“わたしたちの月3万円ビジネス”を仕掛けるchoinaca(ちょいなか)/前編
埼玉県北葛飾郡杉戸町(さいたまけんきたかつしかぐんすぎとまち)。
みなさんはこの町の名前、聞いたことがありますか?
隣の宮代町にはホワイトタイガーで有名な東武動物公園があり、逆どなりの幸手市には有名な権現堂桜堤があります。久喜市にはらき☆すたで有名な鷲宮神社があり、春日部市はクレヨンしんちゃんで有名です。
杉戸町にはこれと言って有名なものがありません(思いつかない)。
総じてこの地域は田舎です。関東平野のまんなかで、山もなければ海もない。見渡すと田んぼか畑くらいしかありません。
なんにもないこの田舎町の杉戸町で、衰退していく地元を“なんとかしたい”という思いで、地域を巻き込み数々の企みを仕掛け続ける人たちがいます。
その名をchoinaca(ちょいなか)という、女性2人のユニットです。
超田舎とまでは言わない、“ちょっと田舎(都心まで約1時間)”の杉戸町で、choinacaがどんなことをしているか。 今回は、自身も杉戸の隣町である久喜市に在住のライター2人がインタビューをしてきました。
choinaca(ちょいなか)とは?
メンバー
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矢口真紀(矢口さん)
プランナー
1976年生まれ 埼玉県杉戸町出身。大学卒業後、中国に留学。初就職は北京のデザイン事務所で月給3万円。その後、広告代理店やキュレーターオフィスに勤務、国内および中国での美術展や上海万博プロジェクトなど、アートやデザイン分野のイベントプロデュースに携わる。2012年、フリーランスに。イベント企画・研修講師・中国語で複業生活をしながら、藤村靖之氏主宰の「地方で仕事を創る塾」11期生卒業、田舎の可能性に開眼。2014年4月、地元である埼玉県杉戸町に戻りchoinacaを結成、自立のかたちを提案中!
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川島有美子(マルさん)
デザイナー
小・中・高と杉戸町在住。短期大学でグラフィックデザインを専攻した後、都内の映像制作会社で10年余勤務。大型イベント映像にまつわるグラフィックデザインを制作する他、モーショングラフィック及びDTP制作にも長年携わる。出産を機に退職して以降は、主婦業に専念。2013年に埼玉県へUターンし、地域の振興事業へ参加したことから地元の魅力を再発見!2014年4月からフリーのデザイナーとして活動する傍ら、ちょいなかに住む人々の小さな夢を実現する舞台として、明治初期から残る古民家を再生し、新たな息吹を吹き込むために活動中。
おもな活動
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『わたしたちの月3万円ビジネス』
工学博士の藤村靖之先生が提唱する『月3万円ビジネス』の哲学をもとに、趣味や特技を活かして、月に3万円稼げるビジネスを作ろうというセミナー。全6回(3ヶ月)の連続講座で、小さな仕事をつくるプロセスを仲間とともに学び、3ヶ月後にそれぞれのビジネスを実践する。インタビュアー「ふな」の母親も現在受講中。
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『しあわせすぎマルシェ』
杉戸町・幸手市を中心とした地域の人々が出店する3ヶ月に1度開催されるマルシェ。
『わたしたちの月3万円ビジネス』の卒業生も出店する。
インタビュアー
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ふな
幸手市出身。若い頃から職を転々とした挙句、30歳目前で会社員を諦め、フリーランスに転身。Webの仕事をしている。久喜市在住の33歳。
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ぼり
久喜市在住。フリーランスのイラストレーターとして、絵を描きながら近所のおじさんと一緒に野菜づくりに励む。
choinacaをはじめたきっかけ
今日はよろしくおねがいします。まずはchoinacaを始めるきっかけを教えてもらえますか?まずは矢口さんから。
どっから話せばいいかな…。あ、そういえば私がそういう話をするときにいつも使ってるスライドで説明してもいいですか?
おお。準備がいい。いつも話してるんですね(笑)
そうなの(笑)。最近いろんなところ飛び回ってるからね。
私自身は2年前にこのちょっと田舎の杉戸町にUターンをしてきました。
仕事はいちおう「複業家」って名乗ってます。会社を起こすんではなく、就業するんでもなく、自分で小さな仕事をいくつか持って、自分でやっていきたくてそう名乗ってます。マルもそうです。
もともとは3年半前までサラリーマンやってて、東京六本木のイベント会社で働いてました。アートのイベントとか展覧会とかをやってました。肩書きは「イベントプロデューサー」。
華やかな業界だったんですけど、実際は毎日違和感の連続でした。お客さまが神様の人間関係、人間が上流と下流にきっちりわかれてて。業種は広告代理店みたいなカタチだったんで。「おきゃくさまぁ、おきゃくさまぁ(手をモミモミしながら)」みたいな揉み手営業も嫌だった。企画を通すために、自分がいいと思ってない企画もドンドン提案して、営業して。
そんな仕事してたら、お金をもらうことが卑しいことのように感じちゃってたんですよね。結果、誰も思い入れのない仕事が多くって、何やってんだろうって思ってた。
あぁ…。地獄だわ…。
徹夜で仕事しても、最後までクライアントの顔が見れなかったりして、「これ誰がやりたかったのかな」て思ったりして。
結局最後には「わたし徹夜までして、誰のためにやったんだろ。」って。 そのむなしさに辟易(へきえき)してたんですよね。
わかるわ〜
多分ふなさんも、ぼりさんも、同じような業界だからわかると思うんだけど。
ものすごい長時間勤務だったんだけど、でも「忙しいわたしってカッコイイ!」ていう思い込みもあったの。手帳が埋まってないと不安みたいな。だからガンガン仕事して、どんどんストレスが溜まっていった。
遅くまで飲んでタクシーで帰ったり、車を買って週末レジャーに行ったりして。仕事で稼いだお金で、仕事で溜めたストレスをなんとか発散しようと必死だった。
で、ふと思う。「なにやってんだろ、ジブン」みたいな。なんていうかイタチごっこみたいな。
わかりますわかります。 テレビで「ドカ盛りグルメはしごツアー」なんて特集やった直後にダイエットサプリの通販が流れたりすると、「じゃあ、食うなよ!」ってツッコミたくなる、あの感じじゃない?
そうそう!そういう虚しさに気付いちゃったらそこから逃れられなくなっちゃった。 「わたし、このままこの仕事続けられんのかな?」って状態になって。35〜36歳のときに。
でもだからといってやりたいことも見つからなかったの。 だってそれまで「仕事」がやりたいことだと思ってたから、「仕事」以外にやりたいことがない。 あとは「会社」の傘の下から出たら、自分が何ができるのかって不安だった。会社に飼いならされてますから(笑)。
それでもとにかく「こんな生き方は嫌だ!」って思いは膨らんでいったの。だから毎日毎日「わたしは本当はなにがしたいんだろう」って考え続けたんです。 で、あるときポーンと浮かんだんです。自分がやりたいこと。
おお!なんだったんですか?
自分がやりたかったこと、それは…、自分の“披露宴”!
ってことは、つまり結婚したいってことですか?
結婚はしたいと思わないんです。“披露宴”がしたいんです。
…………(困惑)。ちょっと意味がわからないです。
自分がずっとイベント企画やってたから、自分がやりたいことっていうのもイベントに絡めちゃうんですよね。 結婚したいってわけじゃないんだけど、披露宴みたいなああいう人の顔が見える、あったかい場を作りたい。
その背景としては「わたしは30半ばで独身で、親不孝の極みだ」っていう思いを常に持ってたっていうのがあるんです。だから地元にも帰れないって思い込んでもいたんです。
きっと将来はこのまま東京で孤独死するんだろうなって思ってた。
「嫌われ松子の一生」って映画あったじゃないですか。あれに自分を重ねてて。わたし北千住に住んでたんですけど、主人公が最後北千住でボコボコにされて死ぬって映画だったんですけど、「これわたしだ!」って。
あ、わたしもそうおもったことある。 光GENJIのだれかにハマっちゃうんですよね、松子。
そうそう(笑)!内海が好きだったんですよね、たしか。
で、そんな思い込みもありつつも、わたしがやりたいことを考えながら自分と向き合ってたら、「人を笑わせるとかお祭りが好きでイベント業界に入ったんだったな」って思い出したりだとか、「親をよろこばせたかったんだな」ってことに気づいたりしたんです。 それが一生に一度の、自分の“披露宴”をやりたいって思いにつながったんです。
披露宴って親も喜ぶじゃないですか。でもそんなの自分は一生無理だと思って諦めて、そんな自分を責めたりしてた。 だからもうやっちゃえ!と。
なるほどー。お祭りが好き、人を笑わせたい、親を喜ばせたい。 そんな思いが“披露宴”的なイベントに集約されたんですね。 どんなイベントか気になります。
「矢口祭り」!
おおー!!!!!!!!すごいインパクト!
当時つるんでたクリエイターに協力してもらって、全力で祭りました(笑)。 イベントではムービーも流したんですけど、それはマルに編集をお願いしました。 それがこのオープニングムービー。
で、ここでわたしが登場してくる。
(大笑)
変身ムービーをわたしが作らされたんだよね。 はじめは断ったんだけど。
無駄にクオリティ高い!さすが映像編集のプロ。いいシゴトしますね。
そして矢口さん、あんた最高だよ!
あっはっはっは!で、この祭りをやって、もうコレで生きていきたいと。そう思ったんですね。 こんな風に生きていきたいと!
祭りの内容はどんなことやったんですか?
会場は私がいつも通ってたバーを借りて、家族や友人を40人くらい呼んで、歌ったり、踊ったりさせました。「わたしのためにすべてやれ」と。「今日はわたしのためのお祭りだ」と。
最後に父親が「これからもマキをよろしくお願いします」って挨拶をしてくれたときに、グッと来たりなんかして。今まで「結婚しろ」ばっかり言ってたうちの家族も「こんなにいい仲間がいれば、大丈夫だね」って言ってくれたんですよ。
自分自身も、これからは本気でやりたい事をやって生きていこう!と決意するきっかけになる祭りでした。まあ、20万くらいかかったんですけど。
で、その3ヶ月後に会社を退職しました。
ついに!解き放たれたんですね。
そうそう。とにかく会社を辞めて自分の生き方を模索したかったんですよね。
で、複業生活をスタートさせたんだけど、かと言って急にやりたいことがポンポンでてくるわけじゃない。 祭りで食ってけるわけもないんで(笑)。でも、みんなにこんな祭りみたいなイベントをやってほしい。そんな思いがあったから、個人向けの祭り的なイベントをお手伝いするサービスをはじめようと思ったんです。
なるほど。おもしろそうなサービスですね。 それは誰かとチーム組んでやってたんですか?
1人です。東京で!人でやってたんです。 矢口祭りみたいな「自分祭り」だったりとか「生前葬」だったりとか、個人の“ひと”にフィーチャーしたイベントを提供する事業です。
でも、ぜんぜんお金になる目処(めど)が立たず、それで食べて行くっていう未来も想像できなかったんですよ。
で、結局は生活するために、フリーランスとして前の会社からの仕事を受けて生きていくっていう状態から抜け出せずにいた。
そんなこんなで1年くらい経ったとき、マルと再会したんです。
うんうん。当時わたしは結婚して、杉戸町の隣、久喜市にUターンで戻ってきて子育てしてたんです。
その当時わたしは地元に帰る度に、シャッター街になった駅前の商店街とか、寂れていく町を見て、なんとかしたいって気持ちがあったんです。
わたしはわたしで、おんなじような事思ってたんだよね。
で、2人で「この町なんとかしたいね」って話をしたんです。なんでか、わたしたちも「この町でなにかできるんじゃないか」っていう思いがこみ上げてきたんですね。当時NHKの「あまちゃん」の中で「地元に帰ろう」っていう歌が流れてたんだけど、「これわたしのための歌じゃん!」って思ったりとか。 で、「なんかやってみよう」って誘ったら、マルも「一緒にやろうよ」と言ってくれた。
当時はもうひとりメンバーがいて、3人であらためて地元を廻ってみた。 そうしたら今まで気づかなかったリソースをたくさん見つける事ができたんですよ。
素敵な建物や道、自然だとか、歴史や文化も少なからずあった。 杉戸町には、なにもないんじゃなくて、みんな気付いてないだけなんだって思いましたね。
「このなんにもないと思われてる町で、わたしたちがアクションすれば、逆に東京よりおもしろいものができるかもしれない。とりあえずやってみよう!」って思いがひとつになってはじまったのがchoinaca(ちょいなか)なんです。
ぱちぱちぱち。(感動)
同郷のともだち同士が再び結集して、衰退した地元を救う。素敵です。