この世界が大好きだって、何度でも思い出す。|『モディリアーニにお願い』刺さるマンガだな

自宅にマンガ専用の部屋がある、ライターのくまのななさん。このコーナー「刺さるマンガだな」では、たくさんのマンガが並ぶくまのさん宅のマンガ棚から作品をピックアップ。その作品からチョイスした“心に刺さるセリフ”を、グッと深掘りしていきます。
今回ご紹介する作品は、相澤いくえさんの『モディリアーニにお願い』です。

SNSを見られない時期がありました。
主にX(旧Twitter)。それまでは寝ても覚めてもX! というくらいにツイ廃だった自分。それがいつしか「もうXなんて二度と開かん……」と、アプリから距離をとるようになりました。
なにかひとつがきっかけになった、というわけではなく。ただただ、疲れてしまったんです。
SNSをしている人ならわかるかもしれません。インターネットの中って、気づけば荒れている。
わたしが見ていたものは主にXなので、どうしてもXが主語になってしまうけど、Instagramも、TikTokも、どんなSNSだって。「コメント欄荒れすぎじゃない?」と驚いた投稿のひとつやふたつ、見たことがあるんじゃないでしょうか。
仕事の愚痴をこぼした人に「文句言うなら辞めたら」「考え甘すぎ」。笑顔の写真をアップした女性に「化粧変じゃない?」「なんでそんなに自信あるの」。
ベビーカーの話題なんて、あれ? ベビーカーっていつから着火剤になったんだっけ? と思うほどによく火がつく。ベビーカーは赤ちゃんを安心安全に運ぶための道具であって、電車・バス・エレベーターの単語と組み合わせてSNSを火の海にするアイテムではないのに!

ごうごうと激しく流れる情報の川の中で、暴れ回る暴言たち。
最初は見えていたはずのきらめく水しぶきや美しい魚は、荒れ狂う暴言の力で押し流され、いつしか心はすっからかん。言葉のトゲに触れるたびに気持ちが疲弊するようになり、ふと「X見るのやめよ」とスマホを置いたのでした。
* * *
コンビニのマンガコーナーで光を放つ、あわい色彩の表紙
Xを開かない日々が約5か月続いた、ある日のこと。まさにこの「刺さる!マンガだな」のコーナーで紹介するマンガを選んでいたときに、スーッと手が引き寄せられた作品が『モディリアーニにお願い』でした。
この作品と出会ったのは、近所のコンビニ。みんなだいすきセブンイレブン。(ちなみに「セブンイレブン、いい気分♩」のキャッチフレーズは数年前に終了していて、今は「近くて便利♩」になっているの知ってました?)
ふらりと立ち寄ったマンガコーナーに、表紙が見えるように並べられた『モディリアーニにお願い』。視界に入った瞬間に、まず惹かれたのはその色彩でした。

やさしげな色合いに、ふんわりと全体を包み込むあたたかな光。雨上がりのみずみずしさをそのまま紙の中に落とし込んだような、なんとも気持ちのいいイラストが表紙に描かれていました。
心がスルスルと吸い寄せられ、2巻まであったそれを迷わずレジへ。自宅で読んですぐに続きが欲しくなり、最終巻の5巻まで購入するべく近所の本屋さんに走ったのでした。
『モディリアーニにお願い』の舞台は、東北の小さな美大。通称“バカでも入れる美大”。
軸となる登場人物は3人。
壁画の千葉(ちば)くん、洋画の藤本(ふじもと)くん、日本画の本吉(もとよし)くん。それぞれ専攻は違いますが、気の合う同級生として学生生活をともに過ごしています。
将来の不安。自分と人を比較することで生まれる焦り。“やりたいことをやる”という、とてもシンプルながらもひどく難しいこととしっかり向き合いながら、3人は自分の意志で着実に前へ進んでいきます。
※以降の文章は、地震による津波を思い起こさせるおそれがあります。ご自身の心の調子を確認してから、読み進めてください。
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「かわいそうな自分」ではなく、「ただの自分」にかけてくれる言葉
登場人物のひとり、本吉くん。作中でもっくんと呼ばれている彼は、故郷を地震による津波で流された過去を持ちます。人生で初めての喪主。もう会えない家族。
もともと日本画家として世間から評価されていたもっくんのもとには、やがて多くのメディアから取材依頼が届きます。
取材を受けるうちに、自分に対する世間の目が「かわいそう」になっていることに気づいたもっくん。そして、その「かわいそうな自分」が話す言葉を、描く絵を、メディア側が求めていることに気づきます。
そこで、もっくんは思う。「あぁ、もう、絵を描くことはできない。」と。
大学側に自分の話は広めないように頼み、もっくんは1年間の休学を選択しました。そして、復学後にもっくんが出会ったかけがえのない友人が、千葉くんと藤本くんだったんです。
『モディリアーニにお願い』の中で、ずっと忘れられない言葉があります。
千葉くんが、ある日もっくんに対して言う。「あのさ、聞きたいことがあるんだけど…」。
もっくんは身構える。「何を聞くんだろ。留年のこと? 津波のこと?」。
そんなもっくんに、千葉くんが一言。
「あのさぁ…!!!」
「もっくんの誕生日っていつかな!?」
プレゼントをあげたいけど、大人になってから誕生日を聞くのは恥ずかしいじゃんと笑う千葉くんに、どれだけもっくんが救われただろう。その話の後半ページ、ひとりで涙するもっくんに添えられたセリフが、わたしの心の奥底にずっとある。
「人が、やわらかい心で接してくれたこと。
『モディリアーニにお願い』4巻 第28話より
忘れられそうにないから。この世界のことが大好き!」
この世界のことが、大好き。

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本当に暴言だけ? 『モディリアーニにお願い』で思い出した、世界のきらめき
SNSを見られない時期がありました。
まばたきするたびに増えていく、数え切れないほどのつぶやき。その中に、たしかにある悪意。嫉妬。無理解。人から人へ暴言がぶつけられる様子を見ているうちに、心の中がぐちゃぐちゃの泥で埋められていく気がした。
でもね、千葉くん、藤本くん。
でもね、もっくん。聞いてくれる?
わたしがライターを始めたばかりのころ。いまは閉鎖してしまったけど、自分のブログで漫画の感想を書いている時期がありました。

まだまだ実績もなく、書いても誰が読んでくれているのかわからなかったとき。(いまでも実績があるわけではないですが)
わたしのブログを読んで、X(当時はTwitter)で感想をくれた人がいました。「すごくおもしろかった! このマンガを読みたくなった! ななさんって、何者!?」。
自分の文章を読んで、感想をくれる人がいるなんて露ほども思わなかったあの時期。「おもしろかった」の言葉をもらった場所は、SNSの中だったんです。
書いた記事の感想を送ってくれた人。自分のつぶやきに反応してくれた人。悩みに共感してくれた人。人生の苦しさに耐えられずに心のうちを吐露したつぶやきに、そっと押されるいいね。その些細なタップの奥に、顔の見えない人たちのやさしさがきっとあった。
SNSの争いを見ているうちに、わたしはそれがまるで世界のすべてのように思ってしまう。
なんて汚く、なんて無情で、なんて愛のない世界。人が人を傷つけて、それが当たり前で、くじけて潰れた心がもろいだけ。
おまえが弱いだけなんだよ。そう、言われている気持ちになってしまう。
あぁ、でも、もっくんの言葉を読み返すたびにちゃんと思い出せる。
人からもらう「ありがとう」があたたかいこと。気持ちに寄り添ってくれるやさしさを何度も感じていること。人から受けた傷でくじけそうな心を支えてくれるのも、人であること。
雨上がりのつやめく地面の輝き。べっこう飴みたいなとろける夕日の甘やかさ。澄んだ空気が頬を撫でるときの気持ちよさ。
美しさであふれた世界に生きていること。そこで生きている人たちにも、たしかに美しさがあるってこと。
きっとわたしは、いつかまたこの世界のことがいやになる。それでも『モディリアーニにお願い』が、何度でも思い出すきっかけを与えてくれる。
同じだよ、もっくん。人がやわらかい心で接してくれたこと、わたしも忘れられそうにない。
だからね、この世界のことが大好き!

作者:相澤いくえさん
出版社:小学館 全5巻完結済みです!