南アフリカ、ヨハネスブルグの街角から / vol.9 Akiko

街行く人9.Akiko
出会った場所:ケープタウン、Stellenbosch
インタビュー企画『南アフリカ・ヨハネスブルグの街角から』
アパルトヘイト(1948年に法制化され、1994年まで続いた人種隔離政策)やネルソン・マンデラで知られる南アフリカ。多様な人種が住んでいることから、「レインボー国家」と言われています。
南アフリカの大都市、ヨハネスブルグ(ときどきケープタウン)で出会った人々に聞いてみました。
ケープタウンは、南アフリカへの欧米人の入植が始まった場所。またアパルトヘイトが始まった場所でもあります。
南アフリカで最も有名な観光地で、世界自然遺産であるテーブルマウンテンやビーチ、世界的に有名なワイナリーが立ち並びます。日本からも新婚旅行などで訪れる人もいるほど、美しい場所です。
しかし、ヨハネスブルグよりも犯罪の発生率が高く、所得格差が大きい地域でもあるのです。
あなたは
南アフリカで
差別にあったことが
ありますか?
大学の資金の多くも、卒業生からの寄付によって支えられていることもあって、アフリカーンスの声が反映されているように感じるかな。
制度自体が終わったとしても、アパルトヘイト時代を生きた多くの人の頭には、未だ人種差別的システムが刻み込まれている。アパルトヘイトを経験していなくても、そうした考えをもっている親から育てられた人は、制度に影響された考えをもっているように感じるの。
今の時代になっても、特権階級は特権をもったままという印象もあるしね。
私自身、以前は自分のことを南アフリカ人として思っていなかったけど、入学以来、肌の色の違いを実感させられることが多かったかな。ここには、強い白人コミュニティがあって、カラード(混血)である私は、常に阻害されている感じを受けるようになった。
肌の色のせいで「ここは自分の居場所じゃない」と感じることが重なって、何度か逃げ出したいと思ったこともあるなあ。
私たちは女子寮に住んでいるんだけど、たまに男子寮と女子寮の交流会がある。でも、その交流会では、言葉では言われないけど、有色人種である自分たちがその場にいるのを好ましく思われていないのを肌で感じた。白人の女の子しか歓迎されていないような雰囲気だったの。
あと、今住んでいる寮では寮長をやっているのだけど、大学の歴史上はじめてのムスリムリーダーだそう。
ケープタウン全体はムスリム人口が比較的多い(※2)のに、ここには本当に少ない。
たくさんお店があるスチューデントラウンジでハラル(※3)メニューを提供しているのはたったのひとつだけ。だから、大学ではベジタリアンメニューを選ぶことが多いかな。ダウンタウンに行けば、たくさんのハラルのお店があるに・・・といつも思う。
言語の問題もある。この大学のあるウエスタンケープ州の公用語は、英語とアフリカーンス語、そしてコサ語の3つ。その中で、この大学ではアフリカーンス語が一番優遇されていると思うの。
大学寮の重要な説明がアフリカーンス語でしかされないとか、一部の授業がアフリカーンス語だけで開講されるとか。これって、アフリカーンス語が母語ではない肌の色が黒い人の方が、学業でハンデを負うことになる。
国際的に使われていて、話者が一番多い英語よりもアフリカーンス語が広く使われているのは、旧体制の権力構造が影響しているように感じる。
こうした制度によって不利益を被る有色人種の学生は、大学の中ではまだ少数派。
国全体の人口比でいうと、白人は少数派だけど、大学のような高等教育の場になると、まだまだ多数を占めている。
アパルトヘイトが残した構造的な問題で、もともと苦しい生活をしている人が多い有色人種にとって、大学に入ることは大変なこと。
それなのにも関わらず、入ってからも不公平に感じることが多いと、少し悲しくなるよね。
大学のネガティブなことばかりあげたけど、これでも昔よりは良くなった。でも、大学側から能動的に変ったことは一度もないはず。すべての変化は、学生運動など当事者の努力によって、勝ち取ってきたものなの。
編集後記
ケープタウンの西側にある、ステレンボッシュ大学を訪れ、そこに通う日本人とのハーフの学生にインタビューをしました。
カラード(混血)として、大学という場で感じる違和感について話してもらいました。ケープタウンのあるウエスタンケープ州は、黒人よりもカラードが多いのです。
しかし、大学のキャンパスを見渡すと、欧州の一部かと思うほど、ヨーロッパ系白人の学生が多いことに気がつきます。
南アフリカの中でもトップクラスの大学で、国際大学ランキングでも上位にランクインするステレンボッシュ大学。
南アフリカの中でも、アフリカーンス語中心の教育が強く残っていることで有名です。
南アフリカでは、教育と使用言語が話題になることは多々あります。
アパルトヘイトの時代は、白人と黒人が同じ学校に行くことは出来ませんでした。
南アフリカの教育水準は、アフリカの中でもトップクラスです。そのうちレベルの高い大学の多くは、もともとアパルトヘイト下で政権を握っていたアフリカーンス語を話す人たち(主にオランダ系白人)向けのものでした。
制度が廃止された今でも、アフリカーンス語でのみ行われる講義などは、批判の対象となることがあります。
普段の生活で差別を感じることは少なくなっているようですが、学歴やキャリアを積み重ねるほど、公にはなくなったはずの「特権階級」の存在に出会うことが増えて行く。皮肉を感じざるを得ません。