自分の好きなことを仕事にしたい。憧れの仕事で成功したい。という夢を持つ女性にとって、ロールモデルとなる女性の存在は大きい。
しかし彼女たちのインタビューの内容はその“経歴”に着目されがちで、私たちはその成功の裏にある“ストーリー”を知らない。
彼女たちのストーリーを知ることができれば、私たちはそこから何かを得たり、励まされたりするはず。
この連載では、様々な分野で活躍中の自分らしく輝く女性たちのストーリーを紹介していきます。
ライター紹介
国際人権NGO勤務。博物館学芸員資格保持のファッションオタク。
“Empowered Women Empower Women.”
私の年齢、国籍、性別、全てがプラスになる仕事です/後藤真実
HER STORY vol.05
後藤 真実
中東地域研究者
子どもの頃の夢は?
小学3年生の時から大学1年生の時まで、ずっと警察官になりたいと思っていました。小学生の時に道で迷ってしまった際に交番で親切にしてもらったのがきっかけです。小さなことに対しても真剣に取り組む警察官の方々の姿に感動して、私も困った人を助けたいと思ったんです。
警察官になる為に剣道を習ったり、大学の学部を法学部にしたり、本気でなりたいと思っていたのですが、大学に入学してすぐに同じく警察官志望の子が同学年にいることを知りました。彼女は剣道で全国大会に出ていたり、私よりも警察官になりたい気持ちが強いように感じて、その瞬間気持ちが冷めてしまったんです。私は私にしかできない仕事をしたいと思っていたので、私よりも警察官になるべき人がいるんだと感じてしまったからだと思います。
それからは、自分が将来何になりたいのか分からず、図書館やキャリアセンターに行ってどんな仕事があるのか調べたりしていました。
キャリアに影響を与えた学生時代の経験は?
大学3年生の時にアメリカ・オレゴン大学付属の語学学校に初めての留学に行ったことです。
中学の親友も高校の親友もどちらも高校の時に留学に行っていて、日本に帰ってきたら2人とも別人のように変わっていたんです。私もそんな経験をしたいし、英語が話せず悔しいし、留学に行きたかったのですが、私の家族は誰も海外経験がなく、父に行きたいなら自分で稼いで行けと言われ、高校生当時は実現しませんでした。
大学に入ってからは、必死でGPAを高くしたり、留学費を稼ぐためにバイトをしたりしていたのですが、あまりの忙しさに倒れてしまいました。それを見兼ねた母の援助のもと、ついに留学が実現しました。
自分がやりたいことに気づいたのはいつ、どこで?
そうして通っていたアメリカの語学学校で、初めてアラブ人、ムスリムの人たちに出会いました。
最初は正直、メディアでのイメージから、彼らに対して怖いと感じていたんです。さらに、授業でサウジアラビア人の男の子たちと同じグループになった時、私の方に顔を向けてもくれず、全く協力的でなかったので、もともと悪かったイメージがさらに悪くなり、アラブ人のグループとは全く関わらなくなりました。
当時の私は、9ヶ月で成果を出さないと、英語が流暢に話せるようにならないと、と焦っていたので、学校にいたアメリカ人と積極的に関わるようにしていたのですが、私はお酒を飲まないので、彼らに溶け込めないと感じることもありました。
そんな中、夏休みでアメリカ人の友人たちが皆帰省し、1人で暇になってしまったんです。私と同じく学校に残っていたアラブ人たちが毎日30人くらいでビーチボールしていて、私が彼らの寮の前を通るたびに挨拶していたら、1ヶ月半後にバレーボールに誘われました。私も暇だったので毎日一緒に遊ぶようになり、夕食の集まりに誘われるようになりました。ワンプレートの食事を手で食べる彼らに最初は驚きましたが、その時にはみんな優しくて、彼らの文化のことを色々と私に教えてくれたんです。彼らも私と接するにつれてアジア人へのイメージが変わったと言っていました。
彼らを知っていくにつれ、自分より遥かに若い子たちが育った村から出てきて英語を学びにきていたことや、学校でアメリカ人に暴言を吐かれたり唾をかけられたり、寮で泥棒に入られても警察が対処してくれなかったり(アラブ人はお金持ちだというイメージから、よく被害にあっていました)、彼らが日々差別に直面していることを知りました。実際私も、彼らと写っている写真を母に送ったら、危険だと注意されたり、学校のアメリカ人や韓国人の子達から、最近よくアラブ人と一緒にいるけど、洗脳されているんじゃないと言われたりして、どれだけ私たちが中東の人たちのことを知らなくて、誤ったイメージから恐れているのかを肌で感じて、問題意識を持つようになりました。そこから、将来は日本と中東の架け橋になりたいと感じるようになっていきました。
ファーストキャリアはどう選んだ?
日本に帰国してからは最初は中東地域で勤務する外交官になろうと思い、公務員受験のための専門学校に通っていました。しかし、外務省の中東一課で短期の補助員として働いていた際に、外交官としてではなく、もっと自由に現地の人々と交流をもてる仕事に就きたいと思い始めました。
中東の専門家となるために、まずはアラビア語を習得しなければと思ったので、クウェート政府奨学金プログラムを通じて、クウェート大学でアラビア語を学ぼうと思いました。最初に受験した大学4年の時は落ちてしまったのですが、どうしても行きたかったので、就活はせずに翌年もう1度受験して、2回目の受験で合格することができました。
そうして大学卒業後はクウェートに住みながらアラビア語を学んでいました。
私は中東の中でも湾岸諸国が好きだったので、もっとここに居たいと思い、次はカタール大学の奨学金でカタール大学付属の語学学校に入学し、さらに1年アラビア語を学びました。その頃には湾岸地域を対象に仕事をしたいと確信していたので、そのままカタール大の修士課程(2年)に入学し、湾岸地域の研究を始めました。
私はフィールドワークを中心とした研究手法をとっていたのですが、現地の村に調査で訪ねて行った時に、湾岸地域で日本人は好かれていますし、私が女性で、かつ童顔なこともあるのか、村の女性たちが警戒心を持たずに暖かく迎え入れてくれることが多く、調査しながら現地に入り込めるのがとても良いなと感じていました。
湾岸地域の研究は石油や政治関連のものが多いのですが、その地域の女性の研究は日本人 女性の私だからこそできることだと思い、ずっと自分じゃなきゃできないことをしたいと考えていた私にとってぴったりだと思ったんです。
研究者としての道を選んだのはなぜ?
修士課程に在籍している時は、絶対に研究者としてやっていきたいとは思ってなかったのですが、修士の後半で中東の仮面文化への興味が湧きました。でも先行研究がほとんどなく、私が知りたいことに対して、その時点では誰も答えを持っていないことに気づきました。
自分の問いに対する答えを知りたくて、イギリスの大学の博士課程に進み、研究を続けることにしました。
正直なところ、中東研究、特に湾岸地域に関しては欧米の男性研究者からの視点が多く、疑問をもっていました。博士課程のうち14ヶ月は実際に中東の湾岸地域に住みながら研究を行っていましたが、私の地域に入り込んで調査するスタイルは、男性研究者にはできない研究方法だと思います。
私が若い日本人女性だからこそ、実際に家に住み込ませてもらって、中東の女性からパーソナルな話を聞くことができます。この仕事は、私の年齢、国籍、性別、全てがプラスになるのだと思っています。
キャリアの中で経験した最大の成功や誇りは?
中東に住みながら研究をしていると、現地の女性から、「日本からわざわざきて自分たちのことを調べてくれたありがとう。」と感謝されることがあり、それはとても嬉しいですね。
また、現在所属先の東京外国語大学アジアアフリカ言語文化研究所にて、私の研究をまと めた『越境する仮面文化』という展覧会を開催している(※現在は終了しています)のですが、来場者の方々が、「中東の人々と自分には、違いもあれば、共通点もあると感じた。」と感想を寄せてくれます。
もともと中東の人々への偏見を無くしたいという思いがあり、この仕事を始めたので、そのような感想を読むと、私の意図が伝わっていると感じ、また大学3年時の目標が少し達成されたような気がして嬉しくなります。
自分の仕事の好きなところは?
自分の好きなことが仕事の一環となっていることです!自分の興味のある地域に行き、そこで現地の人と交流をしながら、その人々たちのことを書いていくので、楽しみながら仕事をしています。
趣味としても旅行が好きなのですが、プライベートでの旅行でも、衝撃を受けたい、自分の殻から出て、新しい考え方に触れたいという思いがあります。そのような経験は、最終的に自分に様々な形で還元されると思っています。
自分の仕事に必須な道具は?
PC、デジタルカメラ、後は今まで収集した仮面や写真ですね。カメラに関しては、デジタルカメラすら使わず、携帯のカメラを使うこともあります。研究者がちゃんとしたカメラを使って撮影していたら地域の人々は身構えてしまうので、あえてそうしています。村に入ったら、まず歩いている人に話しかけて、今まで収集した仮面などを見せながら、この村にも仮面をつけてる人はいますかと聞きます。そうして紹介された女性の家でインタビューさせてもらうのですが、皆が娘のように暖かく接してくれます。
あなたが自分らしくいるためのモットーは?
自分の納得した選択肢を進むこと、選択肢が幾つかある場合は自分が一番良いと思うものを選ぶことです。優先順位は変わっていくものですが、その時々で後悔しない選択をすれば、最初の計画とは大幅に変わってしまっても後悔しないと思います。今は自分のいろいろな場所を転々としている生活が好きですが、夫との生活や将来の子供のことを考えると、選ばなかった選択肢もあると思います。自分の研究を優先させたので、家族と過ごす時間は少なくなってしまいましたが、後悔はしていません。自分が自分の選択に満足していればそれで良くて、自分が自分の居場所を見つけることが大切だと思います。
夜通し考えてしまうような不安や悩みは?
今後のキャリアをどうするか、またどうプライベートと両立させるかですね。研究者のポストの多くは任期制なので、次のポストが空くのが明日なのか10年後なのか分からないんです。今までは2、3年ごとにいろんな国を転々とするスタイルで、それが好きだったのですが、コロナでそうもいかなくなってしまいました。また家族との生活もあるので、一つの場所に定住することも考えています。
あなたとパートナーとの関係は?
私の夫はドバイで育ったアラブ人です。出会ってから10年ですが、ずっと遠距離恋愛です。去年は10ヶ月ほど一緒に生活したのですが、私たちにとっては珍しい体験でしたね。(笑) よく遠距離恋愛や国際結婚について、大変じゃないの?と聞かれるのですが、私たちの場合は、彼が私の研究者としてのキャリアを応援してくれていて、それを実現させる方法も尊重してくれています。ずっと一緒に同じところに住むことはできていませんが、それだけ離れていても一緒にいたいと思える人です。もちろんこれからの人生もそう思っています。困難を乗り越えられば真のパートナーだと思います。
自信をなくしたり苦境に立たされた時の立ち直り法は?
人に話します。キャリアについて悩んで眠れない時は、とりあえず悩みを紙に書き出してみて、一つ一つその悩みに対して助言をくれそうな人に連絡して、すぐにミーティングをセッティングさせてもらいます。不安や悩みは先延ばしにしないで、次に自分が進む道を決めるのと、選択肢を増やすことをします。
世の中にもっとあって欲しいものは?減って欲しいものは?
もっとあって欲しいものは多様性と機会。減って欲しいものは差別、偏見、暴力です。
差別や偏見が暴力を生みます。賛成はしなくても良いけど、他人との意見の違いを受け入れることが必要だと思います。
学校に行く機会や留学の機会など、もっと多くの人々に平等な機会が増えて欲しいです。教育や奨学金制度が変わり、もっと多くの若者を支援できる体制になることが必要だと思います。そして、個人の生き方を強制される枠組みではなく、それぞれの意思で選択できる社会になって欲しいと願います。
“Empowered Women Empower Women.”