『ブランチライン』|刺さるマンガだな
マンガ好きのみなさん、こんにちは!
マンガ好きがこうじて、自宅にマンガ専用部屋を作ってしまったフリーライターのくまのななです。
このコーナー「刺さるマンガだな」では、わたしの秘蔵のマンガを収納した「マンガ棚」のなかから特にお気に入りの作品を、心にグサッ! と刺さったセリフとともにご紹介していきます!
第一弾で取り上げるのは、こちらの作品です。
『ブランチライン』池辺葵さん
池辺葵さんの作品は、ここまでリアルな人間の心理を描けるものなのか……と、いつもびっくりしてしまいます。
世間への疑問、人間関係の悩み、自分への不満、将来の不安。
わたしたちが感じているあれこれを、同じようにキャラクターも感じています。
「わかるわかる!」と頭をブンブン振り回したくなるほどに、キャラクターの“生感”がすごい。
「実はこのキャラクターは、東京都武蔵野市に住んでいるAさんの実際の言動です」と言われても、きっと納得してしまう。
「なるほど、だからここまでリアルなのか……」って。
作品を読み進めていくうちに、キャラクターのリアルさがどんどん高まって「もういるじゃん! この人たぶん日本にいるじゃん!」となるんです、いやほんとに。
魅力的な登場人物は、それはもうたくさんいるんですけど……記事のボリュームがえらいことになるので、主要キャラクターの4姉妹を中心にご紹介しますね。
■ シングルマザーの長女・イチ。
■ 役所に勤める次女・太重(たえ)。
■ 喫茶店を営む三女・茉子(まこ)。
■ アパレル会社で働く末っ子・仁衣(にい)。
■ 実家をひとりで守り続ける、4姉妹の母。
そして、長女イチの息子・岳(がく)。
岳は、イチ・太重・茉子・仁衣、そして4姉妹の母の合計5人から、これでもかというほどの愛情を受け取って、すくすくと成長しました。
作中では、大学院で地質の研究に精を出しています。
『ブランチライン』では、4姉妹とその母、そして岳の生活をスローに描きながら、登場人物の感情やそれぞれの人生の中で培ってきた価値観を、じっくりと読者に示していきます。
* * *
岳の父親から届いた、拒絶の言葉
長女・イチは、息子の岳が幼いころに夫と離婚。岳と一緒に実家に身を寄せながら、シングルマザーとして岳を育てました。
岳が20歳になるまでは、元夫から養育費が振り込まれていました。
しかし、岳が20歳を迎えた年に、弁護士を通して元夫から伝言が届きます。
「今年20歳で養育費も払い終えたから 今後岳に何があっても 連絡してくるな」
……もう、どういうことだよ!!!!
おいおい、夫よ、元夫よ。
夫に「元」が付いたとしても、父親にまで「元」がついたわけではないでしょう。
あなたは岳の父親ではないのかい。
父親にまで「元」をつけて、そうやって、そんな言葉を届けてくるのかい?
息子が20歳になったお祝いの年に、どういう考えで、どういう心境で……!!
眉間のシワをグッと深めるわたしと同じように、4姉妹とその母も、元夫へブーイングの嵐です。
息子が成人したのにそんなことしか言えないのはつまらない男。とんでもなくケチなちっちゃい男。やいやい、やいやい。
そこで、誰かがポツリと呟きます。
「もうやめよう それでも岳の父親だ 岳のこともけなしてる気分になる…」。
それに対して、末っ子の仁衣が言うんです。
「関係ない 親と子は繋がっていても個のものだ」
『ブランチライン』1巻 5話より
脳みそを、直接バチン! と叩かれた衝撃でした。
……あぁ、そうだよね、仁衣ちゃん。
たとえ親と子でも、わたしたちは「個」のはず。「個人」のはず。
父親がなにをしても、なにをしなくても、岳はとてもすばらしい。
岳であるだけで、愛される価値がある。やさしくされる権利を持っている。
親の言動によって子どもの価値が危ぶまれるなんて、あってはいけないんだ。
* * *
世間が求める親と子のつながり
……とはいえ、です。
「もうやめよう それでも岳の父親だ 岳のこともけなしてる気分になる…」のセリフにも、わたしはハッとしたんです。
そうか、どんな父親でも、岳の親なんだ。
その父親を否定したら、岳まで……そこでズバッと飛んできた、仁衣ちゃんの「親と子は個のものだ」。
わたしはまたハッとします。
そうだ、個のものだ、そうだそうだ……。
ちょっとここで、立ち止まって。
あれ、どうしてわたしは、父親を否定したら、岳まで……と思ったの?
どうして、仁衣ちゃんの言葉を聞くまで「親と子は個のものだ」と思えなかった?
うんうんと頭を抱えながら、考えました。
そして認めたくなかったけれど、たぶん、こうかなって。
世間に流れる空気の中に、そしてわたしの中にも、この意識があるんです。
「親と子は、セットだよね」
だから、評価もセット。
親が評価されたら、子も評価される。
親が否定されたら、子も否定される。
親と子は支え合うもので、助け合うもの。
それ以外は許されない。そんな、意識。
ああ! そんなこと、絶対に思いたくないのに!
自分の中にひそんでいた価値観から目を逸らしたくなりました。
認めたくなかったんです。
だってわたしは、「親と子は別物だ。それぞれの人生だ」と言い続けてきたんだから。
突然の自分語りでごめんなさい。
どうか読み進めていただけますように。
わたしの親は、母も父も病気を抱えています。
なので、それはもう、周りにこう言われ続けてきました。
「親を助けてあげなきゃいけないよ」
「子どものあなたが頼りだよ」
子どもだから、親を助ける。それは当たり前のことで、拒否権がない。
なぜなら子どもだから。親から生まれて、親が育ててきたから。
いまこそ、親孝行をするとき!
さぁ、親を助けるのだ!
そんな風潮に、言葉に、態度に、わたしは抗ってきたつもりでした。
「わたしは、わたしの人生を生きたいんだ!」
「遊びたいし、仕事もしたいし、親にばかり時間を使っていられないんだ!」
前提として、両親のことはすきです。
わたしを愛して、育てて、いまも見守ってくれている存在です。
でも、それはそれ。これはこれ。
親がすきでも、きらいでも、尊敬していても、苦手でも、どんな感情を持っていようとも。
「子どもの自分」として親のために生きるのではなく、「ひとりの人間」として、自分の人生を優先させよう。わたしはそう生きよう。
そう、心に決めていたはずでした。
けれど、培ってきた価値観は根強いですね。
いまだに、自分の中に「子どもと親はセット」という感覚があったなんて。
きっと、わたしだけではないですよね。
「親」という存在と「自分の人生」が混ざる感覚を持っている人は、わたし以外にもいるんじゃないかと思います。
たとえば、親に言われた言葉が、悪い方向に心に刻まれている人。
たとえば、親との距離感が掴めずに、人生を自由に生きられない人。
たとえば、親からの愛情を感じられずに、自分自身を責めている人。
「理想の親子関係」を諦められず、苦しんでいる人もいるかもしれません。
ねぇ、でも、わたしたちは「個」ですよ。
そうだよね、仁衣ちゃん。
仁衣ちゃん、うう、会いたいよ〜〜!!
親の言葉をすべて真正面から受け止めて、自分を責める必要はない。
自分の人生を、親に明け渡す義務もない。
親が言われている言葉を、自分のものとして引き受けなくていい。
言葉にすると当たり前のことなのに、生きているうちに忘れてしまうんだから、人間とはとても不便な生き物です。
子どもは親の所有物ではない。
付属品でもない。
第二の人生でもない。
わたしたちは、ひとりの人間。
それぞれの人生だ。
すぐに忘れてしまうから、何度でも言い聞かせたい。
わたしの人生は、わたしのもの。あなたの人生は、あなたのもの。
親の評価は、自分の評価じゃない。
親の否定は、自分の否定じゃない。
子どもは、ハッ◯ーセットのおもちゃじゃない。ピクルスでもない。
そう、わたしたちは「個」だ!
それぞれが独立した、それだけでとてもおいしい、ハンバーガーなのだから!!!
* * *
「家族の正解」が崩れつつある時代
「家族」はひとつの世界で、そこから抜け出すのは間違っている。
同じ世界で生きている以上、親と子はセットで、評価も批判も一緒に受け止めなくてはいけない。
そういう時代もあったのかもしれません。
いいえ、いまこの瞬間だって、「家族」の枠組みから逃れられない人もきっといる。
けれど、働き方が多様になり、さまざまな価値観があることが当たり前なのだと叫んでくれる人も増えた。
国さえこえて生きていく人もいます。
時代は変わる。「家族」に対しての価値観も、きっとさらに変わっていく。
4姉妹は、それぞれが自分の人生を生きています。
自分で選んだ仕事をして、自分で選んだ場所に住み、自分なりに実家と関わっています。
「正しい家族」に自分を押し込めることなく、「自分にとっての家族」を見つけているんです。
その生き方を、わたしも見習いたい。
自分にとっての、親。
自分にとっての、家族。
自分にとっての、子ども。
自分なりの関わり方を、模索していきたいんです。
突然ですが、わたしには子どもがいます。
その子はとても愛らしい。たまらなく尊く、その子のいない人生なんてもう考えられません。
あまりにも大切だから、強く強く思うんです。
「自分のすべてをかけて、この子を守っていかなくては」と。
それは、聞く人によっては美しい言葉に聞こえるかもしれない。
けれど「この子を守っていかなくては」という意識は、どこかで歯車がズレたとき、「この子の人生は自分がコントロールできる」という勘違いに変化するかもしれない。
その危険性を自覚して、自分をセーブしなければ。相手がなにを望んでいるか、考える意識を持たなくては。
自分が考える自分の愛を勝手にぶつけて、「しっかり受け取れ!」と理不尽に怒ることがないように。
「親と子は繋がっていても個のものだ」
仁衣ちゃんのこの短いセリフに、「家族の正解」は自分自身で見つけるしかないんだと、教えられた気がするんです。