チャリツモには、「これイイ本だなぁ!」と思った本を、みんなで持ち寄って作る本棚“これイイ本棚”があります。 ここではこの本棚に集まった本を、一冊ずつご紹介します♪
『檻の中のライオン』を携えて、全国行脚する楾弁護士が伝え続けるメッセージとは?
参議院選挙が近づいている。
憲法改正の是非も大きな争点として注目されているものの、なぜそのような議論が起きているのかを理解している人は少ないのではないだろうか。
「そもそも憲法とはどんなものかを知らずに議論している人も多い。改憲論に入る前にまずは憲法がどんなものかを知ってほしい」と話すのは『檻の中のライオン』(かもがわ出版)の著者で弁護士の楾大樹(はんどうたいき)さん。
『檻の中のライオン』は“憲法の入門書”として人気を博し、版を重ねている。
作者である楾さんの活動は執筆にとどまらない。
憲法をより広く知ってもらうため、精力的に講演活動を行っている。日本全国を回り続け、開催回数はなんと337回を数えた。(2019年7月14日現在)
今回は、6月に大阪市内で行われた講演会の様子を、私、チャリツモライター・林がレポートする。
ライタープロフィール
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林 夏子
岐阜県山間部の柿畑に囲まれて育つ。
法律家を志すも、断念。
WEB制作会社を経て、2014年よりフリーライター。大阪在住。
茶業(農業)や地方の抱える問題を一緒に考えたく「林夏子のはてしないお茶物語」を運営。
日本茶インストラクター。行政書士資格保有。
楾さんの講演の様子を
お届けしまーす♪
憲法にしばられるのは国民じゃなくて、国家権力。それが“立憲主義”ってこと。
講演が始まるとすぐ、楾さんは会場の参加者に質問を投げかけた。
「憲法というルールを守らなければいけないのは、誰でしょうか?」
「落語のようで面白い」という前評判通り、落語家のように軽妙な口調だ。
しかし、この質問に明確に答えられる参加者は少ない。
落語でいえば「まくら」のような質問から、参加者を憲法問題の本題へと誘う。
憲法とは主権者である国民が、自分たちの基本的人権を侵害されないように「国家権力を縛るもの」だ。
そのため、憲法を守らなくてはならないのは「国民」ではなく、「国家権力を動かす政治家など公務員」である。
日本国憲法第99条 【憲法尊重擁護の義務】
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
憲法の根っこには、「私たちが生まれながらに持っている、それぞれ異なる個性を生かして、人間らしく生きる権利を守りたい」というとても大切な考え方があります。
私たちが人間らしく生きるために、政治をする人が必要になる。
政治を任せるうえで政府がしてはいけないこと、政府にしてほしいことを書いた契約書が憲法。
政府(=ライオン)は憲法という檻にしばられて、政治を行わなくてはなりません。
憲法が権力よりも上にあり、権力は憲法に基づいて政治を行うことで私たちの権利を守る。これが立憲主義だ。
楾さんはこの憲法と国家権力の関係を、国家権力を「ライオン」、憲法を「ライオンを入れる檻」にたとえて「ライオンと檻」で読み解く。
檻(=憲法)を作るのも変えるのも私たち。それが国民主権ってこと。
憲法を守らなければいけないのは国家。
その憲法に基づいて作られた法律を守るのは私たち国民だ。
「法律を守らなくてはならないのは、なぜでしょうか?」
これはまた難しい問題だ。
ここで、楾さんは、たとえ話を紹介した。
目の前の人から「私は警察の者だ、逮捕する」と言われたとします
これに「警察がなんだ、何様だ」と食ってかかってみましょう。
おそらく警察は「我々は法律に基づいて仕事をしています、あなたは法律を犯した疑いがあるから、こうして逮捕状をとってきています」と言うでしょう。
「法律なんてものを作ったエラそうなヤツはどこのどいつだ」と食い下がってみます。
すると警察は「法律は国会で作ると憲法41条に書いてあります」と答えるでしょう。
さらに「憲法っていうのはいったいなんだ」と問えば、「憲法は主権者である国民が作っています」との答え。
最後に、「国民ってどこのどいつだ」と問うたら、「国民はあんたでしょ」ということになります。
この問答、おわかりいただけただろうか。
国家権力の出どころを突き詰めれば、私たち国民なのである。
私たち一人一人がみんなこの国のあり方を決める権力を持っており、憲法という檻を作るのも国民、作り変えるのも国民。これが国民主権の意味するところである。
法律は私たちが作ったものなので、守らなくてはならないという理論だ。
上にいる人のいうことは聞いておこう、と思う人もいるかもしれません。
でも、一番上にいるのは私たち国民です。
“ライオンが国民の決めた檻の中で権力を行使しているかをチェックする”という視点が必要です。
信頼して丸投げするのではなく、“権力を疑う”という前提で立憲主義の憲法はできています。
民主主義=多数決だと思っていませんか?
ときに危険な“多数決”のお話。
ここに阪神タイガースのマスコットキャラクターのトラッキーがいます。 日本で一番ファンが多いのはジャイアンツ。
民主主義だから、多数決で「みんなジャイアンツを応援しろ、トラッキーもジャイアンツを応援しろ」ということになったら、いかがでしょうか?
トラッキーにジャイアンツを応援しろというのは、トラッキーの人格を否定しているのと同じだ。
「タイガースが好きだ!タイガースを応援するぞ!」というのがトラッキーの人格の核心部分です。 ジャイアンツを応援するのだったらもうトラッキーとは言えません。
そういう人間性の本質部分を数の力で奪ってしまっていいのでしょうか。
数が多いからと言って正しいとは限らない。
また、多数派は数が多いことに思い上がって、少数派を踏みつけてしまうという間違いを犯してしまう面もある。
多数派も少数派もお互いの意見をよく聞いて議論することが大切です。
このように憲法に立脚した民主主義を「立憲民主主義」といいます。
民主主義とは単に多数決で決めることではなく、少数派の人の意見も聞いて、十分に話し合ったうえで決めることである。
◆無視された 臨時国会召集要求
少数派の意見もきちんと聞いてもらうために用意されているのが、憲法53条に書かれた臨時国会の召集要求だ。
憲法53条は少数派の人が多数派に意見を聞いてもらいたいとき、臨時国会を開くことを憲法上保障している。
憲法第53条
内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。安倍政権下の2015年と2017年、この憲法53に基づき野党は臨時国会の召集を要求した。
しかし、2015年の招集要求に対して安倍政権は臨時国会を開かなかった。2017年は招集要求を98日間放置した末、召集したものの、その冒頭で安倍首相は衆議院を解散を宣言。審議が行われることはなかった。
臨時国会の召集要求へのこうした対応は、憲法53条に違反すると多くの指摘を受けている。
臨時国会の召集要求を受けた場合、何日以内に開かなければいけないという具体的な日数について憲法上記載はないが、3カ月以上、要求を無視した例は過去20年にはなかった。
(参考:国会論戦を経ず解散 戦後初 野党の開会要求98日放置/東京新聞)
ちなみに、2012年に公開された自民党改正草案第53条にも「要求があった日から二十日以内に臨時国会が召集されなければならない」と追記されている。
憲法のブレーキはちゃんと効いているか?
“三権分立”と“私たちの声”。
楾さんは、憲法には国家権力に対するブレーキが2つあると指摘する。
1つ目は「三権分立」というブレーキだ。
権力を1つに集中させると濫用されがちだ。
そのために権力を立法権(国会)・行政権(内閣)・司法権(裁判所)の3つに分けてお互いチェックさせる「三権分立」というブレーキを用意した。
憲法という檻の中で、3頭のライオン(権力者)がお互いをにらみ合い、牽制しあうことで、権力の暴走を防ぐのだ。
◆ライオンはにらみ合っているか?
それでは、現政権下で檻の中の3頭のライオンはお互いにらみをきかせているだろうか?
残念ながら、この「にらみあい」のシステムが不調をきたしているように思える出来事が今まさに起きている。
【内閣】⇔【国会】
国会は「内閣総理大臣の指名」や「内閣不信任決議(衆議院のみ可能)」を出し、内閣は「衆議院を解散」することでにらみあう。
しかし2017年、召集要求から98日後に開かれた臨時国会の冒頭で衆議院を解散した行為は、内閣がもつ解散権の濫用ではないかとの声が高まった。
(参考:解散権は本当に総理の専権事項なのか?「7条解散」の矛盾…世界のトレンドは”制約”へ/ハフポスト、衆院選 民進「解散権の乱用だ」 説明要求、自民内からも /毎日新聞 2017年9月22日東京朝刊)
立憲民主党や国民民主党は、改憲の議論に首相による衆院解散権の制約を含めることを求めている。
(参考:各党の政策、争点は 参院選/朝日新聞)
【国会】⇔【裁判所】
裁判所は法律が憲法に違反していないかをチェック。
国会は裁判官の身分にふさわしくない行為をした裁判官や職務上の義務に違反した裁判官に対する「弾劾裁判所」を設け、辞めさせるかどうかをきめることができる。
最近ではTwitterの投稿内容が“不適切”だという理由で岡口基一裁判官を国会の裁判官訴追委員会が弾劾裁判所に訴追するかが話題となった。
(参考:『訴追可否、25日にも判断 不適切投稿の岡口裁判官』/日本経済新聞)
しかしこの弾劾のように、法律を犯したわけでもない裁判官を国会が簡単にクビにできてしまったら、国会に都合の悪い判決をだすことはできるだろうか、疑問が残る。
【内閣】⇔【裁判所】
裁判所は「行政を相手にした裁判に判決を下す」ことで、内閣に対するブレーキをかける。
反面、「最高裁判所長官の指名権」や「最高裁判所判事の任命権」は内閣にある。
最高裁判所の判事は15人いるが、現在15人中15人全員が、安倍政権のもと任命されている。さらにその判事の中には、あの獣医学部新設問題で話題になった「加計学園」の元監事である弁護士・木澤克之氏も含まれる。
このような状態で「にらみあい」が有効に機能するのだろうか。
(参考:最高裁判所の裁判官(木澤克之)/最高裁判所)
もう1つのブレーキは私たちの声だ。
私たち国民自身が政治に関心をもち、憲法を学び、檻の外から声を上げる。
ライオンのおこないが目に余るようなら選挙でライオンを替える。
これも憲法が用意した仕組みだ。
ライオンが檻から出ようとしていたら、私たちが声を上げて止めたり、投票によって制裁を加えなければ、濫用し放題になってしまいます。
右か左かではない。
今問われるのは、立憲か非立憲かだ。
改憲の議論は「右なのか左なのか」という視点で語られがちだ。
しかし、楾さんは右か左かという議論については言及するつもりはなく、あくまで憲法の問題だという前提で、次のように訴える。
「憲法が上、権力が下」
この関係が逆になってはいけないと思っています。
第2次安倍内閣ではこの関係が逆になり、憲法違反が繰り返された6年間ではなかったかと思うのです。
楾さんは、安保法制や特定秘密保護法に対しては、全国で52ある弁護士会すべてと日弁連(日本弁護士連合会:すべての弁護士・弁護士法人が登録している団体)が「憲法違反」であり許されないとの意見表明をしていることなどを踏まえ、現政権の運営の在り方に立憲主義の観点から強い危機感を感じると話す。
講演に参加していた30代の女性は「講座に参加して、国民主権の意味がはじめて分かった。子育てに追われて政治のことも憲法のこともあまり考えたことがなかったけど、私自身がちゃんと勉強して投票にいこうと思った」と話す。
ライター林の感想です♪
あとがき
いつまでも檻があると思ってはいけない。
講座では「檻とライオン」を用いて、楾さんから憲法の原理をわかりやすく説明いただいた。
その中で、強く感じたことは憲法の用意する立憲主義(檻の中にライオンを入れよう)・国民主権(檻を作るのも変えるのも私たち)・民主主義(自分たちのことは自分たちで決めよう)という原理は私たちの声(表現の自由や選挙権の行使)があってはじめてうまく機能するということである。
先行きの不透明な時代である。
どの候補者であっても、素晴らしい未来なんて描けない、という人もおられよう。
しかし、檻の外にいる私たちがライオンの選び方を間違えば、私たちの人間らしく生きる権利(最悪の場合は命すら)を奪われてしまうのである。
私たちのための、暮らしや国の未来に関わる大切な国政選挙である。
政治に興味を持ち、憲法を学び、恐れず『声』をあげることを大事にしたい。
参議院議員通常選挙の投票日は7月21日だ。