第3回「どんな子も学びたがっている」

以前、現役教員や研究者が関わる教材開発のプロジェクトに参加したことがあります。その一環として小学校の教員が高学年の授業で教材を使用する試みをしました。10回ほどのカリキュラムが組まれましたが、その授業を見学しました。
子どもたちが主体的に考えられるような教材なこともあり、多くの子どもが積極的に授業に参加していました。しかし、一人ちょっと気になる子がいました。一番後ろの席にふてくされるように座っている子です。仮にマルちゃんとします。「わかんねぇし」といってみたり、「はぁ」とため息をついてみたり。わたしはマルちゃんのそばにいるようになりました。10回の授業も終盤に差しかかったころ、突然マルちゃんの背筋が伸び少し前のめりになりました。そして「あ、これって○○なんじゃない?」と手を挙げました。しかし、マルちゃんが当てられることはなく「どうせ、オレなんてあたんねぇし・・」とつぶやき、一瞬でやる気のないからだに戻ってしまいました。
最後の授業で、わたしはそれまでの一人ひとりのプリントの書き込みを読んで、一人ひとりに手紙を書きました。そのとき、たった一人だけお返事をくれた子がいました。それはマルちゃんでした。1枚のルーズリーフに「○○(教材の内容)について色々教えてくれてありがとうございました。」と書かれていました。
やる気がないように見える子も、いやむしろ、やる気がなく見える子ほど学びたがっているのだとマルちゃんが教えてくれました。授業を後ろから見ることで端っこにいる子たちのほんとうの気持ちに気づくことができました。でも、教室の中心に立っていたら「やる気がない子」に対して「姿勢を良くしてください」などと言っていたかもしれません。
マルちゃんに身をもって「教えること中心」ではなく「子どもが中心」に教育を考えることの大切さを教えてもらいました。
教材開発だけでなく教材研究、カリキュラム開発などは大切です。しかしそれが何のためか。それはすべて「子どもたちの学び」のために大切なのであって、開発や研究自体が目的になっては意味がないと言いたいです!
などと、偉そうなことを言っていますが、「すべての子どもは学びたがっている」「子どもの学びを中心にした教育を」というのは、教育学を築いてきた先輩方が何百年もずーっと言ってきたことなのでした‥。書物で読んで、頭ではわかっているつもりだったのですが、マルちゃんとの出会いを通して、ようやく腑に落ちました。
わたしが、子どもが学びに没頭できるような場をつくることが教育なのだと、心の底から思うようになったきっかけにはマルちゃんとの出会いがありました。私もマルちゃんにお返事を書けばよかった・・。
―マルちゃん、子どものほんとうの姿について教えてくれてありがとう。
イベント開催情報
これからの社会における「新しい学校」について、みんなで考えるイベントを開催します。
7月8日(土)、上智大学の四谷キャンパスにお越しください。

