あけましておめでとうございます!
イラストレーターのBollyです。
年明け初のおっちゃんめしの取材に行って来ました、Bollyです!
さてさて1年で一番寒い時期かと思われる1月の終わりですね。
おっちゃんたちは風邪引いてないかなー?と若干心配ですが、
おっちゃんたちはどんなふうにこの冬を過ごしているのかな?
今回も訪れたのは墨田公園・山谷堀広場で行われていた共同炊事※1です!
この日のおっちゃん飯は「豚汁丼」
モチモチのごはんの上に具沢山のあったか豚汁がドバーッとかけてあります。
豚肉がたくさんはいってるし野菜もモリモリ食べられて栄養ばっちり。
お味は昆布のおだしがきいてて、優しい味付けだけどしっかり旨味を感じる一品です。
やっぱり寒い日は豚汁ですよ、間違いない。
冬将軍まっただ中のこの日は、風邪薬をもらいに列に並んでるおっちゃんが多かったそうな。 豚汁食べて、お薬飲んで、元気になりましょう〜!
バカは風邪引かないって昔からいうだろ?
俺は風邪引かないように気をつけてるよ。
足とか腰とか痛くなるけど、風邪は人に迷惑かけるからな。
ほら、人にうつるから。
よく会社でも建築現場でも40度だしても出社するやついるだろ?
それは上役だけ。そうじゃないやつは休まないといけないの。
「私は根性ある」とかいうけど、それは迷惑っつーんだ。
だから風邪引かないように心がけないとな。
なんもねーよ。
風邪引かないようにするだけだよ。
俺、全部ウルトラマンだからよ。
飯食うのも3分。風呂はいるのも3分。
あったかいところで寝てるよ。
室内で寝てるよ。
秋までホームレスやってたけどさ。
これからやっぱり仕事しなきゃな。
今はみなさんの税金にお世話になってんのよ。
人に迷惑かけてんだよ、税金もらってんだもの。
生活費を国からもらってんだよ。
中には給料だと思ってるやついるけどよ。
それは間違ってんだよ。
給料じゃねえんだよ。
そう。なんでもいいから贅沢はいわねえよ
外が好きだから、もともと表に出る仕事だったから。
役所関係みたいな仕事はできないね。
これからまたやろうかなと思ってんだけどね。
休んでるとできない。続けないと。スポーツ選手もそうでしょ?
北海道の下!青森
15で東京に憧れてきたんだけどさ。
青森には、冬仕事ないからさ、結局こっちにきちゃうんだよね。
田舎いたらホラ、近所の目もあるし。
すぐ広まっちゃうよ。東京とちがうんだもの。
東京じゃ生活できるけど田舎じゃできねえよ。
リンゴ農園は忙しいんだよ。休みないんじゃねえかな?
りんごは木でしょ?冬でもチョコチョコ木を切ったりしてさ。
台風なったら実は落ちちゃうしさ。
農家もそうだけどさ、大変だよね。
今年の風邪は鼻水と、のどがいたい…。
熱は・・・外で寝てるから笑
毛布は二枚ね。ナイロンの寝袋みたいなのかけてね、あとはホッカイロ。 でも屋根ついてるところだからなんとかなる。
週1,2くらいは「輪番」つってね。都の掃除の仕事行ってね。
あとはびんの仕分けとかね、民間の。5000円ですけどね。
そんで炊き出し巡りやってね。
NPOとか労働組合とかお寺さんとかが、寺とか公園とか河原ぷちとかでやってるよ。
23区だいたいどこかではやってるんじゃないかなあ。
だけど場所が東西のブロックで別れてるから。
新宿・渋谷・池袋・代々木と、上野・秋葉原・山谷・浅草・蔵前・足立とかね。
いろんな団体があるから調整しながらやってるみたいだけどね。
でもほら高齢者の人、歯が悪いから、硬いもの、カンパンとか肉いりの雑炊とかは肉除いて食べるから、野菜と米だけになっちゃう。
栄養は偏ってんのかもねえ。
口コミと、どっかの団体からいつどこで何時から開催するのか情報が出るみたいですよ。
それをみんなでコピーしてね、共有するの。
65だよ。
建設やってたよ。でももう年だからきついね、特に夏は熱中症になっちゃうのよ。
2回ぐらい倒れたから、そうすると現場に出れなくなるのよね。
したら仕事もうないでしょ?使い捨てですよねえ。
あと運送もやったけど。
まあしょうがないよね、年齢の問題があるから。
だいたい55くらいになったら、もう終わりだね。
自分でほら工務店とかやればそれでいいだろうけど、自分がずっとやるのは無理でしょう。
肉体的にも精神的にも財政的にもね・・・。
はい、とりあえずひいてないです。
あー、実は昨日出てきて、ちょっと住んでいた地方の街から突発的に家を出てしまい、 都内の公園で寝てたんですけど、そしたらこの団体に声かけてもらって寝袋もらって、はい。
あー、お金がなかったんで。
まあいろいろあるんですけど、電車賃でいっぱいいっぱいだったんですね。
で、朝五時半くらいに起きて迷いながらこの公園に来て、寝袋に包まりながら炊き出し始まるのを待ってたんですよ。
ま、自分の悪さですけどね。
金遣いの荒さっていうか。ギャンブルとかね、他のこともあるんですけど。
仕事もやめてはいないので放置してきちゃってね。
現場もひとりで受けてたんだけど、もうやばいね。
やってる途中ですよ。住む人決まってる住宅なのにね。
出てきちゃったら引くに引けなくなっちゃった。
うちの会社でいろんな部があるんですけど、俺しかいないんすよ。
俺いなくなったらこの先の仕事も、もうやばい。
もう先の仕事もとっちゃってるんですけどね。
いますげえ探されてると思います。電話も捨ててきたし。
都内まで探しに来てるかもね。
だからここの生活相談うけてたの。
身内には連絡いってるだろうと。
確実に見つかったら連れ戻される。
今はそういう気にはならない(戻りたくない)
ちょっといろいろなトラブルがあってね…。
とりあえず今日はそこらへんで寝て 明日は市役所にいって自立支援なんとかに行って仕事探して、自分の生活を立て直すしかないかな。
この「おっちゃんめし」のコーナーでは、おっちゃんたちとの会話をほのぼのと伝えています。
しかし、多くのおっちゃんたちは、きびしい生活を余儀なくされていることをご理解ください。
あけましておめでとうございます! イラストレーターのBollyです。 年明け初のおっちゃんめしの取材に行って来ました、Bollyです! さてさて1年で一番寒い時期かと思われる1月の終わりですね。 おっちゃんたちは風邪引い…
生活相談に来た坪一さんはどう見ても82歳に見えず(10歳位若いように見える)、皆でびっくりした。
生活状況や年齢、病状を聞き取り、すぐにでも生活保護を申請したほうがいい状況だったが、
坪一さん自身が「役所にお世話になること」をためらっていた。
そのため、私たちはドヤへ交代で会いに行き、説得をする。ようやく生活保護を申請したのは秋ごろになってからである。
現在では私たちの事務所のすぐ近くでアパート生活をしており、自転車で顔を出してくれる。
坪一さんと関わる中で、今までどのように暮らし、仕事をしてきたのかを聞かせてもらった。
19歳で家を出て、トンネル工事、足尾銅山、全国の炭鉱、そして山谷にたどり着き、長年日雇い労働者として働いてきた。普段寡黙な坪一さんは仕事のことになると目を輝かせながら話してくれる。どのように働いてきたか。場所や一緒に働いた仲間のことも。今まで一番楽しかったことは「山谷で仲間と一緒に働いてきたこと」。
戦中戦後を生き抜き、日本の近代化を支えてきた坪一さんの言葉を記録し、たくさんの方に知ってほしい、
という思いでこの「あしあとプロジェクト」がはじまる。
* * *
1932年(昭和7年)、群馬県利根郡に5人兄弟の長男として坪一さんは生まれた。13歳で敗戦を迎え、中学卒業後は、実家の農家の手伝いをした。
1951年(昭和26年)、19歳になった坪一さんは、実家から逃げ出し、ダム建設の
工事の仕事を始めたのが19歳のときだね。中学卒業して実家の農家手伝っていて。家の田植えが終わってから高崎の近くに田植えの手伝いに行ったんだ。行けって言われて。5人ぐらいのグループで。行くふりして、途中で俺だけ抜けちゃったの。それで水上に行ったの。それが19歳。
足尾駅のすぐ隣の
足尾行ったとき、最初は隧道工事で行ったんだよね。足尾銅山から出る砂を捨てる場所を造るんで。ただ捨てちゃうと雨が降ると下へ流れてくるから、排水路を脇に造ったわけ。その水を流す隧道を掘ったんだよね。
あの頃、東京から吾妻企業のダンプカーが何台も来ていた。
1958年(昭和33年)、26歳の坪一さんに転機が訪れる。
そしたら、足尾の奥さん連中が職場に来てて、足尾銅山に入りなさい、入りなさい、辞める時は退職金も出るし、ボーナスも出るし、建設会社よりはいいからと。それで入ったのよ。隧道工事は飛島建設。今は、いつも俺らが出入りしていた通洞坑からトロッコ電車に乗れるんだよ。
* * *
閉山後の坑道を一部開放して観光地化している足尾銅山に一緒に行き、当時の様子を語ってもらった。
仕事していた当時は、通洞坑から30分くらい歩きで自分の
大概、山のいいとこだったら削岩機で1㍍50くらい穴あける。それで全部4箇所の穴終われば火薬を込めて鳴らす。
それで帰ってくるわけだよ、自分の今日の仕事は終わり。
水を使わないとホコリがいっぱい、だって石のところ掘っていくからね。削岩機で水が通るようにできている、だから水を出しながら掘る、掘った砂が水で流れてくる。
機械が故障することもある。部品の故障、自分でどこが悪いとかわからないと。
ウォーターチューブが悪いとか、交換しなくちゃ、全部自分でやらないと。
悪い切羽には水が通っているんだよ、塩ビ管でね。
悪い奴はその切羽をやりたくないと思ったら、塩ビ管に石を落として、「今日はこの現場落石で水ホースが壊れて仕事にならない」と。
そうするといくらか補償くれるの。俺はできなかったけど。
仕事は、9時出と12時出があって、9時出は午後3時、4時くらいに終わる。
立坑に入って地下12メートル入ったらサウナ風呂と一緒だよ。俺らはズボンはいているけど、俺らが発破かけたやつをトロッコに乗せて運ぶ仕事の人らはパンツ一丁だよ。
12番坑※っていったらね、お湯みたいに水が沸いているとこあるの。
洗い場になっていて、顔や手なんかは洗う。身体を洗ったりはしなかったけど。蒸し風呂の中と一緒だからね。
今では寂れてしまっているが、当時足尾の町は活気にあふれており、映画館も劇場もあった。飲み屋がたくさんあり、労働者の憩いの場になっていた。今ではまったくお酒を飲まない坪一さんも、当時は大酒飲み。
社員寮は、一人ひとりに6畳ぐらいの部屋。料理は食堂があって寮の食堂、たっぷりどんぶり飯だった。
朝は食堂にご飯が出来ているから食べて出かける、弁当は持ってかない、弁当食わなかったなぁ。
所帯持ちは社宅がいっぱいあった、俺ら独身は寮にいた。最初の寮は、抗口の近くにあった。それから足尾町の中才(なかさい)というところに移って、そこから毎朝行った。
俺らが入ったとこはね、職員社宅だったからいいんだよ。中才(なかさい)行っても職員の寮だったんだ。
中才は建物も大きかったね。だから労金(労働金庫)の社長もね、俺らと一緒の寮に入っていた。テレビ室があってさ、プロレスとか歌番組とか、労金の社長や所長とかみんな一緒になって面白かった。
風呂はね、寮にはないんだよね。寮の直ぐ前に職員の銭湯があった。
あと坑口にも大きい風呂があるの。洗濯機のでっかいやつもあって、そこに入れるの。
それで、仕事が終わったら坑口で風呂入って着替えて帰ってくるの。
その頃洗濯したところは今広場になっているの。何か建物も建っていた。
* * *
いやぁ飲んだねぇ、ずいぶん飲んだね。
焼酎はあんま飲まなかった、酒とかビールとかね、通洞の町でね、昔は飲み屋もあったんだよね、寮から歩いて20分くらいかな、ずうぅっと、飲み屋とかそば屋とか喫茶店もあったね。
今は寂れているけど。
二日酔いで仕事に入って、エレベーターの中で酒の匂いぷんぷんさせてね。
そういうこともあったよ。
植佐っていう寿司屋も今は小さくなっちゃってた。
川本(食堂)も小さくなってる。
川本の親父も酒飲みでね、クリスマスの時か、一緒に飲んでダンス踊ったり。ヒゲ面をつけてくるんで、痛くていやんなった。
ダンスホールはなかったけど、飲み屋なんか行ってね、クリスマスとかの時はね、結構面白かったよ。
映画館もあったし劇場もあって、水原弘とか来たこともあった。
『人間の条件』という映画があったでしょ。
あれ、テレビのロケは足尾町で写したんだよ。俳優の根上とか来て。
寮のすぐそばに鉄道があって神社があって、何かに似てるっていうんでロケやってたんだよね。
そのときは随分にぎやかになった。
休みの日は、通洞の町か桐生だね。
桐生は駅の周りとかね、藪塚温泉とかあってね、桐生までは「わたらせ渓谷鉄道」。足尾の人らはね。
目次 |
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発行年月 | 2018年5月 |
値段 | 無料(2号目以降は200円/1冊) |
坪一(つぼいち)さんとの出会いは2014年夏ごろである。住んでいたドヤ*の仲間から、隅田川医療相談会の存在を教えてもらい、相談に来る。 生活相談に来た坪一さんはどう見ても82歳に見えず(10歳位若いように見える)、皆でび…
リディラバ開催のホームレスのスタディツアーの様子を漫画でお伝えします!!実際にホームレスをしていた方のお話を聞いたり、極寒の池袋での野宿体験や炊き出しのご飯をみんなで一緒に食べたりと、新しい世界(問題)をたくさん知るきっかけになるツアーです。
みななさん、オラ〜(こんにちは)。
こちらチリ・サンティアゴでは、寒〜い、寒〜い冬を抜けてようやく春の兆しを感じ始めている今日この頃です。
さて、今回は子供の学校の送り迎えをしたり、用事があって外を出歩くたびに、必ずといっていいほど目にする“路上生活を送る人々”にスポットを当てて漫画にしてみました。
チリは日本よりも貧富の差が激しく、路上で生活を送る人が多くいます。
南米チリ在住のシングルママ、イラストレーター、ライター。
小さい頃から、異文化に触れるのが好き。
チリで生活を送りながら出会う面白いこと、疑問に思うこと、悩むこと、色々な日常の体験を地球の反対側チリからイラストや文章にしてお送りします。
Instagram:@mariee_illustration
路上生活をしながら日々の暮らしを送る彼らの姿は、都会でサバイバル生活を送っているように私には見えます。サンティアゴの冬は、日本の真冬に比べると寒さは落ち着いていますが、それでもとても寒く、雨が降ると一段と冷え込みます。
街中は酔っ払いも多く、夜中変な人だって沢山出歩きます。
どうやって生活を送っているのか、普段何をしているのか、少し怖くて近寄りがたい、隠れた存在の彼らの生活をもう少し知ってみたい今日この頃な私。
みななさん、オラ〜(こんにちは)。 こちらチリ・サンティアゴでは、寒〜い、寒〜い冬を抜けてようやく春の兆しを感じ始めている今日この頃です。 さて、今回は子供の学校の送り迎えをしたり、用事があって外を出歩くたびに、必ずとい…
今回もおっちゃん飯を食べに行ってきましたよ。
真冬のさむ~い公園で一体どんなおっちゃん飯とおっちゃんたちに出会えるのでしょう。
わくわくしながら共同炊事※1に向かったのでした。
しゃばしゃば系のカレーで、やさしいお味。
鶏肉とにんじんとまめがたくさん入っています。
この豆はみつ豆に使われるものですが、カレーにもぴったり合ってておどろきました。
そしてなによりお米がモチモチして美味しい!
聞いてみたところ、このお米は協力団体のフードバンクに呼びかけられて、一緒につくったお米で、新米なのだそう。
お米を自分たちで作っちゃうなんてすごい!
この日もみなさん、楽しそうにおしゃべりしながらおっちゃん飯を頬張っていました。
わたしの好きなシャバシャバ系のカレー
覚えてるわよ〜記憶力はいいのよ
ゴルフ場で働いてたからね。
大丈夫よ〜8枚も9枚も服着てるからね。
ぜい肉の他にね。(笑)
ぜい肉あるから大丈夫よ〜
たまに外で寝てるけど店の前の屋根付きのところで、大きいブルーシートでテントつくってるから快適よ!
まあ、コレ(彼氏)のとこにいくこともあるからね。腐れ縁よお。
毎日、晩ごはん作って大変よ。疲れるとそこに泊まっちゃうの。
彼氏はアパート住まいなんだけど、管理人がいてね、あまり泊まれないのお。
外で寝るときはねえ、9時頃にお店の前に行くの。お店の人には許可とってあるのよ。
寝袋と毛布4枚ひいてね、上にも4枚かけて合計9枚よお。
夜9時から朝5時まで外でぐっすりよ。
部屋よりあったかいですよお。
彼の家にいると「おい、お茶!」とかタバコ吸ったら「おい、灰皿!」とかうるさくてねえ。
ベッド2人で使うと身動きとれなくて疲れるのよ。
でもね、来年10月に千葉に帰ることになったのよお。
もう70歳だからねえ、こんなことやってられないからねえ。
私には姉がいるんだけど高校始まって以来の秀才っていわれてねえ。
兄と私は脳みそぜんぶ姉に持ってかれたわっていつもいつもひがんでましたよ。
だから田舎きらいなのよねえ、こっちのが自由でいいわあ。
これ?ほかの炊き出し会場で買ったの。
えーほんと?えへへ
上野。ほとんど上野公園だよ。
寒いよ〜最近風邪引いちゃってね。大変だよ。
いろいろかけてるけどね。
日本の社会はぐちゃぐちゃでね。
早く寝てるよ。いつも早い。
8時9時くらい。
上野公園でね。事件にまきこまれちゃってね。
銀座のクラブで雇われてたの。女の子を管理するの。
夜の仕事だよ。
部長や専務やってたよ。自分のかかえてる女の子のデータによってあがってくのね。
まあ、辞めたわけじゃないけど事件にまきこまれちゃってね。
これから変わるんじゃないの?いつまでもこんなことやっててもしょうがないでしょ。
私は40歳ですよ。
マスクしてるからごまかせてるだけですよ(笑)
いえいえ、ほんとマスクはずすとお母さんって言われますよ。
子どもいないのに(笑)
ええ、風邪薬が欲しくって。
知り合いのおうちを間借りしてるのですけど、エアコンをもう何年もそうじしてなくて。
ほこりだらけだから、使ってなくて。
天井にあって掃除できないんです。
私は難病で、たまにしか働けないんです。
何が大変て、難病の申請が誰も頼る人がいなくて全部自分でやらなきゃいけなくて、あちこち病院や市役所や保健所に行かなきゃいけなくて。
こんなに大変だと思わなかった。
難病のせいで足腰痛くなっちゃうし、この炊き出しには鍼治療メインできてます。
病気が今大変で、治る病気じゃないのでね。
悪くならないようにするしかないのです。
この「おっちゃんめし」のコーナーでは、おっちゃんたちとの会話をほのぼのと伝えています。
しかし、多くのおっちゃんたちは、きびしい生活を余儀なくされていることをご理解ください。
今回おジャマしたのは、毎月第3日曜日に隅田公園の山谷堀広場で行われている隅田川医療相談会の共同炊事。ここではみんなで一緒にご飯を作って食べるだけでなく、一人ひとりの「医療、仕事、暮らし」を守るため、野宿者や生活困窮者を対象に無料の健康相談・生活相談・生活保護の申請同行なども行っています。医療従事者や鍼灸師、法律家、学生を含む、幅広い年齢層のボランティアが当事者と共に考え活動しています。
詳しくはコチラ↓
隅田川医療相談会
facebookページ
WEBサイト
<取材団体、募集中です>
チャリツモでは、今後もさまざまなおっちゃん飯を紹介していきたいと思っています。「うちにもおいでー」と言ってくださる主催団体さまは、どうぞメールにてご連絡ください。
\ おっちゃん飯、描きました! /
路上生活を送る「おっちゃん」たちと、いっしょに炊き出しのメシを喰らう【おっちゃん飯】の2回目です。
今回も山谷で行われた共同炊事(みんなで作って食べよう!という趣旨のイベント)にお邪魔してきましたー!
つたないグルメレポートと、楽しいトークをお送りします♪
この寒ーーーーーい冬を、路上やドヤで暮らしているみなさんは、どう過ごしているのでしょう???
こんにちは。イラストレーターのbollyです。
毎日毎日なにかに追われて生活してるわたしですが、 ふと仕事とか家庭とか家族とかお金だと保険やら安心やら周りの目とか、、、 すべてのしがらみ?みたいなものから 完全に解き放たれてみたらどうなるんだろう。とか考えてみた。
路上生活者はどんなことを思いながらどんな暮らしをしてるのだろう。っていうか、どんなご飯を食べてるんだろう。(わたし、ご飯のことばっかり考えちゃうんです。)
どんな人も食べないと生きていけない。
やっぱり食べるって大事なこと。
今回は日常に追われてたら、滅多に行くことはないであろう、おっちゃんたちがみんなでごはんを作って食事する“共同炊事”に行ってみた。
とある公園にて行われた共同炊事。
路上生活者の方たちは仲間たちととても楽しそうにおしゃべりしながら ごはんを食べていた。楽しそう。
この日のメニューは「はんぺん丼」。
なにそれ、聞いたことないメニュー!って思ったけど、食べてみたら・・・ なにこれ美味しい!!!
はんぺん、にんじん、もやし、ほうれんそうがたっぷり。 醤油味に出汁がきいて落ち着く味。ごはんの上に具がたくさん乗っかってて栄養満点。
微妙に違う食感の3種類のはんぺんと野菜たち。その下にはご飯がかくれてます。食べやすくて、腹持ちよし。
ちなみにこの料理は、寄付でたくさんいただいたはんぺんを、どう使おうか考えて発明したメニューなんですって。ざんしん!
お腹も満たされ、おしゃべりもできて楽しい時間を過ごして思ったことは 「共同炊事は孤独も胃袋も満たしてくれる大切なコミュニティなのだな」ということでした。
ペロッといっちゃいました。
この「おっちゃんめし」のコーナーでは、おっちゃんたちとの会話をほのぼのと伝えています。
しかし、多くのおっちゃんたちは、きびしい生活を余儀なくされていることをご理解ください。
今回おジャマしたのは、毎月第3日曜日に隅田公園の山谷堀広場で行われている隅田川医療相談会の共同炊事。ここではみんなで一緒にご飯を作って食べるだけでなく、一人ひとりの「医療、仕事、暮らし」を守るため、野宿者や生活困窮者を対象に無料の健康相談・生活相談・生活保護の申請同行なども行っています。医療従事者や鍼灸師、法律家、学生を含む、幅広い年齢層のボランティアが当事者と共に考え活動しています。
詳しくはコチラ↓
隅田川医療相談会
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<取材団体、募集中です>
チャリツモでは、今後もさまざまなおっちゃん飯を紹介していきたいと思っています。「うちにもおいでー」と言ってくださる主催団体さまは、どうぞメールにてご連絡ください。
こんにちは。イラストレーターのbollyです。 毎日毎日なにかに追われて生活してるわたしですが、 ふと仕事とか家庭とか家族とかお金だと保険やら安心やら周りの目とか、、、 すべてのしがらみ?みたいなものから 完全に解き放た…