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2019.07.03.Wed

アートを弾く日本の精神性/若手アーティストのアタマん中_05

若手アーティストのアタマん中とは

こんにちは。チャリツモライターのばんです。
ビジネス界や教育現場で、クリエイティブシンキングやアート思考が話題になって久しいこの頃。
社会的企業やNPOなどいわゆる“ソーシャル”な領域では「ソーシャルエンゲージドアート」というのがHOTなキーワードになっているんだそうです。
チャリツモでも“アートと社会の関係性”について、一度きちんと考えたいなと思っていました。

そんな時にお会いしたのが、今回対談をセッティングさせていただいた2人の若手アーティスト、團上祐志(だんがみ・ゆうし)さんと久保田徹(くぼた・とおる)さん。
次世代のクリエイター育成を目的とした「クマ財団」の奨学生であり、“実践的な創作活動を通して、現代社会に向き合い&訴えかけている”という共通点がある2人。

いまをトキメく2人のアーティストは、現代社会をどんなふうに見ているのでしょう?彼らの対談を通して、見えてくるものを一緒に観察しませんか?

対談者プロフィール
  • アーティストの團上(だんがみ)祐志さん

    團上祐志Yushi Dangami

    1995年生まれ。株式会社STILLLFE代表取締役、クマ財団二期生。
    愛媛県大洲市でベンチャー企業を経営する傍ら、美大生やアーティストとして、3足のわらじを履いて活動。
    Web : YUSHI DANGAMI

  • ドキュメンタリー作家の久保田徹さん

    久保田徹Toru Kubota

    1996年生まれ。ドキュメンタリー監督。クマ財団一期生。慶應義塾大学在学中よりYahoo!やVICEなどのメディアにて映像を制作。ロンドン芸術大学修士課程進学予定。
    Web : Toru Kubota
    Twitter / Instagram

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日本におけるアートとは何を表すのでしょうか?

アートは日本に“くっついていない”という檀上さん。
それでは英語と日本語のART / アートはどのように異なるのでしょうか。

久保田徹さん團上祐志さんの対談はF/Actoryにて行われた

日本には、今も昔もアートという概念は存在しない

團上

今ブームみたいに、アートがものすごく盛り上がっているけれど、そんなに万能な言葉じゃないんです。

アートという言葉が指し示す領域で、日本の美的なものごとをとらえきれるかというと実は、かなりできない。
なぜかというと、アートがあるフランスと日本を含めた極東では、宗教的な下支えが異なるためです。

仏教のような宗教は、多神教対称性があります。
どういうことかというと、私たちと仏様は相互交換の可能性があるということです。私たちが、仏さまになることだってできますよね。常に関係性の中にあって、いつだって絶対がないんです。

一方キリスト教の場合は、神様は絶対であって、わたしたちが神様になることは絶対にない。でも、歴史を振り返ると、そのキリスト教の世界で、神様が一度死ぬと。つまり、キリスト教中心の社会、キリスト教による統治が終わり、その頃資本主義が生まれます。つまり、資本主義はキリスト教の代替なんです。

そのため、キリスト教ではなく、アニミズムの下敷きの上に、仏教や神道が相まった信仰が根付いている極東の日本に、資本主義はなかなかくっつかないんです。だからアートもくっつかない。

宗教性のなかで、最も際立つものがそれぞれの文化、芸術です。つまり、アートという言葉は、キリスト教の宗教性を反映するものです。そのため、翻訳しただけでは、なかなか日本には接着しない。宗教的基盤が異なるからです。

日本は鎖国もあったので、極東の中でも独自の文化をさらに凝縮してしまっていました。
さらに、日本にアートが入ってきたころは、ちょうどアメリカでアート市場が生まれたタイミングなんです。アメリカのアート売買市場の仕組みは、またヨーロッパのアートとは違っています。
ヨーロッパとアメリカのアートが、いっぺんに東洋の“茶の湯”の上に乗っかってきた

つまり日本の「アート」には、こういう複雑さがあります。
翻訳の意味の「アート」という概念は、昔も今も日本に存在しません。
また、このような概念の違いに向き合っているアーティストもほとんどいない。
大体みな諦めてしまっているんです。そちらの方が楽だから。

一部のアーティストだけが、どうしたら「アート」が日本にしっくりくるか、明治時代実験を繰り返してきました。でも、やり切れずに高度経済成長に突入してしまった。
日本は明治維新の時代に多くのものを失いました。民俗や弓道、武道、文芸、絵描きの一派…。
西洋輸入と戦争を経て、多くの“文芸”は消えてしまったんです。モノも、血も、画法も、機関も。
消えたことが悪いとも思いませんが、そのことが今後皮肉な結果になっていくと僕は思います。

しかしながら空気のようにその思想たちの名残は私たちの生活のそこかしこに残っている。今の時代でも、東洋のグランドデザインが未だに生きているということです。
そうした精神的なインフラがしっかり整っている日本は、「アート」というものを、これからも暫くはじき続けるんじゃないかな。

團上祐志さん

なにを頼りに生きていこうか

團上

ただ、これからの世代はこうした蓄積なしに生まれてくるわけで、だんだんとそうした日本の精神性は薄くなっていくんだと思います。

久保田

そうだね、でもそうした精神性がなくなったら、何を頼りに生きていくんだろう。

團上

そうなんですよ、独自の精神なしに何を頼りに生きるのか。
何も頼らないで生きるか、もう一度過去の精神性を掘り起こすか。おそらく、日本はもう一度掘り起こすんだと思いますけどね。
でも今の日本は、その精神性が失われつつあるけど、掘り起こす動きもない。きっと、10年・15年経って、一回オジャンになった時に、考え出すんだと思います。

久保田

僕も似たような感覚があります。10年とか20年後、日本国民全般が「このままじゃまずいんじゃない?」っていう時期が来る。
よくわからないけど、2020年にオリンピックがあって、2025年に万博があって、まあその後はしんどいことになるんだろうな、って思う。
そういう時になって、一番力を発揮できるようにしていきたいな、って気持ちはもっています。

メディアの話でも、その頃にはテレビの影響力が下がっていくだろうから、日本でももっと新しい形の映像を押し出していきたいです。

團上

僕が今、四国で挑戦しているのは、そうした来るべき時に備えて、「逃げ場」のようなところを作っているのだと思います。逃げ場、っていうのがちょっと悲しいし、間違いなく語弊もあるんですが。
今の時代、若者に革命は起こせない。たぶん革命を起こそうと旗を揚げても、人は全然ついてこないと思います。
いったんブレーカーが落ちて、初めて気が付くんだと思います。今はまだ革命の必要性に気が付いていない
そうした中で、「逃げ場」作りをしている人は、ぽつぽつ出てきていると思います。

若い人がもっとビジョンを掲げればいいんだと思います。割を食うのは私たちなので。
今は上の世代が決定権を持っていますが、その旧式のビジョンでは立ち行かなくなってくるのは明白です。
だから、私たち若者にゆだねられています。

久保田

今って、日本の貧困率は16%くらいある。それにもかかわらず、国民の90%以上が自分が中流だと感じているというデータがあります。内閣府世論調査 平成30年『生活の程度』
みんなまだ「やばい」ってことに気づいていない。なんとなくごまかしながら生きているのかもしれないけど…そうすると、想像力はなくなっていきます

ドキュメンタリー作家久保田徹さんが日本の貧困率について話しているシーン

今回感じたこと

想像すること。
インターネットが普及し、地球の裏側の人とも簡単にリアルタイムで会話できる現代。
想像する間も無く、ハイクオリティの映像付きで処理しきれないほどの情報が飛び交います。

情報の渦の中で、私たちは想像することを忘れてきてしまっているのかもしれません。
想像力によって生まれるアートは、現代人が失いつつあるものを補う役割を担ってくれるものなのかもしれません。

ライター: