだ13年の歴史しかないんです。


彼らが幸せになるにはどうしたら良いか

長いお時間お話しいただきありがとうございます。最後にまだ話したい話題がありましたらおっしゃってください。

性暴力って他人を使って自分(の性欲や支配欲)を満たす行為じゃないですか?自分で自分を癒したり、欲を抑えられるようになるには何が大切なんですか?

現在の性犯罪者へのプログラムはずっと再発防止を中心に置いてきたんですけど、実はそのリラプスプリベンションモデルを批判する動きが以前からあって、その新しい流れがグッドライフモデルというものなんです。それには彼ら(性犯罪者)が性犯罪を使わずにどうしたら幸せになれるのかという要素が入っているんです。

グッドライフモデルの素晴らしいところは、「彼らは幸せになる為に、その手段として性犯罪を使ってきた」という新しい視点です。性犯罪者は対象行為を「生き甲斐」といいます。彼らは幸せになるための方法をそれしか知らなかったんです。
だから性暴力のような間違った方法ではなく、「人がちゃんと幸せになっていくための方法」を学ぶ必要がある。というのが最近の流れ、グッドライフモデルです。リラプスプリベンションモデルとグッドライフモデルの両方をバランスよく取り入れていくのが一番新しい方法論です。例えば過去に性犯罪を犯した人が、実際彼女ができたり、結婚することがあります。性犯罪者が加害行為の克服をする中で、恋愛や結婚をする場合、カミングアウトすべきかどうか悩むことがあります。加害者本人が、自身の人間関係の中で欲求充足できていないと、また再犯をするリスクが高まります。こうした局面を、どう考えていくかはこれからの大きな課題ですね。

大切な問題だと思います。被害者も加害者もまずはその人が自分の人生を作り直すことは大切です。そこまでいくのに優しい繋がりやあったかい関係性が必要ですが、やっぱり何にもない人が再犯してしまうのでしょうね。

そういう人は一定数います。また再犯しても誰も悲しまないし、大切な人もいないし、仕事もないしって自暴自棄になったときに使う方法としての性暴力。被害者からするととんでもない話ですが、実際にそういう類の事件はあります。

性犯罪に限らないんですけど、我々もプログラムをやるうえで重要なのは3つの視点だと思っています。
まず一つは「居場所」があるということ。自分がここにいていいという場所がある。性犯罪の人って社会でも刑務所でも居場所がないですから。刑務所の中でも「一番男らしくない事件をやった」って、刑務所のヒエラルキーから排除されるんです。刑務所の中では有名な事件や殺人が一番トップに位置します。そういう社会なんです。性犯罪の人は一番男らしくない人たち、つまり、性犯罪者はどこでも排除されがちなんです。
二つ目は裏切ってはいけない「大切な人」がいること。つぎ過ちを犯しそうなとき、誰かの顔がぱっと浮かぶかどうか?この人を悲しませちゃいけないとか、裏切っちゃいけないというものがあるか。これは外的ストッパーとも言います。
最後は「希望」があるという事。自分がこの先更生してどうなりたいかという希望があるかどうか。
この3つ(居場所・大切な人・希望)は抽象的な表現ですけど、人が立ち直っていくときに絶対必要な要素だと思います。また、わたしたち人間にとっても必要不可欠な要素です。

忘れてほしくないのは、どんなに時間が経っても被害者の心は癒えないと言う事。支配され傷つけられた側の痛みを想像した上で生き直してほしいです。


こちらの記事もおすすめです!

ライター:
船川 諒
埼玉県久喜市在住のフリーランス。
WEBデザインをすることが多く、
このサイトも作っています。
表示が崩れていたらお知らせください。
来世では猫になりたいと思っています。 お仕事のご相談

お仕事募集中 ていねいな仕事! ハイクオリティ! たのんでよかった! さんぽうよし!

チャリツモのクリエイターにお仕事をまかせてみませんか?

私たちは、クリエイターがわかりやすく社会問題を伝えるメディア。だから、むつかしいことをわかりやすく伝えることが得意なクリエイターばかりです。

記事の執筆はもちろん、WEBサイトアプリ制作紙のデザインイラストマンガ動画制作などなど。いろんなスキルを持った仲間がいます。

ぜひお気軽にご相談ください!

矢印お仕事実績

矢印お仕事の相談をする