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2018.08.10.Fri

わたし、虐待サバイバーです!第5話〜「子どもの貧困」には注目するのに、「大人の貧困」には冷たくないですか?〜

虐待サバイバー
こんにちは!たぬき先生です。このコラムは、子ども時代に児童虐待を受けていた私の経験を踏まえ、児童虐待をなくすためにはどうすればよいのかを一緒に考えていく読み物です。前回までで、私の半生を綴って来ましたが、今回からは、被虐待経験やその後大人になってから現れた後遺症・トラウマの体験を踏まえ、私なりに社会に提言をしていきたいと思います。

虐待サバイバーと貧困

第4話では、私が大人になってから貧困に陥り、生活保護を受けるまでに困窮した話を書きました。私に限らず被虐待体験のある方は、成人して貧困に陥るケースが多いように感じています。

私は、北海道札幌市のホームレス支援団体の「夜回り支援」に同行させてもらったことがあります。寒い北国の北海道でも、ホームレスの方はいるのです。
ホームレスになった背景は、人それぞれ異なると思いますが、多くのホームレスの方に共通する背景として「被虐待体験」があることをホームレス支援団体の支援者たちは、指摘していました。

私自身、大人になっても年齢相応の社会常識が身についていないために、社会にうまく適応できず、転職を繰り返した結果、貧困に陥っていきました。その大きな要因が子どものころの被虐待経験にあるのではないかと、今では思っています。

皆さんご存知のとおり、日本社会は、一度、失敗するとやり直しの難しい社会です。転職回数の多い人は低く評価されます。虐待サバイバーは、社会常識が身についていないことやトラウマによる情緒の不安定さ、対人関係が上手くできない等、社会人として生きていく様々なスキルが低く、社会で失敗を重ねる度に学習して社会人としてのスキルを高めていけたとしても、年齢が上がれば良い条件の就職はますます厳しくなり、貧困に陥ってしまうケースが多いのです。

「子どもの貧困」は「大人の貧困」

新聞などのメディアでは、子ども食堂や子どもの学習支援など、「子どもの貧困」に関する話題を見ない日はないくらい、昨今、子どもの貧困は社会から注目を集めています。しかし、子どもの貧困という言葉は、果たして貧困の本質を捉えている言葉でしょうか?

子どもに経済力はありません。親である大人が貧困であるために、子どもも貧困になっているのです。「子どもの貧困」とは、まさしく「大人の貧困」なのです。
しかし「大人の貧困」とは社会は言いません。「子ども食堂」が全国各地でできても、大人の貧困者の無料食堂はできていません。働き盛りの大人世代が非正規雇用から抜け出せず、ずっと貧困だったり、親でない大人でも、貧困で結婚もできず子どもも持てないという人も少なくありません。高齢者の万引きが増えている背景にも貧困があるのに、大人の貧困は注目すら浴びません。なぜなら、大人に対しては「自己責任論」が非常に強いからだと思っています。
しかし大人にも、子ども時代はあったのです。子ども時代の虐待や過酷な環境を生き延び、後遺症やトラウマを抱える大人たちが貧困やホームレスになってしまっても、全て自己責任と言えるでしょうか?

「子どもの貧困」というマスコミが流す言葉だけで判断せず、貧困問題の「本質」を考えることが問題解決には大切なことだと思っています。

親の経済力は学力格差だけでなく社会常識にも差がでる

親の経済力が子どもの学力に影響を与える「子どもの教育格差」が社会問題となり、全国各地で子どもの学習支援などが行われています。
しかし、子どもの教育格差は、学力の偏差値だけに差が現れるものではありません。家族団らんのない家庭で育った虐待サバイバーは、子ども時代に家庭の中で社会の様々な常識について親から教えてもらう機会が少なく、社会性や常識を身につけられずに大人になっています。

人間は、ご飯だけ食べて二十歳になれば「大人」になる生き物ではありません。風呂の入り方、食事のマナー、人とのコミュニケーションの仕方や礼儀なども、人間は、大人に教えてもらわなければ習得することが難しいのです。親がしっかりした社会人で、家庭内で家族団らんや会話があれば、親との会話を通じて、子どもは日々、大人の社会というものを何となくでも覗き見ることができます。しかし、それがない家庭の子どもは「大人の社会」というものがいったいどんなものか、ほとんど知らないまま、二十歳を過ぎれば社会に放り出され、社会性がないために「常識がない!」と批判されては生きづらさを抱えたり、貧困に陥ってしまうのです。

今、子どもの支援者たちが、虐待された「子どもたち」をどう支援・ケアしようかと取り組んでいます。これは、早期支援という点で非常に正しい対策です。しかし、虐待の後遺症は、成人すれば治るものではなく、そもそも子ども時代に虐待を受けていたことすら誰にも発見されずに、何の支援もなく大人になった人も少なくありません。そうした大人には、大人になってからも支援がないのです。後遺症によって生きづらさを抱えた大人は、社会に大人の支援のない中、大人としての自己責任を問われながら生きていかなければなりません。

虐待された「子どもたち」だけに支援の光を当てるのではなく、虐待された「大人たち」にも支援の光が当たらなければ、虐待被害者は、成人後、理解のない社会の中で、大変苦しい人生を歩んでしまうことになる場合が多いのです。この大人が親となれば、子育ての仕方も分からず、貧困なども重なれば、虐待の連鎖が起きる場合も少なくないと思っています。だからこそ、虐待を受けた大人たちのためにも、次世代の子どもたちのためにも「大人の支援」は社会に必要なものだと私は思うのです。

親である大人が救われれば、子どもも救われます。子どもだけ支援するより、大人の支援をすることは、子どもも同時に救われるという「波及効果」が高いのです。しかし、世間は子どもの貧困には優しいけれど、大人の貧困者には非常に冷たいように感じます。
子どもたちもいずれは大人になります。大人が救われない社会とは、子どもたちも、結局は、救われない社会ではないでしょうか?
虐待や貧困の支援を今の子どもにだけ向けるのではなく、今の大人にも支援を向けなければ、根本的な解決には至らないと私は思っています。

「大人は自己責任」という価値観は危険

 私は「大人は自己責任」という価値観の強さが時代の変化とともに変わっていないことが、あらゆる社会問題を解決に向かわせていないとても危険な価値観だと思っています。
1つ事例をあげると、20年も放置されているロスト・ジェネレーション(失われた世代)の大人たちに社会から早期支援があれば、子どもの貧困も起きなかったかもしれない、第3次ベビーブームも起きて少子化に歯止めがかかり人口減少もここまで手遅れにならなかったかもしれない・・と思うのです。

虐待被害者だけでなく、困難を抱えた多くの大人に対して「もう大人なんだから」と大人は自己責任とすることは、「個人の損失」だけでは済まない「社会全体の損失」につながることを指摘したいのです。

子どもは弱く見えます。しかし大人は強いか?と言われれば、決して強い存在ではないと私は思います。かつて、核家族でなかったころ、地域社会が一人の大人を色んな側面からたくさん支えていたころ、景気が良く普通に働けばみなが一億総中流と言われていたころ、大人は強い存在だったのです。
しかし会社も親も地域社会も、一人の大人をサポートできない社会へと変化しできた現代において、大人という存在は、決して強い存在ではなくなっている気がします。それでも、依然として社会の価値観は、「もう大人なんだから」という自己責任論が非常に強いわけです。

行き過ぎた自己責任論を放置することは、今の子どもたちが大人になったときにも、冷たい大人社会へ放り出されるという意味です。そして、今支援が必要な大人たちを自己責任の名のもとに放置していれば将来的に生活保護者の増加などで、どの世代にもその負担はやってきます。大人の自己責任論は、誰も得をしない価値観だと思うのです。
大人は子どもたちの延長線上にいる存在です。その大人社会が酷いもので「子どもの未来」は幸せになるでしょうか?大人も子どもも、分け隔てなく支援される社会を私は望んでいます。

第5話のポイント

虐待サバイバーは子ども時代に家庭の中で社会性を学べなかったり、後遺症の影響で大人になってからも社会適応が難しく、貧困に陥ってしまうケースが多いのです。

昨今、「子どもの貧困」が注目され支援もなされるようになってきましたが、子どもに経済力はありません。親である大人が貧困だから子どもの貧困が起きているのです。しかし、社会は大人の貧困者には冷たい実情があり、「大人は自己責任」とされて支援が充分になされていないという問題点があるように思います。子どもの貧困の原因が大人の貧困であるのに、大人の貧困対策はしないというのは、子どもの貧困対策の本質にメスを入れないということであり、根本的解決に至らないのではないでしょうか?。

また「大人は自己責任」とすることは、「個人の損失」だけでは済まない「社会全体の損失」につながることを指摘させてもらいたいと思います。

大人は子どもたちの延長線上にいる未来の存在です。大人も子どもも、分け隔てなく支援される社会が、今の大人たちにとっても、次世代の子どもたちのためにも、双方に必要なものではないでしょうか?

奨学金問題について

虐待問題と少し話がそれますが、奨学金問題について私なりの意見を書かせてもらいたいと思っています。
2018年2月に、貸与型奨学金の返済ができずに延べ1万5千人の人が自己破産したことがニュースで報じられました。返せる見込みのないような低学力の学生まで多額の借金をしてまで大学へ行く必要がないといった自己責任論の意見もありますが、自己破産に至ってしまったケースや、返済見込みが立たない人たちの置かれた状況、そこに至った背景は、実にさまざまだろうと思われます。
日本の終身雇用制度による年功序列の崩壊、今の30代~40代といった働き盛りのロストジェネレーション(失われた20年)の世代は、就職氷河期の影響が現在まで続き、非正規雇用から抜け出せず、貧困となり、奨学金が返したくても返せなかった人も多くいます。
政府は、その対策として、返済不要の「給付型奨学金」の導入をスタートしました。しかし、給付型奨学金は次世代の支援にはつながっても、今、返済に困っている貸与型奨学金を借りて社会人となった大人の救済には寄与しないものです。
次世代の給付型奨学金の導入だけでなく、今、返済に困っている大人世代の救済も同時に必要ではないかと思っています。

虐待サバイバーのたぬき先生が講演会でお話します

たぬき先生が、講演会でお話します!

『わたし、虐待サバイバーです!』を連載中のたぬき先生こと羽馬です。 連載、いつも読んで頂きたくさんの応援コメント、ありがとうございます!

さて、物語の最終話では、精神科で〈二次被害〉に遭ってきた体験を語ります。精神科での〈二次被害〉は実はかなり深刻なのですが、当事者が真実を訴えてこなかった歴史があります。 精神科での〈二次被害〉がなぜ起こるのか?どうしたらなくなるのか?を〈赤ずきんとオオカミ トラウマ・ケア〉の著書である白川精神科医と対談を交えながら講演会を実施することとなりました。

講演会、ぜひご参加ください。皆様にお会いできるのを楽しみにしてます

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ライター:
羽馬 千恵
北海道札幌市在住のフリーライター。虐待被害者の大人として「大人の未来(全国虐待被害当事者の会)」の代表を務める。興味分野は、「虐待サバイバー」「貧困」「奨学金自己破産」「生活保護」。専門は、野生動物や自然で、タヌキの研究が長く、自身もたぬき化していった通称「たぬき先生」。 http://haba-chie-564.com/index.html お仕事のご相談