第2回「学びを生じさせるものとは何か」
今回は、(1)学びが生まれる瞬間はどんな瞬間なのか、そして、(2)学びが生じるために必要なこととは・・ということを考えます。
前回のコラムでは、「教育とは何か」について「学びと教育の関係」から考えました。赤ちゃんが自然にことばを話しだすことを例に挙げ、「一人ひとりが生まれながらにもつ自律的に学ぶ力を信じ、さらに学びが活発に生じるように働きかけていくことが教育だ」と書きました。
(1)学びが生まれる瞬間とは
では、学びが生じる瞬間とはどんな瞬間でしょうか。例えば、初めて寝返りを打った瞬間、言葉を話し始めた瞬間、初めてはさみを使えるようになった瞬間などなど・・
わたしが好きなエピソードをひとつ挙げます。ある子どもが「目の前の小鳥がピイピイと鳴いているのを催眠術にかかったように見ていたが、小鳥が飛んでいってしまい、はっとした瞬間、鳥のまねをして鳴いた」(Wallon)というエピソードです。わたしは、この子が鳥のまねをして鳴いた瞬間こそ学びが生じた瞬間だと思います。
ある人は、このエピソードを次のように分析しています。鳥が飛んで行ってしまった後、鳥の声の一部が子どもの身体にうつ(写・移)って子どもの声を変質させた。そこで生まれた声は鳥の声でもなければ、もともとの子どもの声でもなく、子どもの身体をくぐっているあいだに変形された新しいかたちの声であると。(やまだようこ)
このように、学びが生まれる瞬間とは、何かを経験した後に何かが変わり新しい何かが生まれる瞬間だといえます。
(2)学びが生まれるために必要なこと
学びが生まれるためには、自分以外の存在である「他者」が必要となります。「他者」には、大人や友だちなどの人間だけでなく、このエピソードのように「動物」や「道具」、「芸術作品」、から、さらには「自然環境」「宇宙」「社会」「文字」「思想」「科学」「文化」・・など、ありとあらゆるものが含まれます。子どもは、誰にも教えられなくともことばを話し出すようになるりますが、言語が存在しない環境ではことばを話しだすようにならないですよね。学びが生まれるためには「他者」が必要なのです。
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このように考えてみると、教育の大切な役割として、学びを生じさせる多様な「他者」との出会いを用意するという役割があることになります。そして、その大切な役割を担っているのが学校であるといえるかもしれません。
おまけのヒトコト・フタコト
◎ある教育学者は「生きることは学ぶこと」(大田堯)と繰り返し述べています。生きているなかでたまたま学びが生まれるのではなく、学びによってわたしたちの生命そのものが成り立っていると捉える人さえいます。
◎ある教育哲学者は「学んだことの証は、ただ一つで、何かが変わる事である」(林竹二)と断言しています。