南アフリカ、ヨハネスブルグの街角から / vol.5 Pravin
街行く人5.Pravin(仮名・写真NG)
出会った場所:ヨハネスブルグ、Rosebank
インタビュー企画『南アフリカ・ヨハネスブルグの街角から』
アパルトヘイトやネルソン・マンデラで知られる南アフリカ。多様な人種が住んでいることから、「レインボー国家」と言われています。
南アフリカの大都市、ヨハネスブルグで出会った人々に聞いてみました。
あなたは
南アフリカで
差別にあったことが
ありますか?
僕はダーバン(※1)にあるインド人コミュニティで育った。ダーバンのインド人のコミュニティは、他から分離されているように感じていた。自分の周りにはインド人しかいないんだ。閉じられたコミュニティだったから、仕事の機会も限られていたし、他の人種の人と交流することはほとんどなかった。そこから逃げるように、ヨハネスブルグに移ってきたんだ。
ダーバンに比べて、ヨハネスブルグの方が、多くの人種が一緒に暮らしている。はじめは驚いたよ。最初の妻はドイツ人だったんだけど、そんな出逢いはダーバンにいた頃にはありえなかったね。
具体的に自分が標的にされて差別をされた、という経験はないのだけれど、差別的に扱われる地域は存在していると思う。ヨハネスブルグはいいところだよ。でもまあ、地域的なことではなくて、自分が年をとって丸くなったからそう感じるのかも知れないけどね。
自分はキリスト教徒だし、個人的にはインド人コミュニティに特別な想いがあるわけではないんだ。自分は南アフリカ人としてのアイデンティティをもっているよ。
編集後記
カフェでお隣になったインド系の男性にお話を聞きました。
イギリス植民地時代の影響で、南アフリカとインドには、強い繋がりがあります。インド国外で一番インド系人口が多い都市は、ダーバンだといいます。かの有名なマハトマ・ガンジーも、ダーバンに住んでいました。今でも、街の至る所でインド系の人を見かけます。
私自身もヨハネスブルグ内のインド人街に行ってみましたが、南アジアの食品を取り扱う店ではインド系のお客さんばかり。少なくとも白人の人が歩いているのを見かけることはありませんでした。植民地時代から多くの月日が経ち、移民2世・3世になっているのにもかかわず、インドの文化が色濃く残っているのは、アパルトヘイト時代の分離政策の影響があるように思います。
約半世紀も続いたアパルトヘイト下では、白人、黒人、カラード(混血)、アジア人(主にインド人)と、人種ごとに居住区が分断されていたため、今でも人種ごとのコミュニティが強く残っているのです。
さて、今回お話をしてくださった方は、インド系ではありますが宗教的にはキリスト教徒。キリスト教徒は南アフリカ全体では多数派ですが、インド人コミュニティの中ではマイノリティです。こうした状況が、彼のアイデンティティに影響を与えているのかもしれません。彼のような人の存在が、南アフリカ人の多様性、そしてインド系の人の多様性を表しているように感じます。