先日、お仕事で奄美大島に少しばかり滞在しました。
台所のある宿に泊まらせていただいたおかげで、毎日地産の食材を使って自炊をしました。
目の前に広がる海の青の中で朝ごはんを食べ、きれいな水でお皿を洗い、洗濯物を干し、仕事をし、眠り、そして波の音で目を覚ます日々。
それはまさに『生活』でした。
今日は、そんな奄美での短い生活で気づいたことについて書きたいと思います。
スーパーの地産コーナーで新鮮な野菜を調達したり、自然栽培の農家さんにいただいたり。
美しい島野菜と触れ合うことができました。
里芋やつるむらさきなど都市でも馴染みのあるものから、四角豆や黒小豆、パパイヤなど初めて調理するものまで。
どちらの野菜も、余分な調理をせずに素材を味わいたいと思わされるありのままの美しさ。
調味料は塩、醤油、味噌、出汁用の昆布と削り節だけ購入。
あとは野菜のようすをみながら、本当に必要な分だけ味付けをする。
そこにほかほかのお米とお味噌汁があれば、あとはもう何もいりません。
この食べ方が、有無を言わさない、いちばんの贅沢。
一日の要に、シンプルな一汁二菜をよく噛んで食べる。
そうすることで、大自然と調和できる身体がつくられていく。
いつのまにか「人間」になってしまった心と体を、自然の中に生きるただの「ひと」に戻してくれる。
そんな過程が食事にはあることを改めて実感しました。
都市に暮らしていると、全国からこぞって集められた、目がまわるくらい沢山の食材が一年じゅう手に入ります。そこに四季は関係ありません。
果たしてそれは、恵まれたことなのでしょうか。
豊かなことなのでしょうか。
日本に暮らす私たちの体は、それぞれ異なる顔を見せてくれる季節とともにあります。
そして、その季節とそれぞれの土地の特徴とがうまく溶け合って、人々の暮らしは営まれてきました。
島のスーパーに全国各地の食材は並びませんが、島にしかない食材がふんだんにあります。
今ここにあるもの。ここにしかないもの。
それらをいただいて命としていくことが、生き物としていちばん心地良いと思いました。
だれかと食べる楽しさと、ひとりで食べる慎ましさと。
その両方が、その人にあったバランスの良さで必要なんだなぁ、と思います。
食事はつねに誰かと共にするのが善いと思う必要はないこと。
自分の手で調理したものを、自分ひとりで体ごと、心ごと味わう。その時間のかけがえのなさもあります。
禅を組んだり、お祈りをしたりすることと似ているかもしれません。
今ここのじぶんの体と心を通して、他のあらゆる命あるものの存在を感じ取ること。
そして調和していくこと。
そんな、黙々といのちと向き合う食事の良さもあるのだということを、奄美の静かな大自然は教えてくれました。
食事によって、体と心の調和を取る。
またそれが、じぶんと自然との調和にも繋がっていく。
肉体をもつ私たちは、じぶんたちと自然とのあいだに境界をひいて暮らしています。
ところが奄美の自然の中で育まれた野菜やお米を食べるうちに、じぶんも自然の一部であることをふと思い出しました。
そうか、まさに人は食事によって自然と一体になることができる。
自然とうまく調和することができるんだなあ、と。
そして、食事はきっと頭でするものではないのだとも思います。
考えるより、感じること。
脳は、つねに刺激を求めているように思います。
そのため脳に主導権を握らせることの多い都会の生活では、気づかないうちに体と心に負担がくることが多い。それをこれまでの人生でずっと感じてきました。
心より頭を使うことが多い生活は自然のリズムを壊してしまう。
バランスを失った体と心は必死になって、ガソリンを満タンにするための負荷がかかった食事を求めてしまいます。
そんな不自然なサイクルを、自然な食事はやさしく調和してくれます。
「良く生きるためには、自然と調和する食べ方をすること」。
それはだれもが築ける、じぶんらしい生き方の基盤になるのではないか、と思います。
余白が沢山あるということは、心をあずけられる場所がある、ということではないだろうか・・・。
大自然のリズムと共にある奄美の生活には、沢山の余白がありました。
じぶんの体は確かに今ここにありますが、複雑な心をまるごとすべてはつねに抱えきれません。
余白のない都会の生活では、抱えきれない心は体の奥に閉じ込めておくしかない。
余白がないことで受け流すことと、心でしっかり捉えておくことの区別もつかないからです。
奄美での生活では、心をぽんと風や海にあずけてしまうことができます。
必要のないものは手放し、それを大自然が受け止めてくれ、静かにそっと流してくれる。そんな大きな営みがありました。
この心だって、じぶんだけのものじゃないんだ。この広い自然の一部なんだ。
そんなことにふっと気がつきます。
都会での生活ならばせめて物を持たず、家の中を風通しよく簡素にしておくことで余白は生まれるのかもしれませんが、奄美での「持たない暮らし」はなおのこと気持ちが良かったのです。
食事は全身を伴う行為です。
目も手も、鼻も口も、目に見えない内臓も、ぜんぶ使っています。
行為の作り手であり、また受け手でもある。
そんな食事を通して培う直観力や判断力は、生活のすべてに応用できるのではないか・・・。
どうもそんな気がしています。
良き食事を習慣とすることで、大自然の中にただ身をあずけていく。
それはまた、太古から営まれてきた普遍のリズムに身を任せることなのではないでしょうか。
良く出会い、良く別れていく。
そうして〈直観はあとで裏打ちされること=ものごとの必然さ〉を淡々と感じとれる体と心を養っていく。
だからきっと何も心配いらない。
良く食べ、甘えず、簡潔に日々を過ごすこと。
信じた道をいき、心は深く、身は軽く、生きること。
まだまだ道半ばのわたしに、奄美での短い生活はそんなことを、そっと教えてくれました。
関根 愛(せきね めぐみ)
「アートがどう社会と関われるか」と「じぶんらしく生きるための食養生」が活動のテーマ。座右の銘は「山動く」。俳優歴10年、アトピーによる自然食を始めてもうすぐ3年。
Youtubeチャンネル:めぐみのひとつぶ -体と心を癒す自然食-
note:せきねめぐみの食養生コラム
Instagram:megumi___sekine
先日、お仕事で奄美大島に少しばかり滞在しました。 台所のある宿に泊まらせていただいたおかげで、毎日地産の食材を使って自炊をしました。 目の前に広がる海の青の中で朝ごはんを食べ、きれいな水でお皿を洗い、洗濯物を干し、仕事を…
こんにちは。関根愛(めぐみ)です。
梅雨入りを間近に控え、曇天や小雨もちらほら。最近は耳を澄ますと鳥の声がここ東京でもよく聴こえてきます。
アトピーをきっかけにはじめた自然食。そこには、私なりにふたつのモットーがあります。
ひとつめは『ひとは食べたもので出来ている』。
連載初回に詳しく書きましたが、私はアトピーを通し食べものと心身との深い繋がりを経験しました。それを経た今、自分の心と体がいちばん健やかでいられる食事を大切にしています。
基本とするのは、お米とお味噌汁が二大柱の和食。そこへ青菜、根菜、豆、海藻、乾物、こんにゃく、梅干し、ごまなどのマクロビオティックな食材たちをバランスよく摂り入れたものです。
調味料は至ってシンプル。醤油、自然塩、味噌、酢、植物性の出汁があれば大丈夫。世の中にあふれている食のバリエーションからすると、なんて地味かしらと思うかもしれません。
だけど『Less is More』。これがふたつめのモットー。
とても感覚的な訳ですが、「ないほうが、ある」。意訳すれば「足るを知る」とも言えるでしょうか。
成長には、次から次へとなにかが必要になるものだ、と思われる方もいるかもしれません。私は、逆の発想をしてみたいと思っています。
つまり「あれがあったほうがいいだろう、これもあったほうがいいよな」を一度やめてみる。そして「あれもなくていいかも、これもなくていいかも」という心意気を育ててみます。
それこそが心身ともに健やかに自分自身をアップデートしていくための、最も自然な方法ではないかなと感じています。
食事に限らずですが、目移りという言葉があるように、私は目で見て選ぶとついついあれもこれも要ると思ってしまいがち。
そんなときこそいったん立ち止まって、自分にとって本当に必要なものを考えてみます。
「ないほうが、ある世界」はいつも簡潔で、奥が深く、おどろくほど鮮やかです。
たとえ少ない調味料でも、有機的な育ちかたをした野菜を使って調理すれば、心も体もあっというまに満ちていくのがわかります。
今回は、そんな世界に出会うまでの私の冒険をお話したいと思います。
見ぬふりを続けてきたアトピー。副作用を起こすこともあるつよい薬にこれ以上頼りたくない。完治したい。そう一念発起して開始した、自然食。
初めのうちは、厳格な玄米菜食をしていました。
玄米とお味噌汁をメインに茹でる、煮るなどごく軽い調理をした野菜を食べるのみ。
毎日のように食べていた動物性食品はもちろん、添加物や砂糖の入った製品、油、果物も食べない生活。大好きだったコーヒーやスパイス系のメニューも一掃です。
食べたいものを食べたいときに食べていたそれまでの食生活とはまるで比べものにならない地味な食事。
ですが、アトピーによって体だけでなく心もすっかり疲弊していた私は「一刻も早く良くなりたい」という一心で続けました。
やがて本当にふしぎなことに、一番気にしていた顔のひどい炎症が嘘のように消え、全身の痒みや痛みも引いていきました。
ところが順調に回復してきた矢先に、また新たな試練が待っていました。
「あれがまた食べたい。これもまた食べたい。」
あれほど痛い思いをしたのにも関わらず、むくむくと新芽のように湧きあがってくる制御できない欲。
「あれだったら、食べたっていいだろう。これくらいなら許されるだろう。」
今まで質素な和食ばかりで、もう飽きた。大好きなタイ料理も中華も、香辛料たっぷりのインドカレーも韓国料理も、思いっきり食べたい。ここまでがんばってある程度良くなったのだから、少しくらいいいじゃないか。
この「少しくらい」が落とし穴でした。
魚、卵、砂糖、果物などに再び手が伸びるようになりました。
なんだ、ちょっとなら食べても何ともないじゃないか。一度火のついた「少しくらい」の加速はとまりません。
週一くらいならアイスクリームを食べてもなんともないだろう。たまにならば、肉の入ったおかずを食べたってかまわないだろう。大丈夫、だって少しだから。
その頃といえば、副作用のあるステロイド剤の服用は手離せていたものの、抗アレルギー剤は依然飲み続けていました。そのせいもあって「まあ大丈夫だろう」と強気になってしまいました。
でも実は、ちょっと汗をかくと体中痒くてたまらなくなったり、突然皮膚の一部がガサガサに荒れたり、とても回復したとは言えない状態。
「そろそろまずいよな」と焦りを感じるたび、罪悪感からいったん玄米菜食に戻るものの、ちょっと良くなるとすぐ「少しくらいいっか」。
卵をおそるおそる食べたり、肉をひとかじりしてみたり。
そんな一進一退を繰り返す生活でした。意志の弱い自分にうんざりしながら、いつも頭をよぎっていたことは「一番つらかった時の私が、今の私を見たら何て言うだろう。」
答えは決まっています。「結局、何も学んでいないんだね」。
一体どうすれば、この自己嫌悪の日々にストップをかけられるんだろう。どうしたら玄米菜食に満足できるんだろう。健康を守りながら自分らしく楽しめる食生活は、どこかにあるんだろうか。
悩みに悩み、ふさぎ込む毎日でした。
そんな時、台湾と欧州へそれぞれ3週間ずつの旅にでました。
現地ならではの食を堪能するという旅の醍醐味はあきらめて、毎日お米を炊き、お味噌汁を作ろう。お米や味噌、醤油などの調味料は日本から持っていこう。
旅先で体調を崩して満喫できなくては元も子もないので、そう気を張って出かけた私でした。
ところが実際に行ってみると、台湾にもベルリンにもパリにもヴィーガン(菜食)のレストランが沢山ありました。
台湾では菜食のことを「素食」といって、一食200円もしないで食べられるようなビュッフェスタイルの素食店が至るところに。ベルリンやパリではひと駅ごとにあるんじゃないか?というくらい、ヴィーガンのスーパーや飲食店は人びとの生活に根付いているよう。
普段と変わらない自炊をメインにしながらも、余裕のあるときにはそれらのお店に足を運んでみました。
日本とは違う野菜の扱い方や調理方法。シンプルでいて創意工夫に満ちた斬新な盛り付け方。ひとくちにヴィーガンといっても、世界ではこんなにバリエーションがあることを知りました。
ヴィーガン店で働いていた人たちが生き生きして見えたこともまた新鮮でした。
足どりは軽く、顔色には皆つやがある。好きなものの話を得意げに話すように、メニューの説明を喜んでしてくれる。
ウエイターとキッチンの人はつねに和気あいあいと話していて、鼻歌も歌ったりなんかして。仕事に対して誇りを持ちつつ心から満喫しているように見えて、東京ではあまり見かけない光景。
中でも印象的だったのが、料理をサーブしてくれる時。台湾なら嘘のない笑顔、ベルリンやパリでは“Enjoy!”のひと言が添えられる。特にこの“Enjoy!”を聴くたびに私の心の中の何か固いものが、すーっとほぐれていく感じがしました。
ヴィーガンという選択も、けっきょくは心持ち次第なんだよなあ。
ないものねだりをやめて、じぶんを大切にすることが出来たら、食生活を楽しめるようになるんじゃないかな。
ささくれた日々を送っていた私の中へ、この「楽しんで!」はさわやかな風が吹き込むように入ってきて、旅のあいだ中ずっとエコーしていました。
久しぶりに日常を遠く離れた6週間の旅は、私たちの日々を作っている食について多くのことを考えさせてくれました。
そして帰国後、感じたことや考えたことをシェアしたいと思い、ふだんの料理写真と共にinstagramに投稿することにしました。
「こんなの見て面白い人なんているのかな」と、それまで抵抗のあったSNSへの料理写真の投稿。だけど何かを恐がるよりも、じぶんの喜びをシェアしていくことにフォーカスするようにしたのです。
記録を兼ねてほぼ毎日のように料理写真の投稿を始めると、ある変化が起こりました。
それは「食生活をマネージしていくのが楽しい」というものでした。
私はこれまで食生活に対して「コントロールしなくちゃ」という意識を持っていたことに気がついたのです。なんだか圧を感じてしまう「コントロール」という言葉が苦手なのに、あえてその言葉を無意識でチョイスし、自分に課していたのです。
その気づきがあってから、言葉の重みを実感。楽しんで何かをやっていきたいのならば、自分自身が前向きになれる言葉を選んで意識してみよう。
そしてふと「マネージする」という言葉が浮かびました。「マネージ」からは、良い方向へ持っていこうとする前向きな力を感じました。そして何より「楽しく」マネージするということが想像できたのです。
このようにしてインスタグラムへの投稿を通し、食生活を「コントロールせねば」から「たのしみながらマネージしよう」という姿勢へと転換することができたおかげで、日々の食事が少しづつ楽しくなっていきました。
地味だと思っていた食事の内容も、「地味なものには滋味がある」とまで前向きに捉えられるようになったのです。
楽しめるようになると、どんどん重心が下へおりていくような感覚がありました。それまで頭や視覚を中心に考えたり捉えたりしてきたのが、お腹の辺りで感じる温かさへ自然と身を任せるようになっていきました。
そんな毎日を過ごすうち「あれも食べたいのに、これも食べたいのに」というないものねだりや焦り、「あれも食べられない、これも食べられない」という悲観が、いつの間にか消えていました。そして、お腹の辺りで必要だなと感じる食材を必要な分だけ、欲するようになりました。
今日のお店にはどんな食材が並んでいるだろうか。だれがどんな思いで育てたんだろうか。
選んだ食材をどう調理してみようか。どんな器に盛ってみようか。どうなふうに味わって食べようか。
どんなふうに写真を撮り、どんなメッセージを添えて投稿したら「地味ではなく滋味」が伝わるだろうか。また、同じような悩みを持つ人へと届くだろうか。
そんなことを考えることが、楽しい。自分の食生活をマネージし、それをシェアすることが、こんなにもわくわくするなんて。
「食べる」ということは「ものを食べる」だけの行為ではなかったのです。食べることを通して、身の回りにある豊かな循環やさまざまな繋がりに気づき、そのサイクルの中へ飛び込み思いきり楽しめばいい。そう、ついに腑に落ちたのでした。
あれもこれも食べたいと欲に埋もれていた毎日は心が乾き切っていましたが、今は自然の恵みのおかげで毎日潤っています。
最後に、今日は私が日頃食べている『Less is More』なものをご紹介します。
どんな食べものでじぶんの体が喜ぶかは、きっとひとそれぞれ。心身一体で自分自身と対話しながら、唯一無二の食生活を発見していけたら良いですよね。何かのご参考になることがあればとても嬉しいです。
お米とお味噌汁がベースの、私の食生活。
まず、お米。今は玄米をおいしいと感じるので、玄米を食べています。たまに小豆、もちきび、黒米をまぜたりして、豆や雑穀とのコラボレーションも楽しんでいます。
学生時代、炭水化物ダイエットと称し長らくお米を食べなかった時期もある私。ふり返るといつも注意散漫で軸がなく、どこかふらふら~としていました。
手間をかけて土鍋で炊いた玄米はおいしいだけでなく、食事の真ん中に据えてあげることで、心にも芯が生まれてきました。
そしてお米ときたら、お味噌汁。玄米味噌と八丁味噌(豆味噌)、麦味噌などを季節や体調によって使い分けています。
玄米味噌は、香ばしくてほっとする味。八丁味噌は、わずかな酸味とコクがあって懐かしい感じ。甘めのお味噌汁にしたいときは、白味噌をちょこっとまぜたりします。お味噌だけでぐっと風味が変わるのは感動です。
出汁はやさしい植物性の出汁で、主に椎茸と昆布です。定番の具は〈大根、長ネギもしくは玉ねぎ、海藻〉。アトピーにも良いとされる、体のおそうじを担ってくれる食材たちです。
調味料は極力シンプル。醤油、自然海塩とヒマラヤ黒岩塩、お酢、味噌だけでほぼ済んでしまいます。みりんはたまにだけ。
できるだけ余計なものの入っていない、本醸造の天然調味料の味は格別です。年月をかけて丁寧に作られた調味料には「時間の魔法」がかかっているのをいつも感じています。
少しの量をじっくり加えてあげるだけで、素材とのすなおな反応が起き、お腹の底からじんわり喜びが広がっていくような、なんともいえない滋味深い味わいになります。
時間をかけて作られた素材を使い、これまた時間をかけて作る料理には、それらが体に入ってからもまた時間をかけて体を支えてくれる力があると感じます。そのエネルギーをダイレクトに受けるからこそ、体も心も満足できる。
パパッとできてしまう量産型のインスタント食品では、今日明日の命を繋ぐことはできるのかもしれませんが、命を永らえさせる力があるとは思えません。
常に摂ることを意識している食材は青菜、根菜、豆、海藻、乾物、こんにゃく、ごま、梅干し、そして旬のもの。
青菜はおひたしやごま和え、根菜は皮ごと煮物にしたり、きんぴらにしたり。
栄養バランスの優れた豆はごはんに混ぜたり、デザートにしたり。ほかにも和え物やサラダ、チヂミやハンバーグなど何にでも使えます。
海藻はお味噌汁に入れると手軽ですが、もずくやめかぶは、醤油とお好みのお酢でシンプルなポン酢を作ってかければ、りっぱな副菜に。
地味な食材と思われがちなのがもったいない切干大根、高野豆腐は、乾物ツートップ。乾物は太陽のパワーが凝縮されているので生きる力がつきます。高野豆腐はお肉の代わりとしてもあらゆる肉料理レシピに代用でき、万能食材といえます。
老廃物を排出してくれるこんにゃくもおすすめ。醤油をからめてじゅわっと焼いた雷こんにゃくは、ホカホカごはんによく合います。本醸造の自然な調味料で根菜などと一緒にじっくり煮物にしたら、それだけでごちそうです。
カルシウムやミネラルたっぷりのごまは、白と黒のすりごまを愛用しています。ごま油の香りが大好きですが、油の摂取を控えている私。代わりにすりごまを何にでもかけています。風味が一気に広がりますよね。
梅干しは毎日一粒ずつ。すりつぶした梅に醤油をたらして熱々の三年番茶を注いだ梅醤番茶は、「ちょっと調子がおかしいな」という時の特効薬。飲んで寝ると、次の日にはふしぎと元通りになっています。
旬の食材には、その季節にしか味わえない新鮮なエネルギーがふんだんに詰まっています。これから来る夏には、ナス科やウリ科の野菜を上手に摂って体をクールダウンしてあげるのが良さそうです。
「なにを食べるか」だけでなく「どう作るか」。そして「どう食べるか」。
それらすべてがまあるく繋がっている食事という活動を通して、自分自身を活かして生きていく力をつけることができます。あれもこれも欲しがらず、必要なものを必要な分だけ楽しんでいただくことができれば、その先には想像以上に豊かな世界が待っているのです。
少々厳しい印象を受けるかもしれませんが、終わりに高森顕徹さんという方の言葉を引用します。
『食とは、人が良くなると書く。生きている以上、少しでも向上しなければ、食べる意味がない』
食生活とはまさに「人」が自分自身を「良」く活かす生活のことをさすのだ、と私は思えてなりません。自分らしい生をひらいていくために、『Less is More』な食生活を一緒にはじめてみませんか。
関根 愛(せきね めぐみ)
「アートがどう社会と関われるか」と「じぶんらしく生きるための食養生」が活動のテーマ。座右の銘は「山動く」。俳優歴10年、アトピーによる自然食を始めてもうすぐ3年。台東区のコレクティブRYUSEN112のメンバー。
Youtubeチャンネル:めぐみのひとつぶ -体と心を癒す自然食-
note:せきねめぐみの食養生コラム
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こんにちは。関根愛(めぐみ)です。梅雨入りを間近に控え、曇天や小雨もちらほら。最近は耳を澄ますと鳥の声がここ東京でもよく聴こえてきます。 アトピーをきっかけにはじめた自然食。そこには、私なりにふたつのモットーがあります。…
こんにちは。関根愛(めぐみ)です。
朝干した洗濯物が昼前には乾いたり、素足で踏む床の冷たさが心地良く感じたりするようになりました。初夏の陽気を感じる頃ですね。
さて、明日は母の日。
私にとって母という存在は、ちょっと一筋縄ではいかない(?)人。
ひとことで表すのはとてもむずかしい。
私を自然食で育て、また自然食を教えてくれた人でもあります。
今日はそんな母についてお話します。
私のきょうだいは重度の食物アレルギーでした。幼い頃から肉や乳製品、卵、小麦など代表的なアレルゲンのみならず、主食である米さえ食べられませんでした。
毎日の食事に相当気を配らなければならなかった我が家において、素朴な自然食はその根幹をなすものでした。
食卓には質のよい野菜で作られた、味のうすい地味なおかずが並ぶ日々。
友達の話に出てくる「ハンバーグ、ウインナー、唐揚げ、餃子、焼肉」の出番はありません。
レストランでの外食や出前も一切なし。
「また昨日も回転寿司だった」「また出前ピザだった」とごねる友達に、「いいじゃん、贅沢じゃん」と内心すねていました。
よその食卓の様子を聞くたび「美味しいんだろうな、食べてみたいな」と悔しくて、羨ましくてたまりません。当然、母の料理に感謝をすることはありませんでした。
幼かった当時、「何かの罰ゲームの最中なんだ」と自分に暗示をかけるくらい、ただただ家の地味な食事が嫌でした。
母は我が子のアトピー治癒のために、とにかく抜け目なく、必死にがんばっていました。その必死さもまた私にとってはつらかったのです。
そんな母も、たまにふたりきりで地元のデパートに行くと「あの子には内緒ね」と言ってお茶屋さんの抹茶ソフトクリームを買ってくれました。
罪悪感から心いっぱい味わえず、親子ふたり妙な気持ちでアイスクリームを食べていたのを覚えています。
地味な自然食への不満が募るとともに、アトピーに苦しむきょうだいと健康でなんの不自由もない自分をしょっちゅう比べられることがきっかけで、いつの間にか私は母とあらゆる面で対立するようになっていきました。
手がかかるけどお利口なきょうだいとは対照的に、生意気で意見の合わない私に対して、母は厳しく、素っ気なく接することが多く思えたのです。
鮮明に覚えているエピソードがあります。
私が小学校高学年の頃、バラエティ番組で「友だち親子」が流行っていました。
親子だけど友達のようにおそろいの格好をしたり、腕を組んで買い物に行ってはしゃいだり、恋バナをしたりする、とても親密な親子のことです。
うちにはありえないスタイルだと遠く感じる反面、羨ましくもありました。
とくに恋の話をざっくばらんする親子の姿に新鮮な衝撃を受け、こんなふうにあれたら気が楽でいいなと思っていたのです。
ある日、母の気を引きたくて思わず「いいなあ。たのしそう」とつぶやいてしまいました。少し離れたところで聞いていた母がつぶやき返した言葉は、
「やだこんなの、きもちわるい。お母さんは絶対ごめんだね」
普段感情を押し殺しがちな母が、きれいに感情を込めて吐き捨てるように言ったとき、私はまずゾッとし、それからしばらくして心の中に北風が吹き、とても淋しくなりました。
私という存在を拒否されたのだと思い、母と親密になることは一生ないのだなと確信した瞬間でした。
中学になってお弁当が始まると、私の「お弁当コンプレックス」が始まります。
だれもが楽しみにしていたランチタイム。嬉々としてお弁当のふたをあけていく皆を横目に気分が沈む私。
ミートソーススパゲッティに、はちきれそうな肉団子。発色のいいウインナーに、つやつやの卵焼き。「また昨日の残り物」と嘆く友人を尻目に「いやなら私の地味弁と交換してくれ」と内心よだれを垂らす私。でも、お弁当を見せるのが恥ずかしくて言えません。
無邪気な友人に「今日のおかずなに?」とお弁当箱をのぞきこまれることが恐怖で、ふたを盾のように立てて中身を隠し、周りから見えないようにコソコソ食べてランチタイムをやりすごしていました。
人とちがうお弁当なんて恥ずかしい。
見渡す限り、どのお弁当にも茶色く染みた大根の煮物なんて入ってない。
切干大根なんておばあちゃんの食べもの(と思っていた)も、もちろんない。
ゴボウなんて木の枝みたいな姿のものが見当たるわけがない。
なぜ、私のには入っているの。
なぜ、私のお弁当はいつも茶色いの。
皆のお弁当から食欲をそそるにおいが教室いっぱいに広がるのに、私のお弁当からはなんだか古くさい、しみったれた匂いがする。
お弁当を入れている通学かばんの中にも同じ匂いがしみついている。
帰宅後、一生懸命ファブリーズしているのに。
高校生になっても「お弁当コンプレックス」は続きました。
「めぐのお弁当ってさ、なんか茶色いよね」
友人が天真爛漫に言ったひとことがハイライト。
茶色いお弁当は卒業までの6年間、私を苦しめ続けました。
母はどうしてこんなに頑なに自然食なのか。
どうして皆と同じようなお弁当を作ってくれないのか。
自然なんて嫌いだ。
早く独り立ちして好きに自炊して、思いっきり外食に出かけたりしたい。
そう思い続けていました。
そんな私は親元を離れて上京後、自由自堕落な時を経てアトピーになりました。想像だにしなかったことです。
アトピー発症から数年後、精神的にもうあとがないところまで追い詰められ、藁にもすがる思いで真っ先に頼ったのが母でした。
返ってきたアドバイスは「玄米菜食してみたら」。
毛嫌いしていたあの“茶色い食事”。でも、もう打つ手はありません。進むならその道しかないことはわかっていました。
社会生活もままならなくなっていた私のもとへ、作り置きの地味おかずを詰め込んだタッパーを抱えた母が飛んできました。
「これを食べていればそのうち治るから大丈夫」
すっかり弱り切っていた私は、母の言うことが初めてまっとうに聞こえました。
母の汗が染み付いた20年モノの秘伝の書(東城百合子さんの「自然療法」という本。自然食の基本メニューが沢山載っている)も授かりました。
開くと、茶色い景色が一面に浮かぶ本には、かつてよく食べていたおかずたちが並びます。どれも本当に地味な料理。
ページをパラパラとめくると茶色いシミや折れジワ、消えそうな鉛筆の書き込みがいくつもありました。
昔と違うのは、ひとつも嫌な気持ちがしないこと。
この食生活を続けていけばきっと元気になる。回復する。自分の中のどこかがそう信じていました。
茶色は母の勲章であり、そして滋養の色でもあったのです。
そして私はみるみる元気になりました。
ひどかった顔のアトピーはすっと消えていきました。
あんなに目の敵にしていた自然食に救われ、しこりのようにぎくしゃくしていた母への思いもしだいに溶けていきました。
まぎれもなく母の自然食に育てられ作られた体を、母を否定するかのように痛めつけ、そしてまた自然食で未来を耕し始めた私。自分が逃れようのないサイクルにいるように感じました。
家族を「無条件にすばらしいものだ」とする“家族神話”は信じないし、自分がこの先家族を持つかどうかも分からない。でも、同じ家で同じものを食べて生きてきたもの同士の妙な縁はあるのかもしれないと、今では思います。
そして、ないものねだりを繰り返した先で、本当に必要なものをふたたび教えてくれた母に、心から感謝しています。
外出自粛期間が続く中、スマホに慣れてきた母からよく日常の写真が送られてきます。
その中の一枚に、こんなメッセージが添えられていました。
「台所で過ごす時間が多かった母にとって、ふっと息を抜いて流しから振り返って見るこの景色は、本当に幸せな瞬間だった」
誇りを持っていたであろう通訳という仕事を辞め、子どもの健康を守るため子育てに専念した母。その中心にあったのが自然食であり、母の居場所はいつも台所でした。
想像を超える思いで台所にたち続け、家族の健康を守ってきた母も、四捨五入すれば古希にさしかかります。
怒涛の日々を過ごした台所から振り返って見た景色を「至福」だと言い切るように、いつか人生を振り返る時もまた同じ気持ちであることを願っています。
関根 愛(せきね めぐみ)
「アートがどう社会と関われるか」と「じぶんらしく生きるための食養生」が活動のテーマ。座右の銘は「山動く」。俳優歴10年、アトピーによる自然食を始めてもうすぐ3年。台東区のコレクティブRYUSEN112のメンバー。
Youtubeチャンネル:めぐみのひとつぶ -体と心を癒す自然食-
note:せきねめぐみの食養生コラム
Instagram:megumi___sekine
こんにちは。関根愛(めぐみ)です。 朝干した洗濯物が昼前には乾いたり、素足で踏む床の冷たさが心地良く感じたりするようになりました。初夏の陽気を感じる頃ですね。 さて、明日は母の日。 私にとって母という存在は、ちょっと一筋…
はじめまして。せきねめぐみといいます。
東京の片隅で暮らしています。
質素な菜食をし、めぐり巡る日々を生きています。
私は二十代で、アトピー性皮膚炎をはじめとするさまざまな体の不調に出会いました。
この連載は、当時の出口のみえない体験談から始まります。
そして玄米菜食を主とする食養生の過程で気づいていった、体と心と食生活をはじめとする目に見えないさまざまな”つながり”について、じっくり書いてみたいと思います。
私が今暮らしの中で大切にしていることは、自然食を通して体と心に溜まった要らないものを取りのぞいていくことです。
似たような悩みをもつ方にとって少しでもやわらかく背中を押すような読み物になれば、とてもうれしいです。
皆さんがもっている、体と心。
もちろんこのふたつは別のものを指しています。
ですが私は、このふたつが全くの別物であるとは考えていません。
すこし極端な言いかたかもしれませんが、便宜上分けられているだけで、本当はおんなじものなんじゃないかとさえ思えるのです。
光があるから影ができるように、体を持つからこそ、私たちには心模様があります。
また心があるからこそ、その持ちようが体を通して表現されていく。
そんなふうにして体と心は一つとなり、私たちの生きる自然界と一瞬一瞬共鳴しながら、またとない〈生〉を誰もが生きています。
〈体〉には、これまでの人生で溜めこんできた余分なものが沢山つまっています。
たとえば老廃物や、よごれや、有毒な成分などです。
いっぽう〈心〉にも、これまで人生というきびしい航海の中でしらぬ間に溜めこんできた、手放したいのにできなかった感情が沢山つまっています。
たとえば、怒り、ねたみ、うらみ、恐怖、後悔などです。
体と心のどちらもにある、これらの〈目にみえないけどあるもの〉もまた、別のものに見えて実は同じものであることが多いのではないかと、私には思えます。
わたしがこのような考えに至った背景にあるのは、アトピーを始めとするいくつかの症状を通して体験した、体と心の深いつながりを感じさせる道のりでした。
またその中で、人生において体と心の過ごした時間〈経験〉と〈食生活のあいだ〉にも、切っても切り離せない深い結びつきがあることも教わったのです。
21歳のとき、ダンスやランニングなどの運動をすると、体中に蕁麻疹ができるようになりました。
当時駆け出しの俳優見習いだった私は、微々たるアルバイト収入で暮らしていたため病院に行くお金もなく、症状を無視し続けていました。
24歳のとき、気管支内にできた蕁麻疹が原因で呼吸困難になり、生まれてはじめて救急車を呼んで病院へ行きました。
そして〈アトピー性皮膚炎〉〈運動性アナフィラキシー〉〈小麦アレルギー〉という三つの診断を受けました。
原因をたずねると「不摂生、栄養不足、ストレス過多などが重なり合って生まれるもので、どれと断定することはできない」とのことでした。
健康というものにまったく無自覚に生きていた当時の私には、今いちぴんときませんでした。
そして間もなく、強い副作用を生むこともあるステロイド剤の服用が始まりました。
ところで、私にはアトピーとともに生きる妹がいます。
彼女は1歳の誕生日に重度のアトピーと診断されました。
彼女の人生は決して平たんな道のりではなく、主に母が二人三脚となり、文字通り〈奮闘〉の日々でした。
妹は人と同じものが食べられないため、家族で外食をしたこともありません。
何年もの間痒みで夜も眠れず、血が出るほど掻き続けて全身包帯でぐるぐる巻きでした。
鼻がもげそうなきつい匂いの薬は、ひどく染みて、体が容易に曲げらないほど皮膚がカサカサになったり硬直したりしました。
通学したり、友だちと出かけたりなどの社会活動が難しくなることもありました。
その様子を側でずっと見ていた私は、アトピーの診断を受けて、「自分にも同じような旅が待っているのか」と思い気持ちがずいぶん落ち込みました。
その一方で、どこか他人に起きたできごとのように捉えてもいました。
突如として現れたこれらの課題を自分ごととして受け止めたくなかったのです。
パン、パスタ、ピザ、うどん、ラーメン、ケーキ。
大好きな小麦料理を食べられなくなるのが嫌だったし、抗アレルギー剤を飲むと症状が抑えられることもあり、アレルギーと診断された後も私はそれらのメニューを平気で食べ続けていました。
思うように行かない俳優という夢への道のり。
「ステロイドを飲んでいれば体は安定しているから」と言い訳し、溜まっていくストレスを紛らわすため、次から次へと口に入れ続けました。
まるで自分の体がゴミ箱のようでした。
お腹が空いていないのに食べることは当たり前。
一回の食事に五分以上かけたことはありません。
台所に立つのは年に片手で数えるほど。
コンビニのこってりしたチャーハンのおにぎりや冷たいお弁当が大好物。
飲食店アルバイトからの深夜の帰り道、格安スーパーに寄って買ったチーズやソーセージを歩きながら頬張るのが好きでした。
葬式の配膳アルバイトで余った哀しみのエネルギーに満ちた冷たいお寿司をぐったりした体でつまむことは日常茶飯事でした。
お腹が満たされれば日頃のむしゃくしゃした気持ちが鎮まるような気がして、食べ続けないと気が済みませんでした。
自分自身の体の不調を自分ごととして受け止めたくない頑固な私は、その食生活に原因があるなどとは到底思いもせず、好きなものを好きなときに無作為に体に放り込む自堕落な生活を続けました。
たとえちょっとした不調が出ても「ステロイドがあるから大丈夫」。
「怖い薬」だと認識していたはずなのに、その頃の私は容量も守らず、塗ってはいけないと言われていた顔にまで塗るようになっていました。
26歳のとき、夜中に激痛で背中が張り裂けそうになり、2度目の救急車に乗りました。診断は腎臓結石でした。
「ふつうは老人がかかる病気です」とお医者さんは冷ややかに言いました。
その頃もお芝居に明け暮れていたばかりに、自分の生活経済を顧みることはなく、貯金のないぎりぎりの生活をしていました。
結石の処置をしてもらったあと公共交通機関に乗るお金がなくて、真夏の炎天下の下を痛みの残る体をひきずり、家まで2時間ほどの道のりを這うように歩いて帰りました。
28歳のとき、子宮に異常な細胞があると診断されました。
「これが悪くなると、がんになることもあるんですよ。」
目の前に座るお医者さんの口から、たとえ可能性でも「がん」という言葉を聞いた初めてのできごとでした。何が原因なのかわからず、何度も検査に通いながら不安な数か月を過ごしました。
この頃になってようやく「私の体はこのままで大丈夫なのだろうか?」という疑問が湧いてきました。
腎臓結石も子宮の異常細胞も、一見アトピーとは関係がなさそうに見えます。
しかし怖くなった私は改めてステロイドの副作用について調べていくうちに、副作用として腎機能が衰えたり、生殖器に異常が出るなどの症状があると知りました。
それはまさに私でした。
居てもたってもいられなくなった私。。
これまで無慈悲にさんざん痛めつけてきてしまった自分の体にちゃんと謝り、これからは一念発起して真剣に向き合っていかなくてはいけないのではないか。
やっとのことでそう感じ始めたのです。
自分の体とちゃんと向き合いたい。
そう決意したものの、私の体はとっくに健康な状態を忘れたまま、何年もの年月を重ねていました。
回復したい、健康な体になりたい。
毎月のように病院に行くことを、なくしたい。
ところが〈健康〉という状態が何なのかさえ分からず、何から取りかかれば良いのか検討もつかずに途方に暮れました。
同じ頃、通院先のお医者さんの心ない診療―患者の目を見ず、質問をしてもはぐらかされ、毎回判を押したようにステロイド剤を処方するだけ―というやり方に違和感を感じるようになっていました。
そして私は何の知識もないままほとんど勢いで、それまで全身に塗りたくっていたステロイドの使用をピタッとやめてしまいました。
間もなくして顔中が見たこともないほど醜く腫れあがり、膿をもった真っ赤な吹き出物が顔一面に広がりました。
痛みと痒みで一睡もできない夜が続く日々。何をしていても痛みと痒みが付きまとい、目の前のことに集中できなくなりました。
その頃決定的だったできごとは、ある名立たるプロデューサーの演技ワークショップに参加した際、演技後のフィードバックの時間に参加者全員の前で「まず色白じゃなくちゃ女優じゃないよ」と言われたことでした。
今振り返れば気にするだけ無駄な偏見発言だと分かるのですが、ネガティブになっていた私は「俳優がアトピーになるべきではない」という自意識に苛まれるようになりました。
常に周囲からの目が怖く、アトピーの自分を恥ずかしい、許せないと責め続けました。
人と会うことも避け始め、やがて気持ちが完全に参ってしまい、仕事もできなくなりました。
最初にアトピーの診断を受けてから、4年あまりが経っていました。
「もうあとがない」
精神的に追いつめられていた私が頼ったのは、母でした。
母は私がアトピーになってからというもの、ずっと心配をしてくれていました。
体に負担のかかる農薬や添加物を使わない安全な食品を送ってくれたり、アトピーの人にも効くと言われる断食施設へ行かせてくれたり、また七号食※という玄米菜食療法をすすめてくれたりと様々に手を差し伸べていてくれていたのですが、それまでの私はどれも本気にしていませんでした。
妹のアトピー治療を薬だけに頼らず自然療法からも模索しつづけた母。
「目の前が真っ暗」状態の私は、そんな母の助けの手を今こそ本気で受け入れて、自分にできることを努力して実践しようと思い始めました。
母の助言で始めたのが、シンプルな玄米菜食でした。
玄米とお味噌汁を中心に、野菜や豆を食べる。
肉、魚、乳製品、卵、添加物の入った加工品の摂取はいっさいやめました。
それまでコンビニのおにぎりやスイーツ、スーパーのお惣菜やスナック菓子を好きなときに食べて、自炊をほとんどせずに生きてきた私。玄米や野菜の素朴な味を、はじめは美味しいと思えませんでした。
しかしこの時ばかりは背水の陣。心を鬼にして続けました。
ゆっくり丁寧に食べるように心がけることで、少しずつ素朴な味を美味しいと感じるようになっていきました。
しばらくすると、それまでりんごのように真っ赤に腫れあがっていた顔が、ほんのりピンクの桃色くらいまでにおさまっていきました。
同時にあれだけ悩んだ顔の痛みや痒みがすーっと引いていきました。
心底嬉しい反面、愕然としました。
食べものを変えただけなのに、なぜ体が回復していくのだろう。
そこには理屈ではない自然の摂理や運行のようなものがあるのかもしれない。
説明のしようのない、初めて体験する神秘のようなものでした。
そのあとは水を得た魚のように「回復したい」の一心で玄米菜食をつづけました。
その後数か月で、何事もなかったかのように元通りのつるつるした健康な肌に戻っていきました。
目からうろこ、灯台下暗し、とはまさにこのこと。
〈人は、食べたもので作られている〉。
シンプルな事実を身を以て体験した時間でした。
その頃、新しく通うようになっていた自己治癒力を高める治療を促す皮膚科の先生が「顔の症状はステロイド断ちの典型的なものだね」と教えてくれました。
菜食を続けてもうすぐ3年がたちます。
お米とお味噌汁を中心に置き、無農薬の青菜や根菜をシンプルな調理で食べる。
豆や海藻、乾物、季節の野草などのおかずを、だいたい毎食一品付ける。
梅干しやぬか漬けを少しずつ摂る。
お米はベースを玄米や分づき米にしたり、黒米やひえ、きびなどを混ぜ、気分によってバラエティを楽しんでいます。
お味噌汁の味噌にも豆味噌、麦味噌、米味噌などそれぞれの特徴があり、合わせ味噌にして楽しむこともできます。
質素な食事の中にこそ、無限の豊かさのようなものを発見できます。
このような食事を続けていると、私のアトピーは出てくることはほぼありません。
抗アレルギー剤の服用も昨夏にやめましたが、現在まで調子が良く、穏やかに過ごせています。
食べ物と身体の関係を探るうちに、人の身体と社会との関係に興味を持ち、陰陽五行やマクロビオティックの勉強もするようになりました。
私たちの心と体は、それ自体で成立しているのではなく、自然の一部として、絶えまぬ繋がりの中を繊細に影響し合って生きています。
私は健康な状態を得てはじめて、体と心と食がひとつの環のようになって日々巡っている感覚を知りました。
それは以前の私の食生活が、自分自身のマイナスな感情とつよく結びついたものだったことを理解することでもありました。
苛立ちから、油ののった肉や激辛のものを食べる。
不満や妬みから、こってりした揚げ物をむさぼる。
うっぷん晴らしに、スナック菓子や人工的な甘さに手が伸びる。
焦りにかられて、早食いや大食いになる。
不安や恐怖に襲われて、お腹も空いていないのに何かを口に入れる。
悔しさから、やけ食いをする。
そんなふうにして、心の状態によって食べるものや食べ方が左右され、その〈食〉を通して体の状態が作られていく。体の状態が、今度はまた心に還元されていく。
言い換えれば、食べるものによって体や心のありようが変わってくる、ということだと思います。
マイナスな環からずっと抜け出そうとしなかった私に、しびれを切らした体と心がアトピーという症状で懸命に窮状を訴えてくれた。そのとき初めて、そのネガティブなサイクルからついに踏み出す決心をすることができたのだろうと思います。
今では私は、「何を、どう食べるか」ということは、他者や社会とどう繋がっていくかということであると思えてなりません。
さらにその先には〈どう生きていくか?〉というテーマにも通じているのだと思っています。
どんな繋がりを創造し、大切にしていこうか。
日常という劇場で、これからもこの体と心と共に実験していこうと思っています。
関根 愛(せきね めぐみ)
「アートがどう社会と関われるか」と「じぶんらしく生きるための食養生」が活動のテーマ。座右の銘は「山動く」。俳優歴10年、アトピーによる自然食を始めてもうすぐ3年。台東区のコレクティブRYUSEN112のメンバー。
Youtubeチャンネル:めぐみのひとつぶ -体と心を癒す自然食-
note:せきねめぐみの食養生コラム
Instagram:megumi___sekine
はじめまして。せきねめぐみといいます。 東京の片隅で暮らしています。 質素な菜食をし、めぐり巡る日々を生きています。 私は二十代で、アトピー性皮膚炎をはじめとするさまざまな体の不調に出会いました。 この連載は、当時の出口…