正論を言う高揚感に、どうか呑まれないように。|『自転車屋さんの高橋くん』刺さるマンガだな
自宅にマンガ専用の部屋がある、ライターのくまのななさん。このコーナー「刺さるマンガだな」では、たくさんのマンガが並ぶくまのさん宅のマンガ棚から作品をピックアップ。その作品からチョイスした“心に刺さるセリフ”を、グッと深掘りしていきます。
今回ご紹介する作品は、松虫あられさんの『自転車屋さんの高橋くん』です。
正論で、人を叩く。
過去のわたしは、残念ながらその言葉が当てはまる人間でした。
人の心に寄り添う――社会の中で生きていくために必須とも言えるその行為が、ぜんぜんできていなかった。
恋人との関係で悩んでいる友達に、アッサリと「じゃあ別れたらいいんじゃない?」と言う。周囲から理不尽な扱いをされて傷ついている人に、憤慨しながら「ハッキリ言わないとだめだよ!」と怒る。頼み事を断らずに疲弊している人に、イライラしながら「断りなよ」と指摘する。
うるせぇよ、って。過去のわたしの後頭部をスパーン! とはたいてやりたい。簡単に別れられるなら別れてるし、ハッキリ言えるなら言ってるし、断れるなら断ってる。今すぐに、その口を、閉じろ……! って、思いませんか。
すべてわかったような顔をして、なにもわかっていないことを言うわたしに対して、周囲の人は怒ることなく「そうだよね……」と返してくれていました。
あれはわたしの発言に納得したのではなく、心の中でこう思われていたんだろう。「この人になにを言っても聞き入れてもらえないから、黙ろう」って。
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「意志が弱い」と言われる人を、生み出しているのは誰?
過去の自分の後頭部を、今すぐはたいてやりてぇ。そう思うきっかけになった漫画が、今回ご紹介する『自転車屋さんの高橋くん』です。
本作の主人公は、オフィスで働く飯野朋子(はんのともこ)。略して「パン子」。NOを言えない内気な性格で、上司からのセクハラや同僚の誘いを断れないことが日々の悩みです。
ある日、街中で自転車のチェーンが外れてしまうパン子。そこに居合わせたのが、近所で自転車屋を営む高橋遼平(たかはしりょうへい)です。
高橋くんは、見た目はヤンキー。けれど、ぶっきらぼうながらも人の心を大切に扱うやさしさを持ちます。本作は、そんな高橋くんとパン子の甘酸っぱい恋愛ストーリーを軸に、現代社会の中で生きていくことの息苦しさを繊細な心理描写とともに描いていきます。
パン子は、端的にまとめてしまえばネガティブ。断れない。意志が弱い。本作の1巻でも、同僚の誘いを断れずに見たくもない映画を観るパン子の姿が描かれています。
そんなパン子に対して、もしかしたら「ウジウジした性格だなぁ」と思う人もいるかもしれません。というより、まさにわたしが、最初はパン子に対してそう感じました。嫌なら嫌と、困るなら困ると、そう言えばいいのに……と。
でも、ちょっと言いたいのです。わたしと同じように「パン子が生きづらいのは、パン子に原因があるのでは?」と感じた人がいるのなら。
もしかしたら、パン子のような人を生み出しているのは、わたしたちのような「自分は意見をハッキリ言えるタイプだ」と思っている人間なのかもしれないよ、と。
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上から目線のアドバイス、さぞ気持ちいいでしょう
行きたくない誘いに応じて、見たくもない映画を観る。パン子と同じことをした人が目の前にいたら、わたしはなんて言うだろう。「行きたくないなら、断ったほうがいいよ」「観たくないなら、観なくていいんだよ」。
それは、正しい言葉なのかもしれない。けれど、高橋くんがパン子にかけたこの言葉を知った今のわたしは、それが目の前の人を救う言葉ではないとわかる。
「好きでもねぇ奴のために気いつかって
『自転車屋さんの高橋くん』1巻 第7話より
観たくもねえ映画みてやっとる
えれぇなって思うよ」
えれぇなって思うよ。そうだよ、えらいなって。そう言ったらいい。「気をつかえたのすごいね、えらいね」「大変だったね、がんばったね」って。最初にその言葉を思い浮かべたらよかった。正しさを追求せず、ただ相手の心に寄り添う言葉を口に出せたらよかった。
「自分が正しい」と思えるポジションで、鋭く研いだ正論のナイフを自分と同じ人間に刺す行為は、きっとただただ気持ちがいいのだ。最近のインターネットの中で繰り広げられる、言葉のドッチボールを見ていても思う。
「それはあなたの行動が間違いだったのでは?」「調べたらこんな情報がありましたけど、どういうことですか? 今すぐ訂正して謝罪してください」「そんなこと言うなんて信じられない。ひどいです。人として軽蔑します」
発言者は、自分なりの正義のもとに動いているのかもしれない。SNSの中にあふれる正義の言葉。わかりやすい悪意がないからこそ周りも止められないし、本人も止まるきっかけがない。
わたしだって、そうでしょう。上から目線でアドバイスをするのは、さぞ気分がよかったでしょう。いい人間になったようで、えらくなったようで。自分は優れた人間だって、勘違いしそうになるでしょう。なんて危ういんだろう。
余計なアドバイスをするわたしに「自分は正しいんだ」と思わせてくれていたのは、他でもない。言葉をぶつけられて傷ついているのに、それでも「痛いよ、やめて」の言葉を外野のさまざまな攻撃で流されて口にできていない、パン子みたいな人たちだ。わたしはもっと早くそれに気づかないといけなかった。
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『自転車屋さんの高橋くん』で気づいた、人に言葉を飲み込ませる暴力性
本作の3巻で、パン子にセクハラをする上司に、高橋くんがキレるシーンがある。そんな高橋くんに、パン子が言う。「私なんかのために あんなことしなくていいから…!」。
パン子の発言に戸惑う高橋くんに、パン子の友人であるキミちゃんが言うんです。
「あのさ パン子はさ… 自分が我慢すれば『正解』で生きてきちゃったんだよ」。キミちゃんは続ける。「そーいうのってすごく 根深いんだよね」「だから 責めるべきなのはパン子じゃないと思う」。責めるべきは、どこか。
自分が我慢すればその場はおさまるし、誰も傷つかない。そうして自分だけが傷ついていくのは、どれほど苦しいことだろう。言葉を飲み込んでしまう人に、真正面から「自分の意見はハッキリ言わないと!」と責めることに、どんな意味があるだろう。
言葉を飲み込んだ理由は? 飲み込ませたのは誰? わたしたちが生きている社会は、今の日本は、言葉を飲み込まなくて生きていける場所なのか、否か。
考えなくちゃ、と思うんです。心に言葉をためる人を一方的に責める前に、じゃあ自分は、目の前の人が素直に話せる環境を作れているんだろうか、と。自分が正論だと思う言葉で相手の口をふさいで、悦に浸っていないか、と。
「そんなこと、いちいち考えていられない。めんどくさい。自分の意見を言っているだけで、押し付けてなんかいない」と思う人もいるかもしれない。わかる。その気持ちとてもよくわかる。なぜならわたしもそう思っていたから。
だけど、きっとそう感じたときが分かれ道だと思うんです。
「意見の押し付けなんてしてない。聞きたくないなら聞かなければいい」と思う人に、なにかを相談したい人はいない。自分の気持ちを話したい人はいない。それを続けていたら、やがて誰からも話しかけられない人になってしまう……かもしれない。
(ちなみにわたしが自分なりの正論ムーブを押し付けた人は、その後また相談してくることはありませんでした。見限られたのです、わたしが)
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人の心を想像して、言葉を選ぶ。
SNSに放り込む自分の言葉で、傷つく人がいるかもしれないと指を止める。「嫌なら拒否すればいいじゃん」と言う前に、嫌と言えない環境なのかもしれないと考える。「あいつが悪だ!」と先導して石を投げる人に加勢する前に、言葉は凶器になると気づいて立ち止まる。
そんな当たり前のことを、言葉を口に出す前に、SNSでつぶやく前に思い出すことができれば、なにかが変わるんじゃないかって、そう期待しちゃうんです。言葉で傷つけあうことが当たり前の世の中だと思ってしまうのは、やっぱりさ。どうにも悲しいじゃないですか。
ちなみに話が進むごとに、パン子は強く、自分の足で未来を決めるようになっていきます。
高橋くんとのときめき! つやめき! ラブストーリーだけではなく、パン子の内面の変化も楽しめる『自転車屋さんの高橋くん』。どうぞこの機会に手に取ってみてくださいね。
もちろん、おれは恋愛漫画でただキュンキュンしたいんだ! という人にもおすすめです。余談ですが、わたしのときめきポイントは2巻第9話の「いただきますしてい?」。なにそれかわいいかよ……どうぞ存分にいただきますしてくれ……(ハンバーグの話です)。