最近アートやデザインをビジネスの世界に持ち込む動きが増えています。
なんだか高尚で、とっつきづらいものという印象の“アート”が、開かれたものに変わってきて、社会や暮らしの中に入り込んできたなーって感じます。
チャリツモで普段扱っている、「社会問題」についてもその解決の現場で「アート」というキーワードをよく耳にするようになりました。
お二人は「アート」と「社会」の関係性について、どう思われますか?ぶっちゃけ、アートは社会から期待されていると思いますか?
期待されてると思いますよ。ただ、期待だけがあるけれど、具体的に何をしよう、って言う人は少ない状況だと思います。そこのギャップがあまりにも大きいんです。まずは期待の正体を見抜く必要がある。
アートと社会という文脈では、「アートが社会に還る」という動きは、国際的に起こっています。
その中で今の日本を見てみると、アートが社会に行き着くまでには、解かなければならないバリアが多すぎると思います。
まず、アートと言うものは、どんどん分野横断的になってきている。その中で、分野横断する人を嫌う人が多いと思います。一つの分野を突き詰める人が多い。
僕は慶応の法学部に所属しているんですが、大学では一つの研究に打ち込む人が多く、横断的な実践を嫌う空気はまだ根強く感じます。
いろいろな学問分野を横断して、「クリエイティブに落とし込む」ことが好きな部分でもあるんですが、キャンパスでは同じような人にほとんど会ったことない。
慶応の中ではSFC(慶応義塾大学湘南藤沢キャンパス)なんかが、分野横断的、実践的なことをやっています。でも、僕の所属していた法学部は、分野を越えることが必ずしも良しとされないので、自分としてはあんまり居心地よくはなかったかな。ゼミにも全部落ちたし。
僕自身としては、アカデミックな世界で学んだことが、めちゃめちゃ活かせてるなって実感があるんですけどね。
まだまだ分野横断的な人間は嫌われますよね。まあ、気にしていませんが。
アカデミズム界隈の方からは、実践がわからないとよく言われます。たとえば政治学でも理論研究をする人と、外交史を研究する人とでは、話が全く別なんです。おなじ政治学でも、他の界隈に突っ込もうとしない。
僕のやっているドキュメンタリー制作となると、尚更違う話としてとらえられます。
西洋の体系づけられた学問と日本の職人的体制が合致した感じですね。
その二重に引き受けられた推進力が近代の日本の急激な練り上げを生み出したんだけど、現代ではアカデミズムの硬直性につながっている。
学問の世界には他の分野には口出さないみたいな傾向がありますよね。
10代の子と仲良くすることが多いんですが、彼らはもっとわかっているし、何よりオモシロイですよ。
アート・テクノロジー界隈にいると、むちゃくちゃオモシロイ10代に会えます。
例えば、クラウドファンディングを普通のインフラとして使う事ができるし、創作活動と、テクノロジーと、ファイナンス、そしてアートをなんの境目なしに考えることができてる。
そう考えると、私たちの代(20代前半)もやばいよなあ。既に萎縮していると思います。
「上の代がうるさい」とか言ってウジウジしている場合じゃない。
旧式の体制は崩れています。インターネットも当たり前に成り、世界はよりボーダレスになっている。その業界を強固にするための線引きはあまり意味をなさなくなってきていて、世の中は多様化している。線引きの強固さよりも、柔軟性が必要です。
実践を嫌う傾向があるとしたら、学問は何のためにあるのでしょう。
職人的に専門を突き詰めることはもちろん大切ですが、それを社会に落とし込むことも確かに重要です。
チャリツモメンバーの中にも、学生時代、同じ専門の教授同士が対立している、なんてことを経験した人もいます。しかし、社会という複雑なものを直視した際には、自分の分野だけでなく、自分と異なるものにも目を向けなければなりません。
また、自分と自分と異なるものの線引きも、主観的に引かれたもの。そうした常識の線引きがない、若い世代の発想力やオモシロさにも、もっと注目してもよいのかもしれません。
ぶっちゃけ、アートって社会から期待されていると思いますか? 最近アートやデザインをビジネスの世界に持ち込む動きが増えています。 なんだか高尚で、とっつきづらいものという印象の“アート”が、開かれたものに変わってきて、社会…
秋葉原から歩いてほど近く。少し開けた場所に、地域の人や観光客集まる場所があります。
3331 Arts Chiyoda(サンサンサンイチ アーツ チヨダ:以下、3331)。
閉校になった千代田区の中学校を改修して作られたアート施設です。
ガラス張りの外観は、学校の面影を残しながら、スタイリッシュなデザインになっています。入口手前にあるカフェは、団体の観光客の方でにぎわっていました。
今回、チャリツモが3331を訪れた目的は、地域とアートをつなぐ取り組み「アーティスト・イン・レジデンス(Artist in Residence、通称AIR)」についてお話を聞くため。
聞くところによると、アーティストが世界を旅し、それぞれの滞在先で作品の制作・発表をする、というものだそう。
ここ3331でも「AIR 3331」というAIRプログラムを運営し、世界中のアーティストを受け入れているのだそう。
いったいぜんたい、AIRって何が面白くて、私たちの生活にどうつながっていくのでしょうか?
まずは、3331の岩垂さんに
お話しを伺ってみました♪
本日は宜しくお願いします!
AIRについて、お話を聞くのを楽しみにしてきました!
ようこそいらっしゃいました。AIRの話に入る前に、まず3331についてお話しましょうか。
3331は、閉校した千代田区の中学校を改装し、2010年にオープンしたアート施設です。
地下から3階と屋上まであって、3階はシェアオフィスやクリエイティブ企業のオフィスになっています。
現在約40の企業が入居しています。また、2階はギャラリーが主に入居していて、国内外の作家を紹介するギャラリーのほか、大学が運営するギャラリーもあります。
今階段の壁には、亡くなった作家の佐々木耕成さんの作品をオマージュしたペイントが施されているんですよ。制作風景も動画に残っているのですが、ペイント業者の職人の方々が佐々木さんの作品をトレースして作りました。
1階のコミュニティスペースは、もともと職員室だったところをリノベーションしたんです。あえて黒板をそのままにして、学校らしさを残しています。
入口にあるお店は、昼はコッペパンを売るカフェ、夜はフレンチのレストランになります。日本の学校の雰囲気が珍しくて、外国人観光客の方にも人気のスポットになっています。
また、セレクトショップもあって、若手アーティスト支援として、若手作家の作品も販売しています。
地域に開かれた施設を目指しているので、フリースペースとして自由に使っていただけるエリアも設けているんですよ。
また、地方のコミュニティを活性化させたいという想いも持っているので、東京だけでなく、日本各地のご当地フリーペーパーもおいています。
3331では地域の人を巻き込んだプロジェクトも数多く行っています。
例えば3331の1階に展示している「トイザウルス」を作った藤浩志さんは、「かえっこ」というプロジェクトを実施しています。
いらなくなったおもちゃをカエルポイントに交換して、そのポイントで新しいおもちゃに交換できる、というものです。
これがアート?と思われるかもしれませんが、プロジェクトを通して生まれたコミュニケーションや喜び、すべて含めてアートプロジェクトなんです。
そこで集まったおもちゃを使って作品を作ったものが「トイザウルス」という作品で、1階に展示されています。
他にも継続しているプロジェクトとしては、アーティストの日比野克彦さんが始めた「明後日朝顔プロジェクト」があります。これは全国各地で朝顔を育成し、種を交換することで生まれる人と人、人と地域、地域と地域の交流をテーマとした活動です。
このプロジェクトを通して、地域ごとのつながりを強くします。
地域連携は、3331として大切にしていることです。
この施設を地域に根付かせるために、町会のメンバーになって、地域のお祭りにも積極的に参加しています。
ここの町内会では、隔年で2つ大きなお祭りがあり、私たちは実際に行列に参加するほか、撮影班、記録係としてかかわっています。
ほかにも餅つき大会を主催したり、地域の人向けのワークショップを開催したりしています。
3331がオープンしたころ、はじめは「よくわからないアート集団」と、思われていた節もあると思います。しかし、施設に地域連携担当のスタッフをおき、徐々に時間をかけて関係を築いてきました。
よくわからないものに対して、人は警戒してしまいがちですが、地域の人との積極的な取り組みが、つながり作っていったのですね。
近所にこんなアート施設があったらうらやましいです。
それではここからは、3331が行っているアーティスト・イン・レジデンス(AIR)「AIR 3331」について、事業担当の吉倉さんとエミリーさんからお話いただきましょう!
はじめまして。吉倉です。
エミリーです。
宜しくお願いします。まず初めに、初歩的なのですが、「アーティスト・イン・レジデンス」ってなんなのでしょう?アーティストが旅をしながら、滞在制作をする…、とざっくりとしたことはわかるのですが、定義はあるのでしょうか?
オクスフォードの辞書によると、「定められた期間、アーティストが公式に大学やカレッジ、地域などに所属して働くこと」とされています。
といってもこれはあくまで辞書的な定義です。今日本には、多様なAIRが存在しています。
例えば、マイクロレジデンスという少人数のレジデンスがあります。
アーティスト1人に対して、スタッフ1人で、アーティストの要望に対して、丁寧に答えていきます。アーティストと地域がとても近いことが特徴です。
対照的に、大規模なものもあります。日本で一番大きいところは、北海道にある迎賓館をホテルに改装したレジデンスで、一度に50人ほど滞在することもあります。
辞書の定義でいうと「働くこと」とありますね。この条件が、普通の旅との違いなのでしょうか。
行政のプログラムだと、定義の通り、コミュニティとの共同作業やワークショップが必須になっていることもありますが、主催者が民間の場合はそうでないこともあります。
滞在の目的も、制作活動だけでなく、地域とのコネクションづくりの場合もあるので、普通の旅とAIRの境目は薄くなってきています。
日本の地方自治体が、AIRの取り組みをするのはなぜでしょうか。受け入れ側にはどんなメリットがあるのでしょう。
地域活性や国際交流、文化交流を目的にで取り入れているところが多いです。そういう意味で、アートができる地域貢献のかたちだと思いますよ。
AIRの起源って、実はとても古いんです。17世紀ごろから、ヨーロッパにはアーティストをサポートするAIRの原型のような仕組みがありました。
今でもAIRが最も盛んなのはヨーロッパです。最近はインドネシアのジャカルタに急激に増えていると聞いていますが、アジアにはまだまだ少ないです。
日本に渡ってきたのは80年代から90年代あたりで、はじめは行政のプログラムとして取り入れられました。3331のような民間の団体が取り組むようになったのは2000年代に入ってからです。今では50くらいの受け入れ施設があります。
一般社団法人コマンドNが運営しているAIRプラットフォームのMove Arts Japanには、現在37~40ほどの施設が掲載されています。
オランダの団体が主催している、世界中のAIR施設が集まる国際会議もあって、2019年は2月に京都で実施されました。この会議はアーティストが施設間をスムーズに移動することができるよう、AIR施設同士が連携することを目的とするものです。
日本に来るアーティストも、東京に滞在したら、次は四国、など日本全国を回ってもらえるように連携しようと動いています。
AIRがどういうものか、イメージがつかめてきました。 日本にはたくさんのAIRがあるようですが、3331のプログラムはどのようなものなのでしょう?
3331のAIRには2種類あって、メインは「オープンコール」と呼ばれるものです。年に2回ほど募集をかけていて、ジャンル不問。3331のスペースで対応できるものであれば、世界中だれでも対象になります。アーティストが参加費を払い、自主的にプロジェクトに取り掛かります。
もう一つは「招聘(しょうへい)プログラム」。オープンコールがアーティスト主体であることに比べ、こちらは3331がプログラムを作ったうえで、アーティストをお呼びします。
どちらも1か月から3か月くらい滞在する人が多いです。
3331のAIRは、2010年に3331が設立される前から、代表でアーティストの中村政人が取り組んでいた事業です。
AIRの規模としては中くらい。最大5人まで同時に滞在でき、1年間で約50人受け入れています。
3331の特徴は、地域とのつながりが強いことはもちろんですが、代表自身がアーティストだということです。そのため、加えて現代を生きる日本の作家とのコネクションを作ることもできるのが魅力です。
3331は東京の中心にあるということも、海外からのアーティストから見て魅力的に映りそうですね。
おっしゃるとおり、3331がある千代田区は、日本のアートシーンに近いだけでなく、画材などにアクセスしやすいという点でも、制作活動をしやすい場所だといわれているんですよ。
参加するアーティストの中には、日本の伝統工芸やアキバカルチャーに関心がある人もいます。
実際に滞在したアーティストの「千代田区ならでは」のものが反映された作品は、どんなものがあるんですか?
例えば、あるアーティストは、千代田区の中を歩き回って、区民のインタビュー動画を収集しました。
インタビュー中に、ある清掃員の方から怒られるということがあったのですが、翌日同じ清掃員さんにお会いした際には、きれいな絵を描いて渡してくれたそうです。プロジェクトを通して区民とつながり、隠れた才能を拾い上げていたんです。
また、カナダのアーティストが制作したのは、観葉植物を切り取った作品です。駅や道端に、観葉植物がぽつんと置いてあることがあるじゃないですか。それが珍しい、と。私たちからすると、当たり前の風景なので気づかなかった視点を取り上げて見せてくれる例ですね。
アーティストの視点にはっとさせられることも多々あります。
例えば、オーストラリアから来たアーティストは、菊の展示会に行って”暴力性”を感じたといっていました。どういうことかというと、菊という自然のものを、型にはめて思い通りに育成させるということは、自然に対する暴力だ、というんです。
なかなか日本人だとない発想ですよね。
他には、カプセルホテルに着目したり、日本にいる孤独さを作品にしたり、多様な視点があることを日々感じます。
外から来た人だから気が付くもの。その気付きが眠っていた町の魅力を切り取った作品を、一般の人に無料で公開しています。
千代田区を切り取った作品について、地元の人たちからはどんな反響がありましたか?
近隣の方からは「これもアートなんだね」といった感想をもらうことが多いです。地域を題材にしたアートから、アートには様々なかたちがあることを知ってもらうきっかけになっていると感じています。
「アート」というと、額縁に入っているもの、というイメージが強いですが、作るプロセスとか、もっと広い「表現」もアートになるのですね。
自分の住んでいる町が題材だと、アートに関心がなくても、足を運んでみるきっかけになりそうです。
時間・空間・関係性…すべてが作品なんです。
また、AIRで滞在している海外からくるアーティストが、近隣を歩いている、ということを自然に体感できることで、街の国際化にもつながります。地域の人が、海外からの人を受け入れる対応力をつけることにも役立っていると思っています。
アーティストたちも、餅つきや畑の土づくりなど地域のイベントに参加したり、滞在自体を楽しんでもらっています。
アートを通して、街の人とアーティストがコミュニケーションしているみたいですね。アートとして出力された街の姿にきっと、近隣の方もわくわくしますね。
施設としても3331も、AIR事業も順調なように見えますが、課題や今後の新たな取り組みの計画はありますか?
AIRに参加したいアーティストが増えていて、場所の確保が難しくなってきています。ニーズに応じて、私たちの運営体系も変える必要があると思っています。
今構想にあるのが、Artist in Familyというもの。レジデンスに滞在するのではなく、一般家庭に滞在して、3331で制作活動をする、というスタイルと考えています。ホームステイ型のAIRですね。
まだまだクリアしないといけない問題もたくさんありますが、実現に向けて動いています。
私自身、複数国でホームステイの経験がありますが、宿泊施設に滞在するのと全然違いますよね。家庭での経験から、新たな視点の作品が生まれてくると思うと、わくわくしますね!
自分の住む町でも、AIRがあれば面白いんだろうなあ…。
この日、ちょうど取材日に3331のギャラリーで展示をしていたAIR参加アーティスト、リリー・マクレーさんにお話を伺いました。
リリーさんの作品は浮世絵の技法や日本の名画から色彩のインスピレーションを得て、再構成したものだといいます。よく見ると、人の足のような形が見えたりするのは、日本の江戸時代の絵のエッセンスが入っているといいます。
日本には1か月滞在していました。その間、たくさんの浮世絵を見て、色彩や作品の構成などをリサーチしました。もちろん西洋の絵画とは大きく違いましたが、同時に共通点も多く見つけました。西洋の会だと影響しあっている要素も多いように感じます。
なぜ日本でAIRに参加しようと思ったのでしょうか?また、東京に滞在してみて、印象的だったことはありますか?
日本の文化には昔から関心がありました。また、ほかのアジアの国には何度か行ったことがありましたが、日本はなく未知の場所だったので、アジアで滞在制作するのであれば、日本がいいと思い、インターネットから探して応募しました。
日本の中でも東京は、たくさんの美術館があるので、多くの作品をみることができました。
あと、東京は物事が効率的で整理されていて、ここなら住めるな、と思います。
日本に滞在して制作することで、作品は変わりましたか?
大きく変わりました。
作品は同じ手法で描かれているので、大きく違っては見えないかもしれませんが、特に色合いが影響されています。
浮世絵の色は、やはり独特なのでしょうか?
そうですね、特に青の色合いが異なるように感じます。浮世絵からだけでなく、東京はとても色にあふれた場所なので、常にインスピレーションをもらっていました。
例えば街の看板とか、電子的な光だったり、ほかのアジアの国とも違ってすごく独特です。
スコットランドでは、すごく寒いところに工房があって、作業するのが大変なのですが、今回のAIRでは作品作りに集中できる環境があってすごく良かった。短い時間に集中して描いたもの、良い経験でした。
またほかのところでも、AIRに参加したいです。
アート、美術、芸術…といわれると、ちょっと難しいそうだし、素人が何か言えないような気がしてきてしまいます。しかし、実はもっと手の届くところにアートの面白さがあるんじゃないか。3331を訪れて、そのように感じました。
何かを表現してみること。日常を違う視点で切り取ってみること。そんなところから、アートが生まれます。当たり前にすぎていく毎日や普段気にも留めていないものも、ちょっと視点を変えればアートになるのです。
AIRは、私たちの日常を、海外から来たアーティストの視点で切り取ることで、住んでいる私たちが今まで気が付かなかった、地域の新たな魅力を引き出すところに、一番の面白さがあるのかもしれません。
秋葉原から歩いてほど近く。少し開けた場所に、地域の人や観光客集まる場所があります。 3331 Arts Chiyoda(サンサンサンイチ アーツ チヨダ:以下、3331)。 閉校になった千代田区の中学校を改修して作られた…
アート・テクノロジー界隈にはオモシロイ10代がたくさんいるらしい。
若い世代ほど、分野横断的に柔軟に考えることができるのだそう。
そうしたオモシロイ若者は何を考えているのでしょう。
若い人たちの中には、上の世代の無理解に対して諦めている人もいます。
昨日会った高校生は、彼らが社会に出る時代には今経済を支配しているオープンソースでありながらインフラを独占しているようなモデルは壊れるだろう、と読んでいて、それが壊れた先の世界を見るのが楽しみ、と言っていました。
つまりは今の支配モデルが崩れてから社会に出て働くというようなことを言っていて、
そんな風に見据えるのかと思いましたが、ここには若者共通の諦めがある。
僕自身も、ある種の諦めがあって、だからこそローカルで戦っているんです。
資本と影響力のある上の世代が多く、
若者の発言権のない都市部を去って、自分がフルパワーで働けるローカルに行く若者が増えています。
僕が今活動している四国はもう最高です。徐々に、同じ思いをもった人が集まってきている。
これまで海外に出ていて、
グローバリゼーションの中で戦うことが出来る若い人たちが、グローバルの波にいるからこそアイデンティティを強化するために、ローカルを確保しています。
グローバルとローカルは、対局になるようで相互依存の関係にあって、ローカルが形成されないと、グローバリゼーションは本質的にはその体を成しませんよね。
若い人の中には、グローバリゼーションの文脈の中からローカルに目を付け始めて、
敢えて日本を選択している人が出てきています。そうした人を受け入れる場所として、ローカルがどんどんオモシロくなってきています。
僕もそうした考えで、いいローカルが作れる場所を探していたんですけど、愛媛県大洲市が激アツで!
旧城下町ですから、城を中心に徒歩圏内のコンパクトシティ感があって、そしてその城を地域の人が再建したという気概。
元々産業的に外貨を取る場の文脈もあり、街全体には文武両道的な世界観があります。
美しい川に囲まれていて、その中にある歴史的な建物が軒並み空き家になっている。
大洲市では昨年地域DMO(官民協働で市場調査などの手法を用い、経営的な視点から「観光地域づくり」を進める法人のこと)が設立されており、精神的な連体感を強く感じます。
愛媛県では「グローカルフロンティアを作る」という目的で産業創出支援を行っており、私もそれにのっかって起業※1しました。
雑誌『ナショナルジオグラフィック』も、瀬戸内を推していた※2し、大津市や愛媛県に限らず、瀬戸内はこれから来る。
“グローバリゼーションで活躍できる人ほどローカルに行く”っていうのは、「自分の原点」に還る人が多いってこと?
原点というか、ローカルの方が利益がある、あるいは自分にアドバンテージがあるということなんだと思う。
“還る”とは違って、僕はもっとクールな選択なんだと思う。
アイデンティティとかカルチャーといったものに重きを置く人は地方を取り、もっと画一的・均質的なサービスを求める人は都市的な生き方をするのだと思う。そういう風に人が巡る。
あとフィジカルがとてつもなく大事だから。ポスト・インターネットとしては。
なるほどね。僕は関東に生まれ育って、あまり「地元」っていう意識がないから、ローカルってどんなかんじなんだろうな、と思って。
どっちがいい悪いって話ではなく、自分はどちら向きが気持ちいいのか、どちらがストレスオフなのか、ということなのかもしれないね。
僕自身、まだ世界でバリバリ働いている訳ではないからわからないけど、一度そういうところで働くと、「地元でやりてえ」って思うのかもしれない。
でも面白い視点だね。自然とこれを認識して、起業したり、モノを作ったりすることが出来るのはすごいと思う。
褒められた(笑)
私はアーティストと起業家はすごく親和性があると思います。
先の流れを読んで、自分なりのロジックというか、コンストラクションをもって、モノを創るという点で。
時代の変化を読んで、自分なりの選択をしていくことに境界はない。
グローバルも都市もローカルも、フラットな選択肢としてみることができることが「上の世代」にはない視点なのかもしれません。
オモシロイ若者たちは、社会にどう働きかけ、どこへ向かっているのでしょうか? アート・テクノロジー界隈にはオモシロイ10代がたくさんいるらしい。 若い世代ほど、分野横断的に柔軟に考えることができるのだそう。 そうしたオモシ…
フリーランスの映像作家として、ロヒンギャ難民など海外の人々を映像に納めてきた久保田さん。
主な作品発表の場は、インターネット。
久保田さんは、なぜ今の表現のスタイルに落ち着いたのでしょう。
自分がWeb上で作品を発表しているのも、将来こうなっていくんだろうなあ、っていう変化を読んで選択した結果ですね。
日本では、ドキュメンタリーというとテレビ、となりますよね。でも今後は、ウェブ上でドキュメンタリーをみる機会が増えると思います。
いくつか理由が挙げられますが、まず一つは、同じ時間にみんなが同じものを見るっていうスタイルが少なくなっているじゃないですか。今は人々の生き方が多様化していて、必ず夜8時にこれを見る!っていうライフスタイルではなく、オンデマンドで見る時代。
ただ、ライブ配信は別だと思います。
ライブで映すっていう意味において、テレビの役割は残るはず。ニュースの速報性とかは必要です。
他に残る役割としては、ワールドカップとか紅白歌合戦野ような「みんなで観ている感覚」が特に重要なもの。
あとずっと流しっぱなしにしているからこそ、ときどき出てくる「おもしろい!」というもの。そういうセレンディピティ※を供給する媒体としてのテレビは生き残ると思います。
だけど、それ以外はすべてオンデマンドに吸収されると思います。
ちゃんとコンテンツを楽しみたい場合は、オンデマンドの方がいい。
イギリスでは既に、BBCなどのテレビチャンネルはインターネットに繋がっていて、コンテンツを選んで見るスタイルになっています。
ただコンテンツを流すより、観る側が主体的にコンテンツを選ぶので、より鑑賞にコミットするんです。なので、コンテンツを作る側としても、内容をより凝ったものに出来るんです。
日本のテレビのコンテンツは、流し観することが前提に作られているので、同じような説明やテロップを繰り返して、過剰にわかりやすくしていると思います。
これからの映像コンテンツは、オンデマンドに流れていくトレンドになっていくので、従来のテレビのわかりやすさ至上主義では適応出来ないと思います。そうしたトレンドの中で、これからはもっとコンテンツが多様化していくはずです。
ただ、そうすると観る側の趣味嗜好によって、視野が狭まってしまうので、プラットフォーム側がコンテンツを広く取ってくる必要がありますよね。
社会問題とかは、大きな物語として伝えられがちですけど、もっと個人の小さな物語に落とし込むと、人は受け入れることが出来るし、視点を向けることができるんです。
インターネット上では、観た人の感想も上がってきます。
いろんなコメントを読んで思うことは、一人の人間をちゃんと描くことが出来た作品に対してはディスる人はあまりいないんです。
移民や難民の話もそう。たぶん、日韓の問題もそうだと思う。大きな話をされると反発する人は多いけれど、等身大の人間の姿を描くことで、人はもっとソフトになれる。そういう作品を作っていきたいです。
ドキュメンタリーの役割は、問題を知ってもらうだけでなく、そこから普遍的なテーマを見いだしてもらうことだと思います。
大きな問題を伝えようとしたとき、ものごとをシンプルにするプロセスが絶対にあるんです。そのプロセスのうちに、そぎ落とされてしまう部分が絶対にあって、そこに光を当てていきたい。
ロヒンギャの例を使ってみると、例えば「ロヒンギャについて何が一番問題だと思うか」って聞かれたら、ミャンマー国民のネグレクト(無関心)、つまり誰も助けようとしないことだと答えます。
なぜ誰も助けないかというと、彼らのロヒンギャに関する事実認識が、国際社会の事実認識と180度違うからだと思います。
ロヒンギャ問題に限らず、国際社会のニュースと国内ニュースの認識が違うことって、結構あると思いますが、それってひとりひとりに責任があることですよね。
「メディアリテラシー」っていうと、簡単に聞こえちゃうんですけど。でも究極には、ロヒンギャ問題は、ミャンマー国民が物事を批判的にとらえられていなかったがために、起こった問題じゃないかと思います。
これって、他の国や問題にも当てはまる普遍的なことで、日本人だってヒトゴトではないと思います。
あと、ミャンマー国民がロヒンギャをネグレクトしている状況で、ロヒンギャを助けているミャンマー人も撮影しました。そこに映し出すことが出来たのは、その人の人間性とか、家族を思う気持ちとか、別の観点の普遍性。
僕はこの社会的普遍性と人間としての普遍性の2つを描くために映像をやっています。
ちなみに、こうした普遍性を描くために、英語で言うオブザべーショナルドキュメンタリースタイルという手法を使って映像をつくっています。このスタイルは英語圏では結構主流で、ナレーションなどを一切入れず、観察的に表現します。
今日本のテレビで放映されているドキュメンタリーでは、だいたいナレーションが入っています。僕はそれによって、被写体の言葉よりもむしろ、作り手の言葉が強く出すぎてしまうことを懸念しています。そうした手法に偏るとストーリーが予定調和的に見えるし、何よりももっと当事者たちの声が前面に出た方がリアリティが出て、心に響くものが出来ると思うんです。
僕自身がドキュメンタリーを撮るときは、当事者たちの言葉だけで作品を創りたいと思っています。
一つのことを突き詰めることと、分野横断的な視点をもつこと。
専門分野の視点や言語で固めてしまうのではなく、線引きされていない、世の中の事象をありのままに受け取り、描写することは、言うのは簡単でも、なかなか実現するのは難しいことです。
特に、年をとるにつれ、ある特定の枠組みの中でのみ通じる「当たり前」の中から抜け出すことは、難しくなっていくように感じます。
若者は経験や知識が浅い、と揶揄されがちですが、固定観念が少ない分、物事を素直に受け入れる柔軟さを持っている傾向もあると思います。
しかし、十分な(そもそも何をもって”十分”となるのでしょう?)経験がないと、そうした国際問題にかかわれないのでしょうか?問題を語ってはいけないのでしょうか? それこそが、無関心やとっかかりにくさを助長することになってしまうのかもしれません。
なぜテレビという媒体を使わないスタイルを選んだの? フリーランスの映像作家として、ロヒンギャ難民など海外の人々を映像に納めてきた久保田さん。 主な作品発表の場は、インターネット。 久保田さんは、なぜ今の表現のスタイルに落…
アートってなんとなくよくわからない。
絵や写真、音楽や演劇など、いろんなものがあるけれど、アートの意義ってなんなんでしょう。アーティストはなんのためにいるんだろう。
そんな疑問を、率直にぶつけてみました。
アートが社会にどんな影響を及ぼすか、というポイントですが、これは正直難しい。アートと社会はいまだ交わることなく、2層のレイヤーに分かれてしまっているんです。
まず一般的な話として、アートが社会にもたらすものは創造性と独創性です。
アートは、今までなかった価値観とか、人間の可能性を提示するチカラをもっています。つまり、アーティストは人間の想像力を背負っているんです。
お医者さんは人の命を背負っていますよね。だからお医者さんが適当な仕事をすれば、人の命は死んでしまうし、アーティストが適当な仕事をすると、人間の想像力を失わせてしまう。
想像力が欠如すると、戦争の引き金になります。その想像力を創ることが、アーティストの仕事なんですね。
しかし、今はあえて「ソーシャルエンゲージメントアート」※って言わないといけないくらい、アートと社会は結びつきにくくなっていますよね。
でも、ところ変われば、アートと投資、アートと教育が結びついていて、学問の中で体系づけられ、社会の中でしっかりと機能している国もあります。アートと社会が結びついているんです。
でも…それは、なかなか日本では難しいと思います。
このアートと社会が交わらない問題って、実は日本社会特有だと言ってかまわないと思います。そもそもアルファベットの「ART」は日本に接着していませんから。
なぜ日本でアートが社会に結びつかないかという話ですが、まず、根本的にキリスト教・資本主義・アート、そしてマネーという概念は、日本に“くっつかない”と思っています。
日本では未だに多くの人が「アートは特殊なもので社会とくっつかない」と思っている人が多いことと「お金が生活から切り離されている」ととらえる人が多いことは同じだと思います。どういうことかというと、アートもお金も、社会とは別のところにある“よそ者”だととらえる傾向があるんです。
でも実際はそうではなくて、生活のインフラとしてちゃんと社会の中にあるものです。おそらくこうしたものは、東洋的な価値観から外れてしまっているのでしょう。
そうした言葉(資本主義やアート)が輸入されてから150年経った今も、日本社会に接着しているようで、していない。ドラえもんみたいに、遠くから見るとくっついてるけど、近くで見ると浮いている感じ。ドラえもんって、体がものすごく重いので、実は微妙に地面から浮いている※んですよね。
それと似たように、“言葉はあるけど本当の意味が浸透していないもの”でいうと、「社会」という言葉もそうだと言われてます。
最近「世間学」についての本を読んでいたら、「社会」っていう言葉は、日本語に存在するけど、実は概念として日本に接着していないと書かれていて、なるほどと思いました。
「社会」という言葉が翻訳されたのは、明治時代。社会は、個人を基盤とする共同体で、日本には存在しなかった概念です。
もともと日本にあったのは「世間」であり、それはもっとゆるやかな共同体。そしてその世間の中には、個人ではなく「家」があるんです。
欧州での「家」というと、個人があって、個人のプライベートを守る場所として「家」がある。そして、個人に対するものとしてパブリックソサイエティ(=社会)がある、という概念が成立しています。
一方、日本にはそれがいびつな形で導入されてしまって、日本人が「社会」だと思っているものは、実は「家」の出先機関のような共同体、「世間」だって書いてあったんです。
芸能人なんかが不祥事を起こした際には、我々が「社会」だと思っていたものの化けの皮が剥がれて、「世間」が出てくる。
「世間」に謝罪することは、家制度を中心とした巨大な村社会が存在していることの証拠なんですね。
明治時代の偉人たちが訳した数々の外来語たち。
もともと日本社会になかった概念なわけなので、日本に「しっくりこない」ものも多いというのは納得感のあるお話です。
「ある」けど「ない」というのはなんだか不思議な感覚です。
アートって社会に必要ですか? アートってなんとなくよくわからない。 絵や写真、音楽や演劇など、いろんなものがあるけれど、アートの意義ってなんなんでしょう。アーティストはなんのためにいるんだろう。 そんな疑問を、率直にぶつ…
アートは日本に“くっついていない”という檀上さん。
それでは英語と日本語のART / アートはどのように異なるのでしょうか。
今ブームみたいに、アートがものすごく盛り上がっているけれど、そんなに万能な言葉じゃないんです。
アートという言葉が指し示す領域で、日本の美的なものごとをとらえきれるかというと実は、かなりできない。
なぜかというと、アートがあるフランスと日本を含めた極東では、宗教的な下支えが異なるためです。
仏教のような宗教は、多神教で対称性があります。
どういうことかというと、私たちと仏様は相互交換の可能性があるということです。私たちが、仏さまになることだってできますよね。常に関係性の中にあって、いつだって絶対がないんです。
一方キリスト教の場合は、神様は絶対であって、わたしたちが神様になることは絶対にない。でも、歴史を振り返ると、そのキリスト教の世界で、神様が一度死ぬと。つまり、キリスト教中心の社会、キリスト教による統治が終わり、その頃資本主義が生まれます。つまり、資本主義はキリスト教の代替なんです。
そのため、キリスト教ではなく、アニミズム※の下敷きの上に、仏教や神道が相まった信仰が根付いている極東の日本に、資本主義はなかなかくっつかないんです。だからアートもくっつかない。
宗教性のなかで、最も際立つものがそれぞれの文化、芸術です。つまり、アートという言葉は、キリスト教の宗教性を反映するものです。そのため、翻訳しただけでは、なかなか日本には接着しない。宗教的基盤が異なるからです。
日本は鎖国もあったので、極東の中でも独自の文化をさらに凝縮してしまっていました。
さらに、日本にアートが入ってきたころは、ちょうどアメリカでアート市場が生まれたタイミングなんです。アメリカのアート売買市場の仕組みは、またヨーロッパのアートとは違っています。
ヨーロッパとアメリカのアートが、いっぺんに東洋の“茶の湯”の上に乗っかってきた。
つまり日本の「アート」には、こういう複雑さがあります。
翻訳の意味の「アート」という概念は、昔も今も日本に存在しません。
また、このような概念の違いに向き合っているアーティストもほとんどいない。
大体みな諦めてしまっているんです。そちらの方が楽だから。
一部のアーティストだけが、どうしたら「アート」が日本にしっくりくるか、明治時代実験を繰り返してきました。でも、やり切れずに高度経済成長に突入してしまった。
日本は明治維新の時代に多くのものを失いました。民俗や弓道、武道、文芸、絵描きの一派…。
西洋輸入と戦争を経て、多くの“文芸”は消えてしまったんです。モノも、血も、画法も、機関も。
消えたことが悪いとも思いませんが、そのことが今後皮肉な結果になっていくと僕は思います。
しかしながら空気のようにその思想たちの名残は私たちの生活のそこかしこに残っている。今の時代でも、東洋のグランドデザインが未だに生きているということです。
そうした精神的なインフラがしっかり整っている日本は、「アート」というものを、これからも暫くはじき続けるんじゃないかな。
ただ、これからの世代はこうした蓄積なしに生まれてくるわけで、だんだんとそうした日本の精神性は薄くなっていくんだと思います。
そうだね、でもそうした精神性がなくなったら、何を頼りに生きていくんだろう。
そうなんですよ、独自の精神なしに何を頼りに生きるのか。
何も頼らないで生きるか、もう一度過去の精神性を掘り起こすか。おそらく、日本はもう一度掘り起こすんだと思いますけどね。
でも今の日本は、その精神性が失われつつあるけど、掘り起こす動きもない。きっと、10年・15年経って、一回オジャンになった時に、考え出すんだと思います。
僕も似たような感覚があります。10年とか20年後、日本国民全般が「このままじゃまずいんじゃない?」っていう時期が来る。
よくわからないけど、2020年にオリンピックがあって、2025年に万博があって、まあその後はしんどいことになるんだろうな、って思う。
そういう時になって、一番力を発揮できるようにしていきたいな、って気持ちはもっています。
メディアの話でも、その頃にはテレビの影響力が下がっていくだろうから、日本でももっと新しい形の映像を押し出していきたいです。
僕が今、四国で挑戦しているのは、そうした来るべき時に備えて、「逃げ場」のようなところを作っているのだと思います。逃げ場、っていうのがちょっと悲しいし、間違いなく語弊もあるんですが。
今の時代、若者に革命は起こせない。たぶん革命を起こそうと旗を揚げても、人は全然ついてこないと思います。
いったんブレーカーが落ちて、初めて気が付くんだと思います。今はまだ革命の必要性に気が付いていない。
そうした中で、「逃げ場」作りをしている人は、ぽつぽつ出てきていると思います。
若い人がもっとビジョンを掲げればいいんだと思います。割を食うのは私たちなので。
今は上の世代が決定権を持っていますが、その旧式のビジョンでは立ち行かなくなってくるのは明白です。
だから、私たち若者にゆだねられています。
今って、日本の貧困率は16%くらいある。それにもかかわらず、国民の90%以上が自分が中流だと感じているというデータがあります。(内閣府世論調査 平成30年『生活の程度』)
みんなまだ「やばい」ってことに気づいていない。なんとなくごまかしながら生きているのかもしれないけど…そうすると、想像力はなくなっていきます。
想像すること。
インターネットが普及し、地球の裏側の人とも簡単にリアルタイムで会話できる現代。
想像する間も無く、ハイクオリティの映像付きで処理しきれないほどの情報が飛び交います。
情報の渦の中で、私たちは想像することを忘れてきてしまっているのかもしれません。
想像力によって生まれるアートは、現代人が失いつつあるものを補う役割を担ってくれるものなのかもしれません。
日本におけるアートとは何を表すのでしょうか? アートは日本に“くっついていない”という檀上さん。 それでは英語と日本語のART / アートはどのように異なるのでしょうか。 日本には、今も昔もアートという概念は存在しない …
以前、團上さんは「美しいものを生み出すのがアートだ」と語ってくれたことがあります。
ではアーティストである2人にとって、“美しい社会/国/コミュニティ”とはどんなものなのでしょうか?
これ、すごく難しいのですが、美しい社会というのは、描けない。美しさとは何か、ということを日々考えている人たちが生きて、その結果として最終的に生まれるものなのだと思う。
描けない未来を認める、という考えにシフトすることが大事なのかも知れません。
例えば美術とか音楽とか、自分が好きなものがあるじゃないですか。僕が思う美しい社会は、自分が好きなものを、それが何で好きなのか、自分で把握していて、話せる人がいっぱいいたらいいなと思います。
今は「みんなが好きって言ってるもの」を漠然と好きって言う人が多いと思います。そんな中で、「自分はこれが好きだ」「それはアーティストが生まれたこういう背景があるから好きだ」「だから彼のこういう思想が好きだ」みたいな感じに、話せる人が増えたらいいなって。オタク気質って言われちゃうのかもしれないけど。こういうことが当たり前になる社会は美しいと思う。
あと美しいものって裏も表も美しいと思います。だからこそ、美しい。裏側を見せることができる社会っていうのは、美しいのかもしれませんね。
例えばごみ問題みたいに、問題があることが見え透いているのに、表面的にはきれいでおしゃれでっていうの。そういうのってめっちゃ美しくない。
あとは、世界の複雑さを愛せる人がたくさんいる世界。それは美しいと思う。
シンプルなものを求めたり、ある種の正しさを求めることもあるかもしれない。だけどそれは少し怖い部分もあって…。だって、本当は世の中は複雑なんです!僕が取材している民族問題とかだって、ものすごく複雑です。まずその複雑さを受け入れたうえで、自分なりの答えが出せる人。そういう人がいる社会がいいな、って思います。
自分なりととは言いましたが、社会的な正しさを求めることをやめるのではなくて、概念的な正しさを求める姿勢はものすごく大事だと思います。
あまり好きな言葉ではないですが、「真善美」という言葉があります。正しいことと、良いことと美しさが理想とされている。正しいことや良いことだけじゃない、美しさが社会には存在しています。存在しているけれど定義できないもの、それが美しさなのかもしれません。
根本にある想いとしては、想像力が豊かな世界は美しいと思う。
知らない世界を知ることで、人は少し優しくなれると思うし、その想像力を与えることがアートの役割じゃないかなと思います。
アーティストって、本来は社会にアプローチしている存在であるべきなんです。
僕もそうだと思っています。
アートが社会と切り離した学問として、または余暇のようなものとなったのは、ここ数十年の世界があまりにも安定していたからです。 本来は、すべての学問が社会に還元されなければおかしいんです。でも、今は“学問のための学問”みたいになってしまっていて、それは単純に社会がものすこく安定していたからなんです。
僕はジャーナリズムの要素が含まれている映像制作をしていますが、海外の奨学金とかを見ていると、そういった作品もアートの中に含まれていることが多いです。ヨーロッパでアーティストビザを取ることも出来るって聞きます。
でも、日本語で話しているときに、僕は自分のやっていることをアートって言いたくないんですよ。日本語のアートは「自己表現」というニュアンスが強い。 僕の作品は、現実の存在する人を扱っていて、それが実際に助けを求めている人だから、「困っている人を使って自己表現をしているのか!」ってなっちゃうんです。だから、日本語ではアーティストっていうことに抵抗があります。
日本語のアートと英語のARTって、全然違うんですよね。
もちろん、自己表現を追求したようなアートもたくさんありますし、それはそれでいいと思います。
ただ、本来のARTは全然違うものだったんです。 繰り返しますが、やはり単純に、社会が安定しすぎていた。そのため、アートは社会の安定構造の中にある「余暇」になったのでしょう。
昔、ミャンマーの子どもたちに対して、音楽を使って内なるものを表現してもらうワークショップをしている団体を取材したことがあります。そのワークショップで子供たちが生み出した音楽が、もの凄かった。 紛争を経験した人は、その経験を語るし、政府批判もする。これまで抑圧されてきた人に、音楽というツールをあたえることで、音楽が音楽としての機能を果たそうとしているのを感じました。そういう社会が安定していないところでは、生々しい表現が生まれてきます。その時、本来のアートを感じた気がしました。
人間性の回復のアートというのでしょうかね。
今の日本で商業的な音楽が溢れている状況と、対象的ですね。
もうひとつの問題意識として、日本では、アートとビジネスと経済がつながっていないことがあると思います。
僕は、アーティストをやりながら、ベンチャーに取り組んでいます。ビジネスサイドに言いたいことは、「アートによる独創性と多様性を重ね合わせることで、社会は成長する」ということ。
お金や生産性を増やすことで経済成長、というのではなく、多様性や独創性が新たな価値体系を増殖させていくんじゃないかと思っています。
こういう思考の開き方ができると、社会が変わっていくのではないでしょうか。
アートに向き合い、表現を続ける2人の話はいかがでしたでしょうか?
インタビュー中、一度電気のブレーカーが落ちる瞬間がありました。日中だったので、真っ暗闇にはなりませんでしたが、視界を一瞬奪われ、静寂が訪れる。普段、光や雑音で見えないものを見た気がしました。
アートとは何か。普段何気なく聞いたり使ったりしている言葉ですが、いまいちつかめない言葉です。しかし、どの文化圏にも、音楽や絵画、造形など、一見生命活動とは無縁の創作があります。 今、自分が存在している世界にないものを創造する営みを、支えるのは想像力。創造/想像することができるのは、人間の特権です。
同じ時代を生きているのに、人それぞれ、見ているものは異なります。今までの位置から少し背伸びをして、見えないものを見る想像力を働かせてみると、世界が面白くなるかもしれない、と感じさせられた時間でした。
2人が描く「美しい社会」とは? 以前、團上さんは「美しいものを生み出すのがアートだ」と語ってくれたことがあります。 ではアーティストである2人にとって、“美しい社会/国/コミュニティ”とはどんなものなのでしょうか? 團上…
アメリカ合衆国シカゴ出身。6年前に日本に移住し、デザイナー兼アーティストとして活動している。2017年には自身のファッションブランド「CLOTH™」を立ち上げた。
ドックさんは、日本に来てどのくらい経つのですか?
日本には6年くらい住んでいるよ。今では自分のブランドも持っているよ。
デザイナーを始めたのは16歳の頃。音楽業界で、フライヤーなどの商業デザインから始めたんだ。
そこから徐々に、ストリートウエアのデザインを担当したり、仕事の幅が広がってきた。
ストリートウエアの仕事は好きだったなぁ。でもあるとき、自分が働いていたブランドが、ストリートウエアからメンズウエア中心にテイストを変えちゃった。
自分としては、もっとストリートウエアを作っていたかったから、そのブランドでの仕事は辞めたんだ。
そのあと日本に来てからは、アーティストのビデオの仕事に参加したり、ツアーグッズを作ったりという仕事をしたよ。
©️2VOX
©️2014 by.fritsukekagyou-air:man&TOKYO SHOSEKI CO.,LTD
なるほど。日本でマルチに活動してらっしゃるんですね。ちなみになぜ日本に来ようと思ったのでしょうか。
ヒトコトで言うと、アメリカから抜け出して日本で絶対に成功するつもりで来日したんだ。
自分がアメリカでデザイナーとして働いていたとき、ストリートウェアのブランドがたくさんあって、似たようなブランドが溢れていたんだ。同じようなブランドやデザインの中で自分が埋もれていってしまうんじゃないかと不安な気持ちになったんだ。
自分のデザインには日本のアニメーションが大きく影響しているんだけど、自分のオリジナルなデザインを追求する為にも、大好きだった日本に行きたいという気持ちが強まったんだと思う。
そんなある日、車に乗っているときに交通事故にあって、保険金を手にした。その時自分自身に問いかけたんだ。
「この保険金を使って、また車を買って、これまでと同じ仕事に戻るのか?」
「それか、このお金で航空券を買って、日本に行くか」
ってね。
このまま、好きじゃない仕事を続けることは考えられなかった。日本行きのチケットを買って、住んでいたアパートを引き払って、バックパックとスーツケース、そしてポートフォリオだけをもって、東京に降り立ったんだ。
チャーリーの家の黒板に、即興で絵を描いてくれるDOCさん
モチーフは黒猫ビリー
なぜ行き先が日本だったのでしょう。それまで日本に来たことはあったのですか?
日本に来たことはなかったよ。もちろん日本語もわからないし、日本人の知り合いもいなかった。初めのころは泊まる場所もなかった。カフェで寝たこともあったよ。
その頃、アメリカでは多くのデザイナーが日本のブランドとコラボしていた。僕もさらに日本の文化に強く惹かれていったんだ。
日本に行った後は、もはや戻るという選択肢がなかった。保険金があるといっても微々たるもので、40万円くらいかな。すぐにどこかに消えてしまう金額だよね。
日本で成功する以外、自分の道はなかったんだ。だから最初は何でもやったよ。ポートフォリオをもって営業をして、ステッカーのデザイン、洋服のタグ、そしてアーティストのグッズ…。とにかく何でもやったんだ。
僕は片道切符で日本に降り立ったとき、「もう成功するまでアメリカには戻らない」って思った。あえて自分を追い込んだことで、成功することができたんだと思う。
もちろん、運もよかったと思うけどね。
あっという間に素敵な作品が出来上がり!取材中にビリーがテーブルのカステラを盗み食いしようとしたときの表情を描いたのだそう。ファンキー&クール!
ものすごい決心で日本にきたのですね。まさに、JAPANESE DREAMをつかんだといえるドックさん。
最後にもうひとつ質問です。私たちチャリツモは“クリエイターが社会問題を伝える”メディアなのですが、DOCさんは日本の社会問題についてどう思いますか?
アメリカに比べると、それほどひどくないと思うよ。アメリカではマイノリティというだけで、その人権さえも揺るがされてしまうこともある。最悪の場合、差別感情が殺人につながったりね。
日本では、同性愛者だから、ハーフ・外国人だからって、発砲されたり殺されたりはしないだろう?
その点は比較的、さまざまな人が受け入れられていると言えるんじゃないかな。
でも日本には、社会問題を覆い隠すというか、社会的に見えないようにする傾向があると思うんだ。
在日外国人として感じるのは、日本にいる「外国人」は、何をするにしても『ガラスの天井』があるということ。
どんなに日本語が上手に話せても、成功の限界があるような気がする。
でも、自分の場合はクリエイティブ業界で生きているから、他の業界よりは「ガラスの天井」を割りやすいのかもしれない。
日本に6年住んでいても、ここで会社を設立するのは難しかったね。書類、印鑑・・・ これは外国人に限った話じゃないかも知れないけど。笑
日本では「殺される!」っていうほど強烈な嫌悪感や目に見える分断があるわけじゃないけど、かと言って『平等』と言える状況ではないと思うな。
長いリノベ生活を終え、ほぼ完成したチャーリーの家(=チャリツモオフィス)。 日々、制作活動をするチャーリーの家の住人のもとには、時たまお客さんが訪れます。 そんな素敵な出逢いを、インタビューにして記録する企画がこちら。 …