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2019.01.18.Fri

南アフリカ・ヨハネスブルグの街角から / vol.8 男性3人組

街行く人8.男性3人組
出会った場所:ケープタウン、Woodstock

インタビュー企画『南アフリカ・ヨハネスブルグの街角から』

特設ページはこちら

アパルトヘイトやネルソン・マンデラで知られる南アフリカ。多様な人種が住んでいることから、「レインボー国家」と言われています。

南アフリカの大都市、ヨハネスブルグ(ときどきケープタウン)で出会った人々に聞いてみました。

今回は「ヨハネスブルグの街角から」番外編。ケープタウンの街角からお届けします。
ケープタウンは、南アフリカへの欧米人の入植が始まった場所。またアパルトヘイトが始まった場所でもあります。
南アフリカで最も有名な観光地で、世界自然遺産であるテーブルマウンテンやビーチ、世界的に有名なワイナリーが立ち並びます。日本からも新婚旅行などで訪れる人もいるほど、美しい場所です。
しかし、ヨハネスブルグよりも犯罪の発生率が高く、所得格差が大きい地域でもあるのです。

あなたは
南アフリカで
差別にあったことが
ありますか?

南アフリカ・ヨハネスブルグの街角から / vol.8 男性3人組の一人目

男性左

もちろんあるよ。僕は80年代頭、アパルトヘイト終盤の、社会的にかなり緊張していた時期(※1)に生まれたから、本当にたくさんの経験をした。

父親は国でも有数の腕のいいコックだったから、いろんなところに呼ばれて料理を振る舞っていたんだ。
いつだったかパーティの料理を作るために、父親が白人の家に呼ばれたことがあって。僕も招待されたから、一緒に連れられた。
でも、黒人の子どもがいるのを快く思わなかった人から怒鳴られ、離れた部屋に閉じ込められた
そこで一日中、外からの楽しそうな声を聞きながらただひたすら待っていたんだ。今でも覚えている、辛い思い出だね。

小さい頃は、何人か白人の友達がいたんだ。彼らの両親の中には、僕を養子にしようとした人もいた。
でも、母親がいない家庭で、一人で自分を育ててくれた父親と別れることは考えられなかったよ。
時代も時代で、僕の住んでいたタウンシップではANC(アフリカ民族会議。ネルソン・マンデラも所属していた現与党)とPAC(パンアフリカニスト会議)の二つの勢力が争っていて、多くの人が亡くなっていたんだ。
そんな中、父親と離れるなんてできなかった。

そんな感じで、ある程度白人の家庭とも交流があったから、子どもだった自分は、黒人と白人の社会的な違いを理解していなかったんだ。ところがある日、肌の色の違いの意味を思い知らされる出来事があった。

いつも仲良くしてもらった白人の家族と一緒に、白人の子どもたちが集まる広場に行った時だ。
僕が遊具に向かって走ると、なぜが他の子どもたちが逃げていくんだ。その場にはたくさん子どもがいるのに、自分の周りはみんなが避けるんだ。6歳か7歳の子どもだった自分には、それがなぜだかわからなかった。
そしたら周りの親たちが何か叫んでいるんだ。大勢の人が、僕をそこに連れてきた白人の母親に文句を言った。
誰かが通報したらしく、係員の人は僕を殴ろうとして、彼女はなんとか守ってくれた。

家に帰って、その日の出来事を父親に話した時、はじめて人種について聞かされたんだ。
「すべては肌の色の違いなんだよ」、って。色が違うから、大人になったら一緒に遊んだりすることはできない、ってね。
彼らの中には、黒人をサルだって言う人もいるんだよ、って。
このとき始めて憎悪の感情をいだいたよ。怒りも覚えたし、どうしていいのかわからなかった。
他にも本当にいろいろな出来事があった。とてもじゃないけど話しきれないよ。

極めつけの体験は、自分たちが住んでいたタウンシップ(※2)での出来事だ。
僕らが住んでいたタウンシップの上に、政府のヘリコプターが飛んでくることもよくあった。
そのヘリコプターは、タウンシップの上空でお菓子を落としてくれたんだ。だから、ヘリコプターが来たら子どもたちは喜んだ。
でも、ある日悲劇が起きたんだ。ヘリコプターから落ちてきたお菓子に毒が含まれていて、それを食べた子どもがみんな死んだ
僕は幸いその場にいなかったけど、ある日気がついたら友達がみんな死んでいたんだ。
このときはもはや怒りすら湧かなかった。人生で一番悲しい出来事だった。

これまではアパルトヘイト時代の話だけど、今でも差別があるよ。
肌の色によって人々を分けるシステムはまだ生きている。
たとえば、就職活動をするとして、同じ学歴・同じ条件で肌の色だけ違ったとしようか。
約束するけど、仕事をとるのは肌が白い方だ。たとえ黒人の方が経験があったとしても、仕事を得ることはできない。
自分自身の経験から言い切れるよ。

南アフリカ・ヨハネスブルグの街角から / vol.8 男性3人組の一人目

男性中央

今はアパルトヘイトが終わったといっても、ここはケープタウンさ。格差や差別はまだまだ残っているよ。肌の色で判断されることはまだまだ多いんだ。
本当に人間としてお互いをみることはまだできていないんじゃないかな。

南アフリカ・ヨハネスブルグの街角から / vol.8 男性3人組の一人目

男性右

ケープタウンは特に遅れてる。こうしてカフェに座っている人の中に、黒人はどのくらいいる?
人口のマジョリティは黒人だけど、こうしたお店(※3)に来れる人は、まだまだ少ない。

アパルトヘイトが残したものは大きいよ。今でも人の心の中には、差別感情が残っている。意識的じゃないにしても。
前に、仕事の関係で白人の学生をレストランに連れて行ったことがあるんだ。
彼女たちが食べ終わったから、僕が支払いを頼んだ。そしたら、伝票は白人の学生のところにいくんだ。
だから「誰が伝票を頼みましたか?」と聞くんだ。そしたら「いや、それは・・・」と困っていたね。無意識に、経済的格差から、レストランで支払いをするのは白人のほうだ、という思い込みがある。そのウエイター自身は黒人だったんだけどね(笑)。
今でも多くの人の中に、白人はこういうものだ、黒人はこういうものだ、という思い込みが存在しているってことだ。

編集後記

ダウンタウンでミーティングをしていた男性3人組に話を聞きました。
彼らはタウンシップに生まれ、アパルトヘイトを経験しています。
にわかに信じられないような経験談を聞いて驚くと同時に、アパルトヘイトに対する大規模な抵抗運動は歴史として語り継がれるものの、まだまだ多くのストーリーが眠っていることを実感しました。公に語り継がれなくとも、人々の心の中には、いまだ深いトラウマがあるようです。
アパルトヘイト抵抗運動の象徴、ネルソン・マンデラ氏は、差別的な政策を行ってきた政権や白人を赦し、共存していく政策をとりましたが、中には白人の追放を支持していた人もいたといいます。

彼らは壮絶な差別体験を話してくれましたが、最後には「是非白人のひとにも話をきいてみて」といいます。今回インタビューした彼らと同年代の白人の人の中には、“加害者”側として、プレッシャーを感じながら生きている人もいると言います。

大切なのは、黒人だからこう思っている、白人だからこう思っている、という枠にはめることなく、個人個人の経験や想いに光を当てることかも知れません。

彼らは今、自分たちの出身地であるタウンシップのツアーを運営しています。
人々は未だ肌の色によって分断されています。しかし、ケープタウンには、観光客も多くいます。まずは観光客から、タウンシップに来て、そこに住む人と交流してもらい、リアルを知ってもらう。
格差や差別などネガティブなことも含め、今、現実に起こっていることを直視してこそ、民主主義が機能する、と彼らは言っていました。

そんな彼らのツアーのお問い合わせはこちら(英語のみ)
btmachaphela@gmail.com

ライター:ばんゆかこ

編集:船川 諒

ライター:
ばんゆかこ
"多様性"や人々を分ける"境界"が関心事のキーワード。
学生時代、中東地域やインドを中心に旅をしていた。
旅人マインドをもって気ままに生きてる。

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